戸野の郷に現れた験者■■■00■

見渡すばかり、果てしなく山が連なる。
淡く白く霞む春、鮮やかな緑が萌える夏、秋は錦の衣を拡げたようで、それを懐かしむように木枯らしが木々を揺らす冬。
季節の動きは、すべて山が教えてくれる。
私の住む十八ケ荘とは、そういう場所だ。

風化しない山、私の生まれたこの土地も、人々も、世の中の仕組みも、全て、連なる山のように、延々と変わらず有り続け、今も昔も、同じものなんだと思ってた。この山々の最果てが、平野になるのだと信じることが出来ないように。
自らの意思で変えられるものなんてない、世の中は全て因果応報なのだと。
因縁生起、 あるがままを受け入れなければならないのだと。

変わらないのなら、それを守らなくてはならない。 変えられないのではない、変わる必要も感じなかった。

私は行った事ないけれど、ここから数百里ほど北に向かうと、遷都から500年の時を経てなお栄える玉敷の都、京があると言う。 北から南へ、東から西へ、行く筋も道が通い、中には牛車がすれ違う事ができる幅の広い通りもあるらしい。 ただ、そんな話をされても、生まれてこの方、平地と言うものを拝んだ事のない私には想像も出来ないのだけど。 四方八方を山に囲まれ、郷と郷との道も、豪雨や暴風で時々絶えるほどなのだから。
そう、そんな道を、今私は、直走っている最中で、目の前には、4、5…8人の男が立ちはだかってる状態で…。
郷同士の距離が、1里も離れていないとは言え、山道、ここのところ都からの修者とか僧侶とかがうろついて、追剥ぎとか絶えず、 決して安全な道ではないので、 そのずらりと並んだ面々をどれもが見知っていると言うところが、まだマシだと言えばそうなのだけど。 もう郷はすぐそこで、境の目印である辻堂も見えてるし、 誰か通りかかれば、と思うものの、そんなに都合よく現れるわけもなくて、かれこれもうどれくらいになるんだろう、 通せ、通さない、の押し問答が続いてる。

「だから、このクスリを届けるだけだって、言ってるじゃない。届けたら、すぐ帰るよ」
「必要ねぇって言ってるだろ。帰れよ」
そう言って声を張り上げる十郎は、私の父方の従兄弟で、幼い頃は手を繋いで村の手伝いもした仲なんだけど、 十郎と私の背丈が離れていく事が止められなかったように、今じゃ顔を合わせる度に口喧嘩をするようになってしまった。
「馬鹿言わないで、折角、父上や九郎兄が、京から取り寄せたクスリなのよ。これで、絶対によくなるわ」
「毎回毎回、何度目だと思ってるんだよ。効きもしないのに、無駄な事しやがって」
心底嫌そうに、眉を顰めて言う十郎に、これも毎度の事ながら、途方に暮れる。
十郎の生まれた戸野の郷は、山中にしては開けた場所ではあったのだが、高地にある上に水の便が悪く、ひとたび、天災・人災が起ると 何の手立ても打つことが出来ない、そんなところであり、自然その隣郷である私の郷・竹原が、度々の災難を戸野と分かち合うようになっている。
なかでも、ここ数十年における、二つの郷の結束は強いもので、 その礎となっているのは、私の叔母、つまり、十郎の母なのだ。
先の擾乱で、備蓄庫をあらかた取り上げられ、武勲をたてたというのに正統な恩賞に預かれなかった上に、領土安堵の見直しが断行され、困窮し荒れ乱れきった領主たちの強奪・横暴から、自らの郷を守るため、義兄弟の契りに加え、血の交わりを深める事により、郷同士に一族意識を植え付けようという郷長たちの考えから始まった婚姻。何も、十郎の母に限った事ではなく、私の父の4人の姉妹は皆、他郷の有力者に嫁いでいるし、竹原の郷にだって、他郷出身の伴侶を持つ人たちがいる。一つの郷では抗し切れない租税の取り立てに対する要求も、数箇所の郷が団結して訴えれば、受け入れてもらえる事もあるようだから、強ち間違った判断でもなかったのだと思う。
そんな中で、近隣の十八の里の中でも、幸い恵まれているといって良い竹原の郷は、必然、近郷を助ける事の方が多くなるもので、 それについては、竹原の郷に利があるからこその行為でもあるから、恩を着せるつもりはない。 けれど、このクスリは、慣れ親しんだ生まれ故郷を後にした叔母への、父なりの感謝と償いとも取れる行為である一方、病に伏してもなお、二つの郷を結ぶ絆である叔母を失わないようにする懸命な努力でもあるのだ。政略婚とも取れる叔母夫婦の祝言であったが、叔母の裏表のない柔和な性格が幸いしてか、 戸野の郷で叔母の悪口を言うものは少ない。五年前叔父が他界して、十郎の兄が郷長となってからも、変わることなく、そんな叔母の生まれた郷ならば、と思う者は多い。
そんな二つの郷の利権や恩恵、父たちの切なる願いを、十郎は、知りたくもないのだろうし、判ろうともしないのだと思うと、怒りなのか、呆れなのか、自分でもよく分からない感情が胸に渦巻く。
「そうかもしれないけど…、でも、試してみなきゃわかんないじゃない」
「煩い!何度も言わせんなよ。こっちが下手に出りゃ、付け上がりやがって」
私に考えるところがあるように、十郎にだって思うところがあるのは当然で、癪に障ったらしい十郎が、周りの男達に目配せをする。
我が従兄弟ながら、どうして、こう性質の悪そうな人たちとつるむかなぁ。
多少の荒事は覚悟の上と、進路を探すようにして向けた視線の先に、人影が入った。一瞬にして和らいだ私の表情に、十郎たちも振り向く。

次≫≫■■■

inserted by FC2 system