戦国の花嫁■■■無声の慟哭09■


夢の縁をさすらって、ぼんやりと目を開けたら、微笑みを返された。それは優しい穏やかな表情だったけれど、覚醒しきらない頭が混線する。
これは、一体、どういう状況なのかしら。
何故か分からないけれど、頬が熱くなっていくのを感じる。
「おはようございます」
その声を聞いて、漸く、自分の置かれている状況を思い出す。
ここは、白河の屋敷。
この殿方は、隆綱殿。
「おは…ようございます」
「よく眠れましたか?」
殿は、にこりと笑みを深めると、私の横髪をかき上げた。なんとも、手慣れた手つき。大人の殿方の所作だと思った。未熟な私は、そんな事で、胸をどきどきとさせる。
「はい、朝までぐっすり…」
そう言えば、途中で目を覚まさなかったし、悪夢を見なかった。久しぶりに、しっかり眠れた気がする。
「そうですか。お疲れでしょう、今日は何もせず、ゆっくりなさっていてください」
「そのようなわけには」
「実を言うと、あまりの急な事で、満足に屋敷の片付けが出来ておらず、とてもお見せできる状況ではないのですよ。男所帯で、何かにつけ、杜撰なもので。ですから、じっとしていていただけると、ありがたいのですが」
「私もお手伝いをします」
「いいえ、武器なども散乱して、危ないのです。姫には、綺麗な我が屋敷の女主となっていただきたい」
ああ、きっと、奥方様との思い出を、急に現れた私なんかに触られたくないし、掻き乱されたくないんだと思った。
どこにいても、私は一人。
そんな事は分かってた事だけれど、悲しみは直隠して、分かりましたと頷いた。
「一日、猶予をください。姫も安心して過ごせる家にしますから」
何か食事を用意させますね、と言い置いて、隆綱殿は部屋を出て行った。

一人きり。
でも、白河の屋敷は、大谷ほど大きくはなかったから、どこかかしこから、何かの音が、こちらにも届く。聞こえてくる乱雑な感じが、生家である萩原の家と重なり、なんだかほっとする。
一人でも、一人じゃない。
そんな気持ち、久しぶりだった。

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隆綱殿の言う通り、疲れてたんだろうか。何をするでもなく、ぼんやりとしていたら、日が暮れてしまった。
ぼうっとする合間に考えてはみたものの、昨夜のような振る舞いを、二度しないと言う確固たる自信が、どうしても持てない。所詮、心の問題なんだ。よく考えろ。そして、理解するんだ。隆綱殿は、隆綱殿でしかない。他の誰にも、いや、親兼などになりはしない。そして、優しくて、穏やかで、大人だ。だから、押さえつけられたり、乱暴にされたりなんて事は、絶対にない。ありえない。そして、私は、隆綱殿の妻。妻なのだから、寝屋の女子としてのお役目ではなく、妻としてのお役目を果たさねばならない。それは、白河のためでもあり、大谷のためでもある。妻として、養女として、私は存在するのだ。
お家のために、武家の娘はある。私は、武家の娘だ。私は、私のものではない。だから、私情は捨てなくてはならない。ものである私の、一個人の感情など、掃いて捨てる塵同然の取るに足らぬもの。一度した事なんだから、もう大丈夫、戸惑う事はない。何も恐れる事もない。
そんな事をひたすら心に言い聞かせた。

昨夜と同じように、簡素な夜着で現れた隆綱殿は、私の考えを読み取ったのか、困ったように微笑んだ。
「姫。お疲れでしょう。今夜こそ、ゆっくりお休みください」
「いえ、私のためを思うのでしたら、どうぞ、夜のお勤めをお願い致します」
飴色の瞳が、哀れみでいっぱいになるけれど、どうしたって引き下がるわけにはいかない。私の心だけの問題なのだから。
「本当に良いのですか?」
昨日の今日じゃ、また同じ過ちをするんじゃないのか、と言う事なんだろう。確かにそうだとしても、そうかもしれないから、また今度、とは言えない。
「お願いします」
最初の夜より、ずっと深く頭を下げた。
ふっと隆綱殿が息を吐くと、そっと隆綱殿の手が、私の肩に触れる。
「こんなに冷えて。女子は、体を冷やしてはいけませんよ」
「すみません」
「私が来るまで、その格好のまま、ずっと考えていたんですか?」
「え?…あ、そう、ですね」
「今度からは、何か羽織るか、床に入っていてください」
「はい、そうします」
言われてみれば、女子として、打ち掛けの一つくらい羽織るべきだったと思う。こんな薄手一枚で、床にも入らずにいるなんて。他人…いや、夫となるような人と生活を共にすると言う自覚も足りてないらしかった。
「冷えてしまったものは仕方ありませんが…とりあえず、こうしましょうか?」
こうって?…と聞き返す前に、ふわりと隆綱殿の羽織が、私を包んだと思ったら、更に上から隆綱殿に抱き締められる。私は何をどうしたらよいのか全く分からず、体を強張らせた。
「まぁ…二人、抱き寄せ合っていたら、その内温まるでしょう」
ふっと優しく微笑んで、私を覗き込む。温かい手のひらが、それより熱を持っているであろう頬に添えられる。
「恐ろしくはないですか?」
「そのような…隆綱殿が恐ろしいなどと言う事はありません」
「なるほど…そうですか?全面的に安心されるよりも、私も男ですからね、少しは緊張感を持っていてくれると嬉しいのですが」
「へ?」
驚いて目を見開くと、隆綱殿は楽しそうに笑みを深める。冗談の中に、本音を混ぜてくれる。つまり、私が、ああ言って強硬な態度を見せる可能性もあると、考慮していたのだと知った。私が、日がな一日呆けて、何の手だても打開策も考えない間、隆綱殿は、片付けをしながら、ちゃんと次の手を考えてくれていたのだ。
あぁ、なんて優しい方なんだろう。人の温かさを感じ、じわりと涙が滲んでしまう。それを隆綱殿の指が拭う。
「残念です。正しく、無害な男と思われているようですね」
冗談めかして笑うと、更に私の涙をすくう。
本当にそうなら、どれだけいいのに。でも、隆綱殿の笑顔のせいか、いつかそんな日が来るのだと、楽観的に思える。だから、隆綱殿の首筋に抱き付いて、その耳許に思い切って言ってみる。
「正直に言います。ホントは、ほんの、ほんの少しだけ、怖いです」
「そうですか」
ゆっくりと私の背を撫でながら、隆綱殿は返事をした。
隆綱殿は、何もかも温かいと思った。手のひらも、体も、心根も。その温かさに、じんわりと浸る。

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