戦国の花嫁■■■亡国の紅梅 湖国の菖蒲16■


父は、鬼敦賀と言われた歴戦の将で、私の叔父である故余呉殿の配下だった。
厳めしい顔、鍛え上げられた体躯、猛々しい声、それは、強い男の証しで、男たちは皆その姿に怯んだと聞く。 私には、お馬さんや肩車をして、座敷や庭を駆け回ってくれる、優しい父でしかなかったけれど、でも、そんな父を見て育ったからだろうか、武芸をたしなみ、荒馬を軽やかに乗りこなすような強い男に、私は羨望のような好意を持つようになった。
荒事のてんで苦手な上の兄を見て、そんなに嫌なら、私が代わるのに!と駄々をこねたものだった。

そして、今、射場にいて、見つめる先のその背中から目を離すことができないでいるのは、彼が強い男であると感じているからなのだと気付かされる。時おり、ぶるりと頭を揺らし興奮する馬を両の足だけでいなし、反転させると、駆け出す間から、一の矢、二の矢と、射込んで行く。
放たれた矢は、どれも過つことなく的を射ていて、私は、思わず、歓声を漏らした。
その声に気付いたのだろうか、駆け出そうとしていたのを止めて、あやめ殿が、こちらを向いた。
「すみません、お邪魔でしたよね」
驚いたように、こちらを見つめる視線が、まるで、女がこんなところに、と責めているようなものに感じられ、私は、慌てるようにして、口を開いた。あやめ殿は、その言葉を聞くと、瞬きを三度ほどして、額の汗を拭うと、辺りを見回した。
「邪魔ではないけれど…姫君のいらっしゃるような場所ではないのでは?」
責められているような、ただ戸惑っているだけのような。やはり、どの殿方にせよ、鍛練しているところを女子に見られるのを好まないらしい。
「そうですよね」
「何かご用でしたか?」
「いえ、お義母さまへのご挨拶の帰りしな、馬の走る音が聞こえてきたので、懐かしくて…つい、足を向けてしまいました」
あやめ殿は、身軽に馬から降りると、手慣れた仕草で、手綱を手近なところに結わえる。その無駄のない動きにさえ、男らしく見え、感心する。
「懐かしい?馬にお乗りになるのですか?」
「私は、見るだけ。父や兄たちの騎馬を遠くから眺めてただけです」
「あぁ。栗谷殿の馬は、誰も乗れぬような荒馬ばかりだったと聞きましたが、本当ですか?」
「それは、噂に過ぎません。確かに、荒馬馴らしは、父の得手でしたが、実際に乗るのは、そういう類いの馬ではないと言ってました」
「へぇ、どういう基準だったのですか?」
「すみません、そこまでは、わからないです」
「そうですよね、すみません」
「いえ…あやめ殿も騎馬がお好きなのですか?」
「どちらかと言えば、鬼敦賀の真相を知りたい野次馬根性です」
冗談めかすように、ぺろり、と舌を出して笑顔を見せるあやめ殿は、いつものように少しも子供っぽさを感じさせなかった。
私は何も言い返せず、ただ見つめてしまった。
わかりきった事だったけれど、ふと、あやめ殿が、とても素敵な殿方だと思ったのだ。
初めて鍛錬をしているところを見たからだろうか、あやめ殿が、夫となる人ではなく、武士で、強い男になるのだと感じた。まさに思い描いていたような猛き武士だったから、とても心強く感じ、嬉しくなった。
「もしかして、気に障りましたか?」
「そんなことないです。あやめ殿もお知りになるほどの武芸に秀でていた父だったと分かり、逆に誇りに感じたくらいです」
自覚したばかりで、溢れてくる気持ちに蓋なんてできるはずもなく、うかれて、不自然なくらい笑顔になってしまったのは、どうしようもない。あやめ殿も、私の笑顔の裏を探るように、目がいぶかしむ。慌てて、話題を探す。
「そう言えば、以前、行護殿も父をご存じだったと伺いました」
「えぇ。兄者は、それこそ、強い武将ならどなたでも憧れてましたよ。戦で活躍する事のできる武将を、敵だ味方だなんて言って区別するなんておかしい、と。どうであれ、尊重する心を持ってこそ、武士じゃないかって」
「敵味方関係なく…尊重する」
「敵味方ほど、曖昧な関係はないですからね。その点、武芸は、誰の目にも明らかなものでしょう?」
にこりと笑うあやめ殿に、どきりとする。
それは、いつもの、あの大人びた笑みだったけれど、素敵だなって、輪にかけて思えるのは、この胸の高鳴りのせいに違いない。稚児衣装から成人に改めたら、一体、どれほど立派に見えるのだろう。
そんなあやめ殿の妻に、私がなる?
…なんだかとっても勿体ない事のように思えてきた。
そもそも、私は、兄君の行護殿の妻として、こちらに輿入れをしたである。行護殿のご遺志を尊重して、とかあやめ殿は、言ってたけど、もっとお似合いの、つまり、年相応の姫がいるのではないか。いや、いるに決まってるじゃない。
なんで、あの時、私の方から断らなかったのかと、自分を責めたくなった。
余呉の血は、武家なら欲するものだなどと考えてた自分は、本当に世間知らずだった。
そんなものなくったって、あやめ殿は、自身の力で、この柏原を守り立てていける。
だからこそ、私は、あやめ殿に惹かれたのだ。
優しいだけじゃない、あやめ殿は、話力もあり、武にも長じた立派な殿方なのだと、どうして気付かなかったのか。
気付かなかったんじゃない、私が相応しくないから、気付かない振りをしていたんだ。

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