戦国の花嫁■■■天下人の種24■


あいつへの思い。
それは、今までに経験した事がない、五里霧中ってくらい、何をどうしていいのか分からない事柄だった。
何しろ、僕の思いは、トヨを困らせるだけ、とか思って、恋歌の一つも詠んだ事がなかったのだから。
トヨの事を思って、悩んだし、苦しんだ。これが、恋なのだと思ってた。
でも、それとは比較にならなかった。だって、全然違う。僕の心の全く違う場所を掻き乱して、ぎゅと締め付ける。こんな気持ち知らない。なんで、こんなに苦しいんだろう。人を思うって、辛い事なんだろうか?
「そんな顔なさらないでください。ますます、要らぬ女子を寄せ付けてしまいますよ?」
トヨは、僕の心中を知ってか知らずか、またしても軽快に笑った。何より、聞き捨てならない、不穏な事を言われ、俯いてた顔を上げる。
「なんでさ?」
「ただでさえ、その綺麗なお顔に、人は惹き付けられてしまうのです。その上、そんなお顔が苦悶で歪んでしまっているのなら、少しでもいい、和らげて差し上げたい。若い娘なら、誰しもそう思うのですよ」
考えもしない事を言われ、ぎょっとする。それが事実だとするのなら、勘弁願いたい。そんな不特定多数に、慰められたいとは到底思えなかった。
いるとすれば、ただ一人だけだったけど、その姿を上手く思い描く事ができない。
だって、あいつは、僕が苦しんでいようと、そんな事お構いなしに、平然と、約束はまだか、子種が欲しいって言うに違いない。
切なすぎる。
「そうだとしても、唯一、例外がいそうだけどね」
「果たして、そうでしょうか?」
「何、違うとでも言いたいの?」
「それは、私の存じ上げる事ではありません。それに、例え、そのように思われていなくても、若様が振り向かせればいいだけの事です」
振り向かせる。
僕を好きだと思ってもらう。
僕に笑顔を見せてくれる。
「そんな事、できるのかな」
「若様は、美しく、強い若武者なのですよ?そんな若様にできなくて、一体、どんな男子ができると言うのでしょう」
トヨは、おかしそうに笑う。
僕なら、あいつを振り向かせる事など、他愛もないとでも言うかのような口ぶりだ。僕自身は、微塵もそんな事、思えないと言うのに。
「でも、若様に足りないものがあるとすれば、きっと、勇気でしょうね」
「勇気なら、ある。僕は、武士だ」
確かに、トヨに対して、強硬な態度を取った事がないから、トヨは知らないかもしれないけど、だからって、見くびってもらっては困る。勇気なくして、戦場では戦えない。そして、僕は、それを何度も経験してきた。
「戦場では、そうかもしれません。でも、ご自分の思いを告げる勇気をお持ちでしょうか?」
またしても、トヨの言葉に詰まった。
でも、核心をついているなと思う。
自覚したばかりだけれど、あいつの事を思うと、辛く、苦しい。
でも、それは、あいつを振り向かせれば、それで済む事だ。
つまり、思いを告げればいい、ただそれだけの事なのだろう。
告白なんてした事がないけれど、確かに、それは、勇気の要る事のように思えた。沢山の告白を聞いてきたけれど、そんな風に考えた事は一度としてなかったな。思えば、皆、清水の舞台から飛び降りる気かって感じで、強い意気込みをしていた気がする。
女子でさえ、その小さな体で、自分の思いを告げられるのだ。何を恐れる事があるだろう。
「僕は、武士だ」
そう、僕は、武士なのだから、何者よりも怯まず前へ突き進む強い心を持っているのだ。
しっかりとした決意を口にする。
その言葉に、トヨは、嬉しそうに笑ったから、僕も連られて笑う。

「随分、楽しそうですね」
突然の言葉に、振り向くと、あいつが立っていた。僕の事など何とも思っていない、なんの感情も宿さない、栗色のいつもの瞳。僕が、他の女子と話していても、気にも留めない、そんな冷たい色に見えた。
「いつから、そこに?」
「さて。聞かれたくないお話でも、されていたのですか?」
「質問をしたのは、僕だ」
「これは失礼を。ですが、決して盗み聞きなどいたしません。ただ理解をしていただきたいと思って、声を掛けました」
「理解?」
「牛王符に誓われた約束をお忘れですか?」
含みのある言い方に、トヨは、すぐさま膝を着き、平伏する。僕は、その腕を掴み上げた。
「トヨ、そんな事しなくていい」
「若様」
ふるふると首を振るトヨ。
トヨには、何の落ち度もない。まるで、僕を誘惑する女子の一人であるかのような言い方に、無性に腹が立った。
違う。それ以上に、あいつの言葉が、僕の胸を突き刺していた。
牛王符に誓った約束。
嫡男を産ませる約束。
僕の事など、砂粒ほども思っていないと言う証しだ。
「庇うのですね」
「トヨは何もしていない。それは、少し見ればわかる事だ」
「たとえ、何をしていなくても、殿のお心を惑わせています。それを責めずにいられますか?」
「ありもしない責めを押し付けるな。トヨに詫びろ」
「何と?」
「トヨに詫びろ、と言ったんだ」
「それは、約束を守るつもりがないと言う意味ですか?」
約束。
嫡男を産む、役目。
子種が欲しい。
心さえ、僕にくれたら、そんな望み、簡単に叶えてやるのに。
でも、僕の心は、一気に冷めていく。
「聞こえないの?僕は、トヨに詫びろ、と言っているんだ。口応えしろとは言ってない」
「若様、お止めください。全て私が悪いのです」
「トヨは黙ってて。これは、僕とこいつの問題だ」
トヨの言う通り、止めるべきなんだろう。詫びさせたところで、あいつの心は手に入らない。何の益もない。 僕は、一体、何がしたいんだろう。
「約束さえ守っていただけるのでしたら、いくらでも詫びましょう。ですが、そうでないと言うのなら、例え、殿のご命令でも従い兼ねます」
その瞳に宿るのは、強い意志だった。何人にも変えられることの出来ない強い意志。自分の血の何たるかを少しも省みないで、こんな先細りをする地に嫁す。それは、僕が、こいつにとって、何人にも変えがたい唯一無二の存在であるからではない。ただ単に、僕の子種が欲しいからじゃなくて、僕の子種が、また、天下人の種となると信じての事。
そんな考えに、ぎゅっと締め付けられる心に顔をしかめる。
でも、僕がどんなに思い悩もうとも、トヨの言った通りには、決してなりはしない。
「詫びろ」
「殿」
「聞こえないの?」
お互いに、視線を反らす事なく、睨み合う。確実に、僕への感情は、憎しみに染まっているに違いない。
なんて馬鹿馬鹿しい時間だろう。
それでも、やはり、止める気にはなれなくて、更に目に力を込めると、妻は、眉にシワを寄せ、不快な感情を露にして、視線を外した。
そして、トヨの方を見る。
「…あらぬ疑いをかけ、すまなかった」
絞り出すような低く抑えられた声は、臥薪嘗胆を誓うような屈辱に満ちたものだった。
トヨは、すぐさま、また同じようにして、膝を着き、頭を低くしたので、抱き起こそうとは思うものの、体が動かなかった。
妻が、再び、僕を見る。
「約束は、必ずお守りください」
口早に、そう言うと、優雅に踵を返していった。


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「若様は、阿呆ですか?!」
あいつが去って、僕が力なく縁側に座りこんだところで、トヨが心底呆れた声で言う。
阿呆か、そうじゃないか?そんなの分かりきった事だ。
「…仕方ないじゃないか。約束、約束って、僕の事、何とも思っていない奴には、あれくらいさせるべきなんだよ」
「愚かすぎます。なんて、幼稚なの」
愚かだし、幼稚だ。そんなの分かってる。
「じゃあ、どうすれば良かったと言うのさ?」
「若様には、勇気があると仰ったじゃないですか」
ぎくり、とする。
思いを告げる勇気。
思いをあいつに告げたら、どうなるんだろう?
あの、射貫くような栗色の瞳は、まっすぐ僕を見つめてるのに、なんの感情も見せないまま、なら、子種を注ぐのに躊躇いはなくなっただろう、好いた女子の体、自由にすれば良い、私は子種さえいただければ、どうされようと構わぬと、冷たく返されるだろうか。
そんな事、絶対に嫌だ。
繋がるのは、体だけじゃなくて、心も、ずっと深いところで繋がっていたい。
だから、詰まるところ、僕は僕の持てる勇気を総動員して、あいつに、この芽生えの恋心を伝えて、理解させて、思いを返えさせたい。それに尽きる。
やっぱり、それに必要なのは、勇気、なんだと思った。
「もちろん、僕には、あるよ」
「でしたら、早く、行ってください」
「え?」
「きっと、奥方様だって、若様の態度に傷付いておいでです」
トヨには、あいつの事が、良いとこの武家の姫様に見えてるんだなと思って、苦笑いする。だって、あいつの事だ、傷付いてはいないだろうと思う。
しかし、傷付きはしないだろうが、武家の娘、しかも、あの御館様の娘御が、下仕えの農民の娘に、謝意を述べさせられたのだ。どれほどの屈辱だっただろう。
先程の声と表情を思い出す。
嫌われるって、あんな感じだろうか?
あぁあ…怒りって、とんでもない事をやらかすな。

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