戦国の花嫁■■■天下人の種18■


抱き締めた殿の体は、見た目通りほっそりとしていた。そもそも、殿方などと言う者に腕を回した事がない私には、正確な判断をつけられないのではあるが、触れている感じでは、ある程度厚みがあり、それなりに筋肉は付いているようだった。あんな容貌でも、やはり、殿方であるらしい。…あんなは、失礼か。
などと、一大決心した割りに、色気のない事を、つらつらと考えいる間中、殿は何の反応も返さない。初夜の時といい、突然の事には固まる質なのかしら?
それとも、トヨの事を考えているの?
そして、トヨも、殿の事を思い、袖の乾く暇もないんだろうか?
武士ならともかく、殿が京の公達で、私が京の娘であったのなら、百歩譲って…いえ、五十歩譲って、私も胸をときめかせたかもしれない。例の、光の君だって、物怖じしそうだものね。そんな男子に、想いを傾けられたら、どんな女子だって、頬を赤らめ、微笑みをその倍にして返すに違いなく、今頃、トヨの心は千々に乱れるばかりなのだろう。
しかしながら、恋仲に割って入るような立場になるなんて、ここに来るまで、考えた事すらなかった。
そもそも、夫になる男子の心の在処なんて、武家の夫婦には大した事ではなく、ただ人の条理に則って、夜と言うのは滞りなく更けていくものだと、思い込んでいた。今だって、それが普通なのだとも思う。
そもそも、叶わぬ片想いを内に秘めながら、身に添わぬ事を強いられるのは、女子ならではのものじゃないか?むしろ、それをしていいのは、私の方よね?
成人した若武者なんて言う者は、心の情などは風の前の塵に同じで、芽生えた男としての欲にのみ正直に突き進む生き物だと、本に書いてあったのに、心に従う殿は、頑なに、たぶん備わっているであろう欲に従おうとはしない。
つまり、まるで、現実は異なっていた。
けれど、戸惑っている暇は、私にはない。男子としては希少な存在を、遠路遥々、物見遊山しに来たのではなく、その男子に嫁ぐために来たのだ。すべき事は、現実がどうであろうと、変わる事はない。
殿が誰に心をくだこうと、そして、その誰かが同様の想いを返そうとしていても、私にとって、そんな事は、知った事ではないのだ。慕うだの、恋だの、なんて言う、心の通い合いは、私に構わず勝手に、思いの丈交わし合ってくれればいい。その方面については、私は正室振って、やいのやいの言うつもりは、嫁ぐ前からないのだから。
でも、殿の子種を望みのまま受ける権利だけは、トヨどころか、何人にも譲るつもりはなく、また、それは当然の事であると確信できたので、今の状況を、野暮だなどとは思わないし、何の罪悪感もなかったから、迷いなく殿の温もりを感じていた。

それから、また、暫くして、殿の手が、私の両肩に添えられる。 私は、期待を込めて、ゆっくりと視線を上げた。
深更の瞳が、私を見つめていた。何を考えているのだろう。深い漆黒は、いつもより暗さを増しているようにも見受けられた。
「す…」
す?…す?もしかして、すき、とか?
心臓が一つ大きく跳ねる。まさかね、殿は、そんな事を気軽に口にするような男子ではないだろうし、私を好きなわけない。
でも、ようやく待ちに待った時が、訪れるのだ。そんな確信を持ち、心が躍り、体はうち震えた。
殿の次の言葉を待つ。
「すごい汗だから、着替えた方がいいよ」
「え?」
「だから、汗。そのままじゃ、きっと風邪を引く」
着替えを頼もうか?と殿は続けた。
「いえ、自分で。…では、着替えてきます」

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