戦国の花嫁■■■亡国の紅梅 湖国の菖蒲18■


書き終えて、兄者の許へと続く廊下を行くと、その手前の庭に、母上と彼女がいた。
「遅かったわね」
ここのところ一番の笑顔が、そこにはあった。俺だけじゃ埋められない、母上の心。それを満たそうと、彼女は、母上を思ってくれている。それが、嬉しかったけど、それって何のため?もちろん、兄者のためだろ?って、思うと、素直になれない。
「そっちこそ、何してるの?…焼香を上げるんじゃなかったっけ?」
「部屋の中で、そんなことしたら、掃除が大変でしょう?」
まぁ、確かに…。
俺は、もっともなその言葉に、頷いて、その作業を手伝う。
その合間にも、母上と彼女は、ああしたらどうか、とか、こうすれば良いのではないか、とか、ではそうしようか、とか、楽しそうに相談しながら、準備を進めていく。
あれこれと、凝り性な母上に呆れもせず付き合う彼女には、素直に感心する。俺なら、途中で投げ出しそうだ。と言うか、俺は、適当な庭石に腰を掛け、兄者への文について考えてしまってるから、投げ出したも同然なんだけど。こういう事は、女性に任せておいた方が得策だと言う事なんだろう。

兄者への文を見遣る。
結局、何を書いて良いのか分からなくて、近況を記すに始まって、それからは、思い出したように、彼女の事、紅梅の事、それに、渡された端布の事を、筆の赴くままに走らせた。こうして読み返すと、なんだか、彼女に纏わることばかりで、少し驚かされる。俺と兄者の間に、こんなにも彼女が入り込んでいたのか。母上の心だけじゃない、兄じゃの心だけでもない、俺の心にも、彼女の存在は少なくなくなっているらしい。そのことにまた気付かされて、苦笑する。
だって、自分がどうしたいのか、分からない。
端布の事だって、話せていない。話せないのは、どうしてなのか、自分でも分からない。
悲しむから?涙を見たくないから?
…きっと違う。

「あやめも、早く入れなさい」
母上の声で、物思いが途絶える。
どうやら、手の掛かった準備は終わったらしい。
腰をあげて、そちらへ向かう。
銅の器に、熱い炭が幾つかくべられている。そこには、燃え残った紙片と灰も見えたから、もう二人は、終わったのだろう。
手を合わせて、念仏を口の中で唱えてから、文を炭の上で、燃えやすいように、ひらひらと炙ると、見る見る間に、文に燃え移ったから、そのまま手を離した。炭の中に、抹香が薫るのは、何か工夫したからだろう。

不毛な事だと思ったけれど、それほど不毛でもないらしい。
燃えていく紙片を見つめながら、そう思った。

「あやめ殿、ありがとうございます」
炎から目を逸らすと、彼女の視線とかち合い、そう言われる。
礼を言われる覚えがなくて、首を傾げた。
「あやめ殿に言われなかったら、そのままずっと持ち続けてたと思います。思っていたのとは違う渡し方になってしまったけれど、気持ちが楽になりました」
にこりと告げられた言葉に、心臓が高鳴った。
兄者への思いを断ち切るために、切りをつけるために、俺の前で燃やしてくれたのか?
ふと、そんな期待が湧く。
「そうですか。僕は何もしたつもりはないですが、良かったです」
「なぁに?燃やしてしまったら、とでも、言ったわけ?」
母上が、少し茶化すように、こちらを見る。
母上を騙せた記憶などないから、多分、俺の心の内など全て見透かして、そんな物言いをしてるんだろう。
「そんな言い方するわけないよ。僕は、本当に何も言ってないし。偶然、兄者宛の文を、僕が拾って、会話になっただけだよ」
「あら?そうなの。私は、てっきり…」
「てっきり、何?」
「お義母さま、本当にあやめ殿に何か言われたわけではないのです。あのような形で、行護殿がお亡くなりになって、随分経つというのに、いつまでも持っていたことこそ、お叱りを受けても仕方ないことだったと思っています。…それに、行く当てのなかった私を、妻にと仰って下さっただけでも、感謝しつくせないのです」
一気に、心が凍てついた。
そんな風に、ちょっと僅かでも、期待した自分が、愚かしい。呪ってやりたい。
母上が、何か言ったけれど、何も耳に入らない。
気付けば、彼女の手を引いて、ひたすら、足早に、俺の部屋に向かっている。

もうどうだっていい。
だって、彼女は、俺を見てないんだから。
だったら、それで構わない。
兄者の大切な人だから、大切にしたいと願い、妻にと望んだ。
彼女も、兄者を思っているのだから、兄者の菩提を弔わせるために、少しでも、兄者の近くにいられるようにと、気を利かせたんだと、そう思えばいいじゃないか。彼女には、外戚がいないから、たとえ、俺たちが、形だけの夫婦だろうと、支障をきたすことはないし、彼女は、ただ、兄者を思い、あの紅梅を見つめていれば、それでいいんだ。そうしてあげられるようにする事こそ、彼女のためであり、兄者のためだったんだ。
彼女が会ったのは、兄者じゃなく俺だけれど、初めから、俺の入る余地はどこにもなかった。

「あやめ殿?…どうされたんですか?」
こちらを見る瞳は、不安というより、困ったような、宥めるようなものだったから、余計に俺の心は、ざわつく。全然、意識されてない。こんな風に、何も言わず、手を引くなんて、そりゃ、ガキだって思われるだろうけど。

行李から、あの端布を取り出し、彼女の手に乗せる。
「これは?」
「それは、あなたの方がよくご存じでしょう?」
彼女は、俺から視線を外し、端布を見つめた。その形状を確かめるように、広げた指の動きがピタリと止まり、大きな瞳がさらにぐっと見開かれた。
ぽつりと呟かれた言葉は、小さくて聞き取れなかったけれど、確信する。彼女の身内のものだと。
「兄者は、それを受けとるために、隊から離れました」
「行護殿が?」
「俺宛ての最後の文で、兄者は、武士として、妻の故郷を救うのは、当然だと書いていました。まだ見ぬあなたに、どれほどの情を持っていたのか、どうしてそこまで思えたのか、兄弟の俺でさえ、理解できません」
思い合う二人には必要ないかもしれないけれど、兄者の思いを、わざと口にして、彼女を縛る。
そうすれば、兄者の菩提を弔う、それこそが、彼女の務めだと、俺も彼女も、了承したことになるんじゃないかと思ったから。
また、泣かせてしまった。
大切にしたいと思ったのに…傷つけるばかりで、優しくするのは、なんて難しいんだろう。
頬を伝っていく涙を見ていられずに、俺は、部屋を出た。

≫次へ■■■

inserted by FC2 system