戦国の花嫁■■■天下人の種11■


武家の婚儀など、公家の物語にあるような情緒のあるものではない。
とは言え、己の親たちは、その例外であったらしいのだけど。でも、だからと言って、そんな夢物語のような事など、そうそうあるものではないのだ。
だから、自分の婚儀は、一般的な武家のそれだろうとぼんやり思い描いてはいたが、実際、本当に降って湧いたかのような祝言になった。
まあ、僕も十八だ。武家の嫡男の身の上としては、そろそろ潮時だったのだとは思う。打診を受けて、是と返事をする前に、花嫁は余呉のお屋敷と別れを告げていたような、いないような…戦場を駆け抜けるような、そんな迅速な動きに、断られるなんて微塵も頭にないんだろうなと思った記憶はまだ新しい。
そんな風にして、やって来た花嫁は、まずまず綺麗な顔をしていた。体つきも、そこそこしっかりしていそうだった。
僕の中にある、女子の基準を優に越えていた。僕は誰かと女子の良し悪しなんて語り合った事などないけれど、上の上なのではなかろうかと、輿から降り立ったその姿を盗み見て…いや、品定めをした。

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しかし、僕は、嫡男としての義務も、正室に対する夫としての義理も、何もかも果たさないまま、今に至っている。
これで、何夜目だろうか?数えるのさえ、恐ろしい。
静まり返った寝所で、しばらくは、僕を睨め付ける視線を背中に感じるけど、やがて、静かな寝息に変わる。それは、初めて会ってから、毎夜変わらない事だった。まあ、初めの夜は、一悶着あって末の事だったけれど、二日目に、嫡子の母となる約束をしてからは、予想外に大人しいものだった。あれは、僕の言葉ではなく、御熊野の牛王符が持つ法力のお陰と言ってもよいかもしれないけれど。
しかし、なんと、豪胆な姫なんだろうか。やはり、余呉の娘御、父親である御館様のような、何をも恐れない心を持っているのかもしれない。
それとも、男として、意識されていないんだろうか?
いくら、抱く気はないと告げていても、こんな風に安心しきって眠られると、それはそれで面白くなかった。
なんとも我が儘な奴だなと、自分でも呆れる。
ため息を吐いて、寝返りをうった。
そうして、僕は眠れぬ夜を過ごすのだ。
だって、年頃の女子がすぐ隣にいて、大人しく眠れる男などいるはずないじゃないか。
まして、相手は妻になった女子だ。何をしたって、許されるはず。寝込みを襲ったって、構わないはずだ。…とか、かなり横暴な事を考えた所で、その考えに呆れて、またため息が出る。
もう一度、寝返りをうって、妻の方に向き直る。じっと、妻を見つめてみる。僅かな灯明の薄闇の中、長い睫毛は下ろされたまま、ぴくりとも反応しないから、本当に寝てるんだろう。
そっと手を伸ばしてみるが、すぐに止まってしまう。
もう、ダメだ。無理。寝込みを襲うどころか、触れる事すらできそうにない。
でもさ、こんな事言ってるけど、僕は、女子が好きだ。それは、間違いない。ちゃんと、女子に対して、可愛いだとか、綺麗だなとか、自然と思うし、人並みに欲だって抱く。まかり間違っても、男に対して、そんな感情を抱いたことはないから、つまり、女子が好きって事なんだろう。
けれど、差し伸べてくるたくさんの手を握り返す気には、一度としてなった事がなかった。
それは、彼女たちの瞳のせいである。
皆、一様にして、あの瞳で、僕を見つめるのだ。
僕を僕として見ていない、どこか焦点の合ってない瞳が、僕から、欲をすっと奪い去ってしまうのだ。
自分で言うのもなんだけど、確かに、三国一の、なんて言われた母さんにどうしようもないくらいよく似て、顔の作りは、これでもかってくらい派手だ。悪い言い方をすれば、まるで妙齢の、美しい女子のようなのである。最悪な事に。本当に、最悪としか言いようがない。
だから、町を歩けば、誰もが僕に視線を向ける。
こんな事言うと、まるで、自己陶酔しているアホな奴と思われるかもしれないけど、変えようもない事実だった。
でも、本当のところ、誰も、僕なんて見ていないのだ。僕が誰だとか考えもしない、ただ僕の姿を、上辺だけの僕を、目で追っているだけ。
そんなのは、男が、胸のでかい女子を見かけて、おっ!と思うのと同じ事なのだとは思う。それと同様に、女子は、綺麗なものに目がないから、玉やかんざしを見るのと同じ目をして、僕を見てしまうのだろう。それについては、自分の中の感情はともかくとして、百歩譲って、理解できる…したいと思っている。実際できてやしないけれど。
でも、僕も、そんな視線を向けてくる女子に対して、本当のところ、男としての本能でもって、しっぽりとやってしまえば、それでいいんだろう。それこそ、男としての、あるべき姿だと思う。
けれど、僕が何を考えているのかとか、どうしたいかなど、まるで考えていない瞳を、見ないふりしてまで、そうしたいとはどうしても思えなかった。だって、どうしてそんな女子を好意的に感じ、この腕に抱きたいと言う気持ちになれると言うんだろう?
そして、そんな瞳を僕に向けない女子はいない。それが、僕にとっての不幸とも言えた。
だから、僕は、体は抱きたいと全力で訴えるのに、そう言った瞳を向けられてしまう事により、どうしても、女子を抱き寄せる事が出来ないと言う、何ともしがたい矛盾を抱える事になった。
そんなつまらない矜持など捨てて、欲望に従えたら、どんなにいいか。何の役にも立たない、むしろ障害にしかならない、ひねくれた心なんて、いらない。

だから、祝言を挙げれば、少しは変わるかと思ってた。女子をただ抱くのと、妻を抱くのとは、訳が違う。欲だけじゃない、義務が発生するのだ。僕は武士だ。義務と言われれば、なせない事はないと高を括っていた。

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