戦国の花嫁■■■天下人の種後日譚01■


「ねぇ、それ、本気なの?」
今まで、気にも留めていなかった、いや、あえて触れてこなかった事を口にする。
「冗談に聞こえますか?」
何を当たり前な事を確かめようとするのって表情の真顔で返される。
冗談だと信じたい自分が、変なのだろうか?いやいや、天下人を産むと豪語する方が、変じゃないかな。うん、変だよ。
「えと、天下人って、あの天下人だよね?」
「他に何がありますか?」
今の情勢を知らないのだろうか?実の父親が、どの程度の勢力をこの国中に張り巡らしているのかも。
でも、この妻がそんな事、知らないはずはないと思い直す。
「でもさ、ほら、今、天下人と言えば…御館さまじゃないかな?」
「そうかもしれないけど…でも、今は、乱世なのです。下剋上を夢見ない殿方なんているのかしら?」
「下剋上!?」
「何をそんなに驚くのですか?殿は、優れた若武者ですのに」
その表情は、下剋上を夢見ない方が、おかしいとでも言いた気だった。
確かに、男として生まれたからには、誰に頭を下げる事もなく、天下の政治を動かしてみたい、と思わないでもない。だが、それは夢のまた夢。夢とさえも呼べない、どんな男でも普通に持っているだろう、ただの男の願望だ。普通、どんな有能な武将の許で、どうのしあがって行くのか、そう考えるんじゃないだろうか?
それに、今は、お館さまの下、天下がまとまろうとしていたから、その中で、自分を高めようと努力はしても、下剋上を夢見ていつかは立ち上がろう、など考えた事もなかった。
「いや、それは…どうかな」
「殿は、天下を望まないのですか?」
またしても、本気なのか?って、表情に、こっちが困る。
天下なんて、この国の大事、若輩な僕が思いめぐらすようなものなわけないじゃないか。いや、お館様は、若い頃から、天下を思い描いていたのかもしれないなとは思うけれど。自分で言うと悲しくなるけど、僕の家は、そこそこ名のある家柄であるからこそ、とうの昔に盛りを過ぎているんだ。お館様を低く見るつもりなんてないけれど、余呉と言う、新興の家に生まれたからこそ、お館様は、天下を夢見れたんじゃないだろうか?僕の場合、元、下剋上の上の立場だったわけだから、これ以上落ちないよう画策する方が、大切だと思えたし、そのように躾されてきた気がする。
しかし、今、ここで、望んだ事なんてないって言ったら、男として見てくれなくなるだろう。ただでさえ、この容貌に、妻はときめいてくれないのだから。
「いや、そうだね、望まないわけでは…ない、かな。うん」
みるみる眉根に皺が寄る。言い方を誤ったようだ。自信無げに言ったのが、伝わったんだろう。
「ううん、やっぱり、そうだよ、天下は欲しいね。なにしろ、僕は、武家に生まれた男だもの!」
一体どの口が言うんだろう。恋心って、凄まじい。とんでもない事を言わしめる力を持っている。
願わくば、この会話を、誰も聞いてない事を祈るのみ。こんな片田舎だから、噂なんて広まるわけないけれど、ひょんな事で、お館様に知られでもしたら、僕の命は、露同然だ。
しかし、妻は、僕のやけくその言葉に満足したらしい。にこりと笑った。
あぁ、良かった。
「でもさ、なんで、天下人なの?」
「天下人を産む。女子に生まれついた私にできる最上の事は、それくらいです」
天下人の娘は、天下人を産むものなのだろうか?いやいや、天下人は、天下人の奥さんから産まれるものだろう。と言うか、天下人は、お前の父親だよね?どうやって、その地位に就くのさ?そこをちゃんと確認できない自分。返ってくる答えが、耳にする事さえ憚られる、恐ろしいものなんじゃないだろうかと背筋が凍る。
「えーと、普通、武家の女子は、婚家の嫡男を産みたいって、思うもんじゃないかな?」
「それも叶えた上で、私は、天下人が産みたいのです」
そもそも、天下人って言うのは、産もうと思って、産めるもんなんだろうか?
理解に苦しむ。
「なんで、そこまで強く願うの?」
「女子では、天下人になれないからです。だったら、産むしかありません」
「え?なに…えと、天下人に、なりたいの?」
「天下人の座は、栄達の極みですよ?今、殿もなりたいと言ったではないですか」
「あ、うん、言ったね」
「それとも、女子が望むなど、おこがましいとでも?」
「いや、そんな風には思わないよ。今までの歴史の中で、女帝だって、いたわけだし。でも、何て言うか、今は戦の世だから…女子がって言うのは、なかなかと…難しいんじゃないかな、と思ったりするんだけど」
「ええ、たとえ、巴御前のように弓が持てたとしても、女子の身では、人は集まらず、夫の下でしか働けない事でしょう。だから、私は、天下人を産むと決めたのです」
「それが、女子のできる最上の事?」
「はい。小さい頃は、女子でも、天下人になれるのだと思っていたんです。だから、剣のお稽古の真似をしては、乳母を困らせました。でも、なれないって気付かされてからは、誰もが見惚れる女子になろうと決めました」
確かに、妻は、剣の稽古の真似事をしていた面影もないくらい、女性的で、武家の姫らしい素養を備えている。
「そうすれば、どんな殿方との縁談も断られないって思ったんです」
そもそも、お館様の娘御が、縁談を断られるなんて事はないような、とも思ったけれど、そこに胡座をかかないで、切磋琢磨した妻に感心する。
しかしながら、何とも壮大な夢の一翼を担わされたものだなと思う。
天下人の種を宿す男、か。
「それが、僕?」
「そうです。余呉のお屋敷に集まる色々な噂に耳を傾けて、悩みに悩んで、殿に決めました」
「なんで、僕だったの?」
僕は、お館様に選ばれたのではなく、妻に選ばれたのだ。
初めて肌を重ねたあの日に知らされた、思いもよらなかった事実を、今ようやく確認する。
「殿のお噂は、弓が非常に得意な事、知略にも長けていると言うものでした。そして、何より、功名を収めている実績です」
「えーと…それくらいの男なら、他にもいたんじゃない?」
ちょっと考えるだけでも、幾人か思い浮かぶ。むしろ、僕は、有象無象の若武者達の筆頭と見定められるほどのもんだろうか?いや、そうだったら光栄だし、そうありたいとも思うけれど。
「え?…そうね、いたわ。だから…後は…勘かしら?」
考えるように、少し間を置きながら、そう言うと、にこりと笑みを見せた。
冷たい印象を受ける顔立ちの妻が、こんなにも可愛い笑顔を見せるなど、思いを通わせるまで、僕は思ってもいなかった。朝だと言うのに、もう夜が待ち遠しい。
しかし…勘か。何とも心許ない理由だな。でも、選ばれた偶然に感謝しなくちゃ。
「でもさ、僕の姿についての噂とか、聞いてなかったの?」
「姿?…耳にはしていたような。でも、容貌なんて二の次だったから」
醜男は嫌だ、おっさんは嫌だ、と言って憚らない姉妹達を思い出す。それを聞いて、我が儘だな、強い男ならそれで十分じゃないか、とか思ってたけど、でもさ、そっちが普通の女子だよね?と、肩を持ちそうになる。現実はどうかしれないけれど、ある程度、理想像とかさ、こんな容姿がいいとかさ、心遣いが細やかな人がいいとかさ、未来の夫に対して思い描く夢が、あるもんじゃないの?…功名を挙げてるとか、がちで、子種の事しか考えてないんだな。
でも、妻は、夫になる男の容姿など気にも止めていなかったのだなと、改めて思い知らされる。それが、すごく心地よかった。
妻を抱けば、僕の中の女子観が、多少なりとも変化するのではと思っていたけれど、全くと言って変わらなかった。むしろ、益々苦手になった気がする。きっと、これからもそうなんだろう。

こいつは、沢山の若武者の中から、僕を選んだ。むしろ、僕でなくても構わなかったはずだ。でも、僕には、こいつしかいない。
本当に、本当に、偶然に感謝しなくてはならない。

■FIN >後日譚02■■■

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