戦国の花嫁■■■天下人の種後日譚02■


「惟祐殿?」
「うん、滝瀬清祐殿の息男。兄者と並ぶくらいの剛力なんだ。知らない?」
滝瀬惟祐。剛力の男子。
そう言えば、数あった夫の候補に、そんな名が連ねてあったのを思い出す。今ここで、そんな記憶の事を口に出すなど、できやしないけれど。
「思い出しました。束田の戦では、大変な働きをされたと聞き及んでます」
「ああ、そう、それ!僕は、ちょうど山手にいて、そこから、見てたんだけど、それは、凄かったんだ。槍一本で、あそこまでできる武士は、そういないって思ったよ」
にこりと機嫌良さそうに、殿は笑うと、とても自慢気な表情をして、滝瀬惟祐の武勇譚を語り始めた。まるで、自分の事のように嬉しそうな口ぶりから、親しい間柄なのだと察する。
「それでね、惟祐殿から、文が届いたんだ。お館様の許に参上する用があるから、その帰りに、こっちに寄ろうと思うって。花嫁の顏を是非拝見したいって言ってきてるんだけど」
「殿の大切な御戦友とあれば、私とても、丁重におもてなしをさせていただきたいと思います」
私は、余呉の娘だ。奥座敷で、極身近な者と、花を生けたり、歌を詠んだり、笑いあったりして、育ってきた。他所の殿方と話をするどころか、視線を交わしたりさえ、してこなかった。
しかし、殿が言う所の、花嫁の顏をって言うのは、祝言の時のように、私は上座にいて、扇で顔を隠して、一言も発する事なく、惟佑殿の口上を聞くって言う事ではなく、文字通り、顏を見せ、にこやかに会話を交わせ、と言う事だ。
私が、若侍風情の相手をする?母がそんな事をしている姿など見た事がなかったから、自分の事だとは言え、上手く想像できない。でも、考えてみれば、正室が客人をもてなす、そんな家格に嫁いだのだと、今さらだけど、思い付いた。言われてみれば、そんな風にするのは、これが初めての事だった。
殿の知人を接待する。してみた事も、すると想像さえしてこなかった事だけれど、上手く立ち回って見せる。 私は、殿の妻なのだから。

‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡

それから、十日くらいして、惟祐殿が、この地を訪れた。
父を訪れた一行とは、別にして、ほぼ単身と言っていいほどの人数だった。本当に、親しい友人をついでに訪ねた、と言った感じだ。
どんな方なのだろう?
殿の言った、剛力の方、と言う印象しかない。
やはり、輝宗殿のような、たくましい殿方なのだろうか?期待に、胸が踊る。

「奥方様には、お初お目にかかります、滝瀬惟祐にございます。夫君には、戦場で、度々世話になっております」
丁寧な言葉遣いと共に、深々と頭を下げたのは、私を余呉の娘と見なしての態度だろう。そうしてから、面を上げた、その容貌に、私の胸は高まった。
なんて、立派な若武者なのだろう。
そう考えると同時に、私の中の殿への思いが大きく奮い立ったから、慌てるようにして、でも、何でもないかのように、そっと目を伏せた。
「則房の妻にございます。惟佑殿のお噂は予々存じております」
「奥方様のお耳に入るとは、それはそれは、働き甲斐があると言うものです」
豪快に笑う姿は、いかにも剛力の者らしいなと感じ、自然、こちらも笑みが浮かぶ。
「俺の方も、奥方様のお噂は予々」
「私の、ですか?」
私、人の口に上るような事したかしら?
「えぇ、余呉の五の姫様と言えば、お館様が、数おられる姫君の中でも、ひとかたならず、かしずかれておられる姫。目の肥えたお館様に適うその器量はどれほどのものかと、若い衆の憧れでありました」
「そのような噂が?」
「俺の耳にも入ってた噂ですよ。お会いしてみて、驚きましたが。何しろ、噂以上の美しさでしたからね」
いつもの人の悪い笑みをして輝宗殿が付け加える。でも、輝宗殿のような殿方に褒められて、悪い気はしないので、にこりと笑った。
「まぁ、お上手です事」
「ご謙遜を。かつて、三国一と謳われた、則房の母君にだって、恥じ入る事なく、肩を並べられる事でしょうに」
そこまで言われると、背中がむず痒くなる。
お世辞も、加減が必要だ。
だって、お義母さまのお美しさと言ったら、どんな腕のある絵師さえも、描ききれないほどなのだから。今でさえ、そう感じるのだから、瑞々しく若くあられた頃は、一体、どれほどの若者の心を焦らし、切なくさせた事か、想像もつかない。
父上に伺候される方々だって、ともすれば見劣りするかもしれないのに、私なんか、自分を甘く見積もったところで、上の下が関の山。そんな、お義母さまと肩を並べられるわけないじゃない。並べるとしたら、むしろ、殿?
そう思って、ふっと殿を見た。その視線に合わせて、惟佑殿も、輝宗殿も、殿を見る。
視線が集まった事に気付いたのか、そうでないのか、特にこれと言って、殿は反応を示さなかったから、場が静まる。

「大事な用を思い出したので、これで失礼します。惟佑殿、ごゆるりとお過ごしください」
脈絡なく、突然、殿がそう言って、行くよ、と私に視線を寄越す。
大事な用って何かしら?心当たりがないわ。
維佑殿と輝宗殿に挨拶をして、辞した。二人とも、にこにこと笑って、若いって良いななどと話し合っている。礼を失したとは思われていないらしい。
ほっと息を吐いて、足早に歩く殿を追いかけて、寝所に辿り着いた。
なんで、ここなのかしら?
維佑殿をもてなすのに、何か思い出した事でもあったのかとか思っていたので、首を傾げる。
「何、あの表情」
加えて、またしても、脈絡のない事を、殿が言ったので、さらに首を傾げる。殿は、心なしか機嫌が悪いようだった。まるで初めて会った頃のような、寄せ付けないような、そんなよそよそしさがあった。
「あの表情、ですか?」
誰の事だろう?私だろうか?
分かんないと言った表情をする私に、殿は見た事もないような冷たい笑みを見せる。
「自覚がないの?」
「私、ですか?」
「そう、お前だよ」
「一体、何の事ですか?私は、ただお客様をおもてなししようとしていただけです」
そうだ。こんな非難の眼差しを受ける筋合いはないはずだ。そもそも、どうして、殿は急に機嫌が悪くなったんだろう。惟佑殿の訪問を喜ばれていたと思ったのに。
「へえ、ただの客に、あんな表情をするの?」
喧嘩腰で言われたら、こちらだって買いたくもなる。むっとする。さっきから、一体、何だと言うの?
「あんな表情とは、どんな表情なのです?はっきり仰ってください」
「惟佑殿の事、良い男だと思ったでしょ」
そう言った殿の言葉に、唖然とする。
そんなのほんの一瞬の事だったと言うのに、気付いたと言うの?見透かされたと感じ、言葉に詰まる。それを殿は見逃さなかった。
「図星か…」
綺麗な顔が、歪む。咄嗟に申し開きをしようかと思うけれど、事実には違いないので、口をつぐむ。
「言い訳くらいしたら?」
「殿に嘘は申せません」
「なら、存分に味わうと良いよ」
グッと引き寄せられて、気付けば、俯きに寝かされていた。すぐに、殿が上に覆い被さってくる。
「何をするの?」
「何って?お前が想像した事だよ」
器用に帯が解かれ、弛んだ襟元から殿の手が入り込む。遠慮なく胸の頂を摘ままれる。痛みの中に、甘い疼きが広がっていく。
だいぶ、慣れ親しんだ殿の熱い手。
けれど、私は、不安で仕方がなかった。なぜ、殿が急にそんな気になったのか、全然分からなかった。
「私が、想像したって、どう言う事?」
「ふうん、白を切るつもり?」
「私には、何の事だか…あっ、こんな事、やめて、ぃやっ」
「嫌だね」
「殿、なんでっ。どうして、こんな。本当に、止めてください」
「なんでって?こうすれば、顔が見えないから、想像しやすいでしょ?」
「さっきから、私、何も想像なんてしてない」
「惟佑殿を見て、考えたんでしょ?惟佑殿の子種がどれほど熱く強いのかをさ」
殿の言葉に、絶句する。確かに、素敵な殿方だと思った。それは、認める。けれど、そんな、子種の事なんて、全く考えもしなかった。そこまで不貞じゃない。
「また、図星?」
「違います。私、そんな事思ってない。だから、もうやめて」
「弁明は要らない。分かってるから」
ふっと、殿が笑う。そうか、分かってくれたんだと体の緊張が少し解ける。
「だって、お前が、子種の良し悪しにしか興味を持たないのは、分かりきった事だからね」
「殿!何を言うのですか」
「真実を述べてるまでだよ。でもさ、理解のある夫で良かったね」
「もしも、本当に理解のある夫だと言うのなら、もうこのような冗談は止めてください」
「冗談だなんて、心外だよ。僕は、本気で、お前の願いを叶えてやろうとしているのに」
「でしたら、こんな事はもうお止めください」
「嫌だね。お前だって、願ってるんでしょ」
「何を願っていると言うのですか?」
「惟佑殿に抱かれる事。まあ、いくら僕でも、さすがに、不義を許すほどの寛大な心はないから。目でも瞑って、好きに想像するがいいよ。遠慮せず、言いなよ、惟佑殿ってさ。いくらでも言えば良いよ。さあ」
「そんな…殿、嫌です。言えません。殿、やめてください。殿!」
首を振って、殿から与えられる快感をやり過ごす。こんな事、嫌だった。殿は一体どういうつもりなのだろうか。全然わからなかった。
「殿、殿」
「殿じゃないでしょ。言いなよ、惟佑殿って」
「嫌です!嫌…なぜこのような無体を強いるのですか?」
「おまえの願いを叶えてやろうとしてるだけだよ。好きなだけ、惟佑殿に抱かれる様を想像するがいいさ」
「できません。だって、そんな事できるはずないじゃありませんか!つまり、殿は、私を抱きながら、他の女子の事を思ってるって事ですか?」
「まさか。僕は、お前しか抱きたくない」
「どうして、私もそうだと思ってくれないの?なぜ、このような事を強いるの?私の気持ちを知っていて、このような事をするの?酷すぎます」
殿の動きがぴたりと止む。その隙に殿の下から這い出て、乱れた衣を手繰り寄せ、距離をとった。

■>後日譚03■■■

inserted by FC2 system