戦国の花嫁■■■天下人の種29■


それだと言うのに、あはは、と兄者が突然笑い出した。
「何で笑うのさ!」
「悪い。お前があんまりにも一途なもんだから、つい、からかいたくなっちまった」
「からかうって何?僕がどんな気持ちだと」
悪い、悪い。と兄者は、悪びれずに言うと、また笑い出した。
面白くない。
「安心しろ。まあ…綺麗だとは思うけどな。だけど、あの姫さんは、俺の好みじゃない。俺は、可愛い系が好きだからな。思いを寄せるとすれば、こう、もっとふんわりとした綿のような女子が良い」
兄者が、女子の好みを言い出すとは思わず、少し突っ込んでみたい気がしたが、今はどうでもよかった。ただ、兄者も、普通に女子に興味があるのだと知り、安心する。僕が落ち着いたとしても、まだその道を進むわけではなさそうだ。
「兄者にそのつもりがなくても、あいつがそのつもりだったから、どうすんのさ」
「どうするって?…据え膳か。食わずにいられないかもな」
「兄者!」
また、兄者は、あははと笑う。
「悪い、悪い。つい、また出来心がな。しかし、お前が、こんなに取り乱すなんて、いつ以来だ?」
そう、僕だって、元服を済ませた一人前の武士。並大抵の事では、動じず振る舞うようにしているんだ。
「知らないよ」
ぶすっとして返す。もうどうにでもなれ、大人な僕なんて、糞食らえだ。
そもそも、何でこんな話になったんだろう?兄者に助言を求めに来たはずじゃなかったっけ?何で兄者とあいつとの仲を疑う事になったんだ?
「昔は、何かあると、すぐに泣いてたのにな」
「それ、いつの話さ」
「さあな、でも、俺には、つい最近の事のように思えるんだよ」
しかし、もう泣いてない、とは言い返せなかった。
ほんの数日前に、感極まって、号泣したばかりだ。
「しかし、祝言のあの表情を見た時には、どうなる事かと思ったが、まとまるもんはまとまるもんなんだな」
兄者は、急に表情を変えて、僕を見たから、目を瞬かせる。
「え、何、表情?」
「気付かなかったのか?姫さんの、あの驚きよう」
「ああ…それ。そんなの、どんな人だろうが、同じ反応をするじゃない」
祝言の中、あいつが、こっそりと僕を窺った事を言ってるんだろう。
僕の顔の作りに、はっとするなんて、別に珍しい事じゃない。
まあ、かなりがっかりはしたけど。
兄者はと言うと、僕の言葉に、怪訝そうに眉をしかめた。
「あれは、そんなもんじゃなかっただろ。むしろ、逆の感情だったんじゃないか?」
「逆?」
「お前、やっぱり、気付いてなかったのか。いつも通りすましてるけど、お前も驚いてるとばかり思ってたんだが」
「どういう事?あいつ、どんな表情してたの?」
「どんなって…なんだ、こいつは誰だ!みたいな表情だったな。まあ、動揺したのは、ほんの一瞬で、すぐに平静を取り戻してたけど、すごい表情だったぞ?よほど、思い描いてた人物像と駆け離れてたんだろう。一体、どんな奴だと思ってたんだろうな」
「でも、僕を初めて見る人は、大抵、そう思うものでしょ?」
「だから、そう言う驚きとは、逆の方向だったんだっての」
「逆って、何さ?僕を醜男とでも、思ったって事?」
「まあ、そうとまでは思わなかっただろうが…がっかりはした感じだったな」
「がっかり?」
果たして、生まれ付いてからこの方、他人と接して、容貌についてそんな風に思われた事はあっただろうか?少なくとも、そう感じさせられた記憶はない。
つまり、初めから、僕の顔立ちは、妻のお気に召さなかったって事?あの瞳で、僕を見た事がないって事? まさか、そんな事って、あるだろうか?
「俺だって、信じられなかったが、確かに、お前をちらりと見た時の表情は、失望に近いものがあった。お前を見て、そんな顔する奴なんて、いないと思ってたが…余呉の姫さんともなると、違うもんなんだな」
「ねえ…それ、ほんと?」
「ほんとも何も。第一、お前、姫さんに、陶然と見つめられた事があるか?」
「ない」
即答する。
一度として、あいつの視線をそんな風に感じた事はない。兄者を熱っぽそうに見つめるのは、見た事があるけど。
じゃあ、つまり、何?あいつは、僕の何が、好きなわけ?
えっと、確か…心技体をすべて兼ね備えてる…理想の人とか、言ってたっけ?
…。…。…。
何、それ、曖昧すぎるよ!そもそも、それって、やっぱり、僕の思う好きと違うくないか?
あの時、なんで感動できたり、泣いたりしたんだろ?
「だろ?いい嫁をもらったよな。あの姫さんじゃなきゃ、お前、一生童貞だったんじゃないか?」
なにせ、どうしようもないくらいの潔癖性だからな、と笑う兄者に、僕は絶句した。
そりゃ、女子と親しくした事なんて、なかったさ!
確かに、童貞だったさ!
だからって、自分じゃない誰かの口からそんな事言われるなんて、屈辱だった。
「兄者!」
「別にいいだろ?ほんとの事なんだし。それに、もうそうじゃないんだから、いちいち狼狽えんなよ」
にやりと、兄者は人の悪い笑みを浮かべた。
確かに、いつ、筆下ろしをしたかなんて、大した事でもないのかもしれない。その経験のなさが、今の僕を窮地に追いやっているような気がしないでもなかったけれど、今は、そう思う事にした。
何しろ、今は、そんな事、重要ではないのだから。
「兄者…」
「うん?」
「僕って、どんな男かな。気に入るようなとこ、あるんだろうか?」
言いたかないけど、僕の最大の特徴は、この容貌だ。まあ、それに誇りを持った事なんて、一度としてないけれど。
あとは、平々凡々。武士としても、ある程度、得手があって、普通に、そこそこ、戦える。武勲を挙げる運もある。そんな程度。まあ、自分の力量は、まだまだだとは思うけれど、自信がないわけでもない。どんな戦場でだって、怯まず果敢に立ち向かえるくらいの心と体は備えているつもりだ。
けれど、そんなの、本当に、他の若武者の奴等だって同じように持っているものだったから、好きになってもらう長所とも思えなかった。
ますます、あいつが、僕を選んだ理由が分からなくなる。
「あー…お前の場合、顔ばかり目当ての女子が大半だからな。戸惑うのも無理はないか」
自分だけじゃない、兄者だって、そんな評価を下す。やはり、つまり、そう言う事。
「僕って、顔しかないのかな」
「なわけないだろ?ただ、顔が強烈なせいで、他の長所が霞んじまうだけで、お前にだって、女子心をときめかせるようなとこがあるさ」
「それって、あいつも、ときめくのかな?」
懇願するような僕の瞳に、兄者は困ったように、肩をすくめた。
「女子一般の話ならともかく、姫さんの気持ちは、姫さんに聞け。俺は、知らん」
確かに、それはそうだ。
好きだとは言ってくれた。笑ってくれる。
でも
「なんか…僕ばかり、気持ちが大きくなってる気がするんだ」
「お前は、恋に疎かったからな。未熟者は、誰しも不馴れなもんだよ」
ほんとに、トヨへの気持ちは、恋じゃなかったんだと思い知らされる。
こんなに恋しい気持ちを僕は知らなかった。
「でも、それじゃダメなんだ。そんなんじゃ」
捨てられる。
とは、切羽詰まっているとは言え、なかなか言えるものじゃない。
「そんなんじゃ、何なんだ?」
「それは…」
その後、とんでもない労力を使って、なんとか絞り出した言葉に、兄者は、今日一番の笑い声を挙げた。

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