戦国の花嫁■■■亡国の紅梅 湖国の菖蒲20■


正月が明けて、すぐ、あやめ殿は元服の儀を行った。
若武者姿で、凛として立ち居振る舞うあやめ殿は、まだ幼さが際立っていたけれど、だからと言って、幼稚であるわけではなく、花一揆の修練の賜物か、素地の良さか、いずれか知れなかったけれど、観衆の目を満足させた、と聞く。
もちろん、まだ柏原の人間でない私は、見ることなんてできなくて、小耳に挟んだだけの情報だけど。

元服が済めば、祝言までもう日数がない。
成人した男女が、祝言の約束があるとは言え、顔を会わせるべきではないと言うお義母さまのお言葉により、祝言当日まで、あやめ殿にお会いできないことになっている。
どんなに立派な若武者姿になったのだろう?その姿を想像して、胸が締め付けられる。どんなに素敵だろうと、私が思いを寄せてはいけない方だ。むしろ、私が失望するくらい、振る舞いも言葉遣いも何もかも、酷い方だったら良かったのに、などと考えるのは、浅はか過ぎるのだろう。
「時護に会いたい?」
にやりと人の悪い笑みを浮かべて、お義母さまが尋ねる。
時護殿。
それは、あやめ殿の元服後の名だ。名前が変わっただけで、なんだか、全然知らない人のように思える。
いっそ、何もかも知らない、初めて出会う人だったら?…なんて、馬鹿馬鹿しい。
「お会いするべきじゃないと言い出したのは、お義母さまでは?」
「建前よ。年長者として、言わねばならぬことだったの。それで、会いたくないの?」
会いたい。
でも、会いたくない。
二つの気持ちがせめぎ合う。
「分かりません。会いたいですけど、会うべきとは思えません」
「まったく、礼儀を重んじる子ね」
「いえ、時護殿が望まないのでは、と思うのです」
「時護が?」
まさか、と言って、お義母さまは笑い始めた。
まさか、会いたいと思ってる?
それこそ、まさか、ありえない。
「まぁ、二人の事だものね。見るに任せるけれど。会いたいのなら、私に分からないようにおやりなさいね。目はきちんと閉じていてあげるから」
会いに行く気など到底起きないだろうけど、お義母さまの気持ちを汲んで、ありがとうございます、と礼を述べた。

今日、会っても会わなくても、二日後には、祝言なのだ。
逃げられない。
あの瞳からも、憎しみからも。
そして、愛しさからも。

*********************************

そして、祝言は当日を迎え、恙無く式は進んでいく。
次から次へと進む儀式に付いていくのがやっと。何より、重たい花嫁衣装は、父からの最後の贈り物と思うと少し悲しかったけれど、その着心地の良さに、どれ程の気遣いをしてくれていたのかと、また嬉しくなる。
誰一人として、異を唱える者も、不快感を表す者もいなくて、内心ほっとする。
あやめ殿は、ずっと隣にいるけれど、私の頭は、真っ白な布で覆いをしてしまっているから、見えると言えば、胡座をかいたその上に乗せられた両手の拳くらいのもので、まだ一度もお顔が見れていない。
成人された姿も気になるけれど、何より、どんな表情をしているのか、何を考えているのか、それを知りたかったけれど、式ではその表情を伺うことは一度として出来なかった。

日が暮れていく。橙色の光が、全てを染めていくのをぼんやりと見ていた。
湯編みをして、床に通されてから、どれくらい経つか。客殿からは、賑やかな声が時折届くから、あやめ殿は、まだあちらにいるのかもしれない。
どきどきと収まることを知らない胸を上からぎゅっと押さえて、何度も何度も、これからの作法について、頭の中で確認する。
憎まれていようと、嫌われていようと、私の思いがどうであろうと、私は、あやめ殿の妻になったのだから、その務めは果たさなくてはならない。

ふと、約束の紅梅を見たくなり、外へ出る。
やはり花芽を付けなかった紅梅は、深雪の中その存在を主張することなく、庭の一角に立ち尽くしている。
咲かないと分かっていたはずなのに、咲いていないことが、ひどく寂しく感じられる。故郷の花が、一輪も咲かないのは、まるで、故郷の誰一人として私を見守っていてはくれないのだと、その事実を突き付けられているような気さえしてくる。
でも、私は、あやめ殿の妻と認められたのだ。その責は果たさなくてはならない。
たとえ、あやめ殿が私を憎んでいたとしても、こうして祝言を拒否しないのだから、私を妻とすることについて、なかったことにはしないつもりだと、考えてよいのだろう。
「奥方さま、時護殿が渡られます。早く、お部屋に」
とわの声に、私は頷き、最初の作法の位置についた。

次へ■■■

inserted by FC2 system