修法の真実 ■■■34■

何か打開策はないのかと、泳いだ視線をあちこちきょろきょろ動かしてみるけど、人の気配があるわけもなく、ごつごつした無数の岩と波立たない水面が物も言わずに広がってるだけ。不意に髪を揺らす風が、辺りの林の木々にも吹き抜けていくだけ。凄く静かだ。
ものを考えるには、静かな方が良いなんて、誰が言い出したのかしら。
でも、私は案内人なんだから…と、ため息を何とか深呼吸に変えて、視線をクモさんに戻した。
「何か用意している風でもないから、てっきりこちらにあるのかと思ってたけど…、もしかして、替えの衣なんて、ないよね?」
「そうですね…、ないですね。もしかして、普段服着て入るんですか?」
「普通、脱ぐものなの?」
濡れてしまった袖口をプラプラさせて、面白そうに微笑みながら言われても、困る。
そうは見えないかもしれないけど、私だって一応お年頃の娘なわけで。そういう気もない人と、脱ぐとか脱がないとか平気で話せるほど大人でもないってわけじゃないけど…、なんか躊躇われる。とは言え、クモさんは、脱がないで入る人種なんだって事は分かったから、もう一度私は案内人って心の中で唱えて、口を開く。
「あぁ、でも…、とても徳の高い方は、服着て入るとか、聞いたことがありますけど…、やっぱりクモさんって、京では名の知れた方だったんですね」
「ヒナの言うことが本当だったら、そう言うことになる、かな?話を整理するけど、つまり、替えはないと言うことで良い?」
「はい。あ、いえ、すぐにお持ちしますから、そのまま入ってて下さい。上がられる頃までには、戻って来られると思いますし」
「それはありがたいけど、郷に入っては郷に従えと言うし、ここは一つ、ここでの禊の作法に倣おうと思うんだけど、御教授願えるかな?」
どうにかこの場を去る理由を必死で見つけようとしていたのに、思いもよらない言葉をかけられる。
何の縁があるんだろう、年上の男の人に水の浴び方を教えなくちゃならないなんて。私って一体前世でどんな業を犯してきたのか。きっと知るにもおぞましい事に違いない。
「…えと、服を脱いで、頭から順に洗っていけば良いんじゃないですか、多分」
そんなの五つの子供でも分かると思った。
でも、そのかなり足りてない私の説明に、大きな黒い瞳を瞬いて、想像してる感じで、ぐるりと瞳を一周させて、口の端を綻ばせる。
「ふうん。なるほど、そうしてみるよ。では、まず…、これ、どうしようか?」
右腕を掲げて、その袖を左手で絞りながら、聞かれる。離れたここからでもはっきり見えるくらい濡れている事は再度確認できた。
替えはなくて良いと言ったのだから、その服にまた袖を通すしかないのだし、濡れているなら、乾かすしかない。そう思って、空を見上げる。薄雲が細い線を引いてはいたけれど、秋らしく空の先がとても遠く感じるほどの晴れ模様だったのには、少し驚かされた。最後に天気を気にしたのは、一体いつだったんだろ。収穫は済んだとは言え、天気を気にしないでいるなんて、天候の変わりやすい十八ケ荘じゃ考えられない事だった。
「この日差しでも、こんな季節ですし、完全には乾かないと思いますけど…とりあえず、この岩に干しておいたらいいんじゃないですか?」
「そうだね」
帯に手をかけたと思ったら、手早くそれを引いて、腕に巻き付けるようにして包めたかと思ったら、こちらに放り投げる。
見事な曲線を描いて、ぽすと私の腕の中に納まった。

目を閉じる暇もなかった。

現実、その瞳に映ったのは、ただの男の人の裸体だった。男とは言え、少しくらいは恥らうとかしないのとか、普段の私なら文句をつけたかもしれない。
でも、その時、私が思ったのは、綺麗だと言うこと。
いつも見蕩れてしまう深く透き通った瞳は勿論の事、艶のある髪、長い手足、日焼けの跡など微塵も感じさせない透き通るような白い肌。連れの人とだって一線を画すその姿は、寺の法師様がたまに見せて下さる絵巻物に出てくる童子や権現さまの化身かと思ってしまう。
そう、験者さまには見えないけど、それ以上のお方なんじゃないかって思えるんだ。
閉じる暇がなかったんじゃない、閉じれなかった、閉じようとも思わなかった。

不躾なまでのその視線に気づいたのか、視線が合う。

「もしかして、乾きそうにない、とか?」
「あ、いえ。大丈夫…だと思います。帰ったら、すぐに替えを用意しますし」
「そう、よかった。あまりにも強い眼差しを向けられるから、何事かと思ってしまったよ」
「すみません」
「構わないよ。第一、ヒナは、そこで身の安全を見張ってくれているのだから、謝る事はないんじゃないかな」
禊に不慣れで、淵の事まで気遣う余裕がないから、すごく助かる、と微笑まれてしまっては、立つ瀬がない。見蕩れてました、なんて口が裂けても言えないって思った。

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