戦国の花嫁■■■無声の慟哭04■


「こんな所にいたのか、お客人が来たから、お前も支度を…」
そこまで言うと、私に気付いたのか、凝視される。
「姫ではないですか?!」
驚いた表情を私に向けてくる殿方を、私は見知っていた。
高くもなく低くもない背丈は、すっと伸びた背筋のせいか、胸に秘められた自信のせいか、大きく感じられる。知的にひらめく、色素の薄い飴色の瞳は、思慮深さを湛えている。
そんな壮年の武士。
「隆綱殿。お久しぶりです」
深々とお辞儀をすると、慌てるようにして、隆綱殿が近付いてくる。
「頭をお上げ下さい。姫に頭を下げていただくなんて、勿体ない」
「いいえ、これからは、私が、お仕えする立場なのですから、これくらい当たり前の事になります。隆綱殿こそ、態度を改めてください」
「まさか。姫が、こちらにお越しになっても、殿のご養女である事に変わりはないのです。どうか、そのような事はお控えください」
「隆綱殿が、そう言うのでしたら」
叔父の養女。態度を改めるつもりはないって事は、私はただの厄介者でしかないって事。叔父に押し付けられて、途方に暮れている、そんなところか。
でも、そんなの、分かっていた事じゃない。
私は、大谷と白河を繋ぐために、ここにいる。それ以外、何もない。ただ、それだけ。何度も同じ言葉を繰り返す。
「お姫様は、僕のお家に住むの?」
若竹が、どちらに尋ねるわけでもなく、疑問を口にした。
困ったように、隆綱殿は、若竹を見下ろす。
「そうよ。私、隆綱殿にお仕えするために、ここに来たの。よろしくね」
「お仕えするって…どう言う事?」
若竹は、私と隆綱殿を交互に見遣る。その瞳には、不安が浮かんでいた。
「姫、後は私から」
「そうですね。差し出がましい真似をしました。断りもせず、このように出歩いた事、お許しください。あまりにも切な気な泣き声だったので」
「ご心配をお掛けしました。姫とは知らず、失礼をしませんでしたでしょうか?」
「いいえ」
「そうですか。姫、部屋はお分かりになりますか?」
「はい」
「では、後程」
「ええ」
若竹が、涙を浮かべ、隆綱殿に何かを訴えたけど、手を引かれるまま、去っていく。その背中を見送って、私も部屋に戻る。

母上がいなくなって、十七日。
そう、若竹は言った。

奥方様の生家である松田家は、大谷旧来の家臣の一つにあげられる。そして、当代の松田殿は、思慮深く多くを語らず保守的だと言われている人。

隆綱殿は、奥方様を大切にする事で有名だったけれど、そもそも、この婚儀となったのは、隆綱殿の武勇に感激した大谷の家臣一同が、旧臣と縁を結ばせておきたいから、是非にと進めたと言うのは表向きで、体の弱く子の望めない奥方様をその正室にする事により、隆綱殿の跡取りを、その血にしない魂胆であったと言うのが、もっぱらの噂だ。
まぁ、この噂が囁かれるようになったのは、隆綱殿に子が生まれてからの事だったらしいけれど。身内に、目欲しい跡取りがなかなか見つからず、焦った隆綱殿が、無理に奥方様に迫った、と言う人もあれば、奥方様一人をずっと大事にしていた隆綱殿の夫婦の情あってこその事、と言う人も。とにかく、生まれるはずのない白河隆綱の長男の誕生の理由について、大谷の領内はそれで持ちきりになったとか。
私は、耳にするだけの軍略家としての隆綱殿よりも、言葉を交わした時に感じる穏やかな隆綱殿が、その噂の真実だと思っている。
何より、あの泣き腫らした若竹の様子を見れば、一目瞭然だ。

なぜ、叔父上が、急にこんな事を始めたのか、分かった気がした。

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