戦国の花嫁■■■天下人の種27■


山手独特の朝霧が立ち籠める、ひんやりとした空気を貫くようにして、颯爽と一つの矢が、しんと静まり返った射場に音をもたらす。そのまま、矢は長く弧を描き、八町ほど先にある稲藁に突き刺さった。その流れのまま、同じようにして、弓が引かれ放たれた。僅かばかりずれて、矢は稲藁に突き立った。

久々に思うように弓が引けている感覚。
ほぅ、とため息が出て、その後、自然に笑みが浮かんでくる。

僕は、なんて幸福者なんだろう。

再び満足に弓が操れるから。確かに、それもある。武士として、得手を失うのは、おまんまの食い上げどころか、討ち死に直結だ。
けれど、今、僕がいるのは戦場ではないから、そんな事はどうでもよかった。いや、よかないけど。
そんな武士の本分すら揺るがしてしまうくらい、ウミの国より迎えた妻の存在が、僕を幸せにするのだ。
なかば押し付けられるようにして、迎えた妻をこんなにも好きになれるなんて。体を重ねる事が、あんなに気持ち良いなんて知らなかった。

あれから、三日目。
僕の頭は、夜だけじゃなく昼間でも、虫がわいてるんじゃないかってくらい、春だった。
至福の一時を思い出して、人には見せられないような笑みを浮かべる。
きっと、誰もが呆れる表情をしてるに違いない。

もう一度思い出し笑いをしたけれど、ふと、考えが過る。
あれ?なんか、僕ばっか、気持ち良くなってないだろうか。妻を満足させられているだろうか。特に、逸物を妻に収めてから、妻は良いと言ってくれた事が、果たしてあっただろうか。あったかな?えっと、どうだろう?どうかな?…。
そう思ってからは、何だか、本当にそうな気がして、居ても立ってもいられなくなった。
うろうろとその場を落ち着きなく動く。
もう少し、ゆっくりしてください、とか言う妻の可愛いお願いも何のその、僕のお馬さんは野馬そのものだった。嫡男のする事ではないと、荒馬馴らしをしてこなかったせいだろうか。僕は僕をうまくいなせないでいた。
しかし、後朝の床の中で、そんな事を公然と言ってのける妻の事だ、もしかして、挿れてすぐ果てる僕を、こいつ、下手くそだなとか思ってたりするかもしれない。いや、絶対、思ってるに決まっている。至福だった三日が、見定めの時でもあったのだと気付く。
僕は、少しでも、妻に対する献身さを見せただろうか?明後日の方向にばかり頑張ってた気がする。
どうしよう、下手すぎて、愛想尽かされたら。それどころか、すでに、もう遅いのではないか。

僕は、大好きな弓の時間を放って、駆け出した。
しかし、駆け出してみたものの、一体、どうしたら良いんだろうか。
そんな迷いに、すぐそこの角を曲がったところで、立ち止まる。
短すぎて、妻を満足させられてないんです。
なんて、男としての沽券に関わるような事、他人に、どうして言えようか。
まして、そんな事を気軽に相談できる相手が僕にはいなかった。経方が生きていれば、少しは違ったのかもしれないけれど、残念ながら、経方はもういない。
他に考えてはみるけれど、適当な者の顔が一向に思い浮かばない。
何しろ、この手の話題は、禁忌だったからね。この屋敷で、僕に女子の話をする輩は、一人としていない。いるとすれば、父上くらいのものだが、それも、早く良い娘を見つけろ、女子は良いぞ、くらいのものだった。相談相手になんて、なりはしない。
でも、これは、死活問題だ。早急な判断が求められている。
しかし、恋の経験が皆無の僕には、一人で乗り越えられる気が全くしない。乗り越える前に、絶対捨てられる!

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