戦国の花嫁■■■天下人の種31■


妻の生母は、お館様のご正室ではない。かつては、一番の寵姫と言われ、男子も産んでおり、今でもかなり発言力を持つ地位にはいると聞いているが、単なる、側室の一人でしかない。
そんな義母上が、男の心をそんな風に捉えるのは、至極当然の事のようにも思えたし、そのように、自分の娘に言い聞かせるのも、納得できた。

でも、だからと言って、それを僕に当て嵌めてもらっては、困る。
そもそも、それは、相手が、天下人、英雄、覇者であればこその達観した恋愛観であって、僕はと言えば、一国一城の主になるかもしれない、ただの若武者にすぎない。あっち、こっちとそぞろ歩きなんて、できるご身分でもないのは明らかじゃないか。それに、できたとしても、女子に偏屈な僕には、到底そんな事できっこないのだと言う事に、妻はまだ気付いていないのだろうか?

「だから、殿への思いに気付いたあの日、私は思ったの。殿の思いは変えようもないから、この思いはそっと胸の奥にしまっておこうと」
「そんな…言えば、変わっていたかもしれないのに。現に今、僕の心は、お前のものじゃないか」
「けれど、殿の心を得たくて、ここに来たわけではなかったから」
妻が、余呉の五の姫が、こんな寂れた旧家に嫁いだ訳。
それは、僕の子種。
あの夜も、そんな事を言って、妻は僕を誘惑しようと試みたっけ。
まあ、いつだって、そうか。
なんだか、思いをそっと告げる時より、子種を注いだ時の方が、妻は嬉しそうにしている気がしてきた。
切ない。
「今でも、子種だけ?」
「それだけではないわ。でも、心は移ろいやすいものだけれど、子種は私の胎に根付くものだから」
「それは、僕の心が、どうであろうと、どうでもいいって事?」
「そうは言ってないわ。心が通じているからこそ、このような喜びを感じる事が出来るって、知ったもの」
「なら、どうして、そんな詰まらない事言うのさ」
「そうね。…でも、殿に偽りは言えないから」
「そんな風に思う必要はない。だって、僕の心は、ずっと変わる事なくお前を思い続け、次の世では同じ蓮の台に上るんだから」
大真面目に、真剣な瞳で、妻を見つめると、にこりと笑みが返ってくる。
「そんな風に言う殿方を、いつまでも無益にも思い続けるのが、きっと女子と言うものなのだと思うわ」
「僕の思いが信じられないって事?」
「だって、殿が、その思いを自覚したのは、いつ?私たちが出会ってからの日数の半分もいっていないのでは?」
そんな言葉を、儚いと言わず、何と言うの?と、また妻は笑う。
確かに、その通りだ。その通りだけど、思いって言うのは、何も、時の長さだけが全てって訳じゃないはずだ。大きさや重さだって、ある。
何より、この気持ちが、儚いだなんて、僕にはとても思えなかった。
「じゃあ、なんで、あの時、僕を慕っていると告げたの?」
僕の思いは別にあるし、そもそも男の心なんて手に入らないから、告げるべきではないと思っていたのではないのか。
「なんででしょうね。でも、殿の、あのような強い思いを聞いて、愚かしい事に、それが全てだと思ってしまったの。裏切られても良い、今だけは、殿と心を通じ合わせていたい、そんな風に思ってしまった」
「今だけ、なんて言わないでよ。僕は、裏切ったりなんてしない」
「いいえ、殿方と思いを通わせるなど…ただただ儚く、露にも等しく、そんな思いを信じるなんて、武家の女子がするような事でもなく、愚行でしかないのに…あの時の私は、あの殿の言葉が信じられた」
「今は?」
「信じています。…これが、ずっと続けば良いと」
にこりと少しばかりの憂いを漂わせて笑う妻に、僕はため息を吐く。
どうしたら、分かってもらえるんだろう。僕の頑なさも大概だけど、妻もなかなかの頑固者だなと思う。
でも、思いを確かめたくて始めたこの会話は、思ってもみない方向に進んでいるようだった。
だって、僕の方が、断然思いが強いと思っていたのに、妻の方が、遥か先に思いを自覚していて、そっとその胸の内に秘めていたと言うのだから、驚きだ。
そして、反対に、思いの確かさを疑われているのだから。
ため息を一つ吐いた。
「分かったよ。お前の考えは、どうやら、変えようもないって事がね」
「分かっていただけましたか?」
「うん。けれど、お前は、僕をいつまでも無益に思い続けるのだから、僕の思いさえ変わらないのなら、それで万事いいって事でしょ?」
大事なのは、僕の思いの確かさを信じてもらう事ではなく、妻の僕への思いだ。だって、僕の思いの確かさなんて、妻が言うように、確かめようもなかったし、それに、僕にとったら、妻を思い続ける、なんて気持ちを自分に向けたところで、嬉しくも何ともない。だって、ただの意志確認にしかならない。
妻に思われる、その事の方が、絶対的に、僕の心を歓喜させる。
妻の思いと比べたら、僕の思いなんて、僕にとったら、遥かに小さく、どうでもよいものだ。まあ、僕みたいな人間が、女子に懸想できるのは、稀有で、ありがたい事ではあるけれど。
それよりなにより、妻に思われている、それを実感して、ただそれだけを感じれば良いのではないだろうか。思う幸せより、思われる幸せが、今の僕には重要なのだ。
僕は、仕方なく、そのように納得する事にした。
だって、頑固者同士、どちらかが折れなくては、会話が成立しなくなる。
「そうね。それなら、きっと上手くいくわ」
「まったく、こうやって、きちんと譲歩してみせたんだから、どっちの思いが深くてしっかりとしたものなのか、気付いてくれても、いいものだけれどね」
「殿の気遣い、誠に感謝します。ますます、殿が好きになりました」
触れ合うか触れ合わないか、それくらいの至近距離で、妻は囁くようにそう言うと、妖しく笑みを浮かべ、突然の事に唖然として口の塞がらなかった僕の口を塞いでみせた。

第一関門は、やっとの事越えられた。

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