戦国の花嫁■■■無声の慟哭11■



隆綱殿は、実に切り替えの上手な人であるらしかった。夜は夜。昼は昼。あれはあれ。これはこれ。昨夜がどうであったかなんて微塵も感じさせない様子。それとも、大人の人って、皆こう?少なくとも、そんな人を私は知らないし、私はまだ失敗を引きずっている。


さて、朝一番、隆綱殿に、この屋敷の配置の説明を受けた。ささっと筆を走らせて、屋敷の俯瞰図を描くと、淀みない説明と共に、これまた達筆に、何のための部屋か細々とした字で書き入れていくのを隣で見ていて、さすが、キビの知将と言われるだけはある。文武両道を絵に描いたような人だな。天は二物を与えるのかもしんないと感心する。なんだろう、頭の中だけでなく、こうして書いたって、その理路整然としたものが現れ出るんだなと思った。何より、馴れた筆遣いが、大人の殿方だなって、どきどきした。

そして、今、私は、その俯瞰図の描かれた紙を片手に、特に目的もなく、屋敷を歩き回っているところ。
どんな屋敷なのかな?聞くだけより、見てみると、実際想像とは違ってた。結構、古いな。あの鴨居の上の彫刻、大谷の古い区画のに似てる。あそこの欄間も。そっか、隆綱殿のお祖父様が入られる前から、ここは建ってたのね。

歩くまま、きょろきょろと視線を動かして、かれこれどれくらいだろうか。漠然と思う。
あれ?そもそも、昨日片付けをしていただいたんだよね?と。
確かに、どこを見たって蜘蛛の巣が張ってる、うっわぁぁって事は決してなかった。だが、どことなく整頓されていないのだ。棚から何かはみ出てるし、その積み方も杜撰すぎるし…。そもそもさ、物って縦に積んじゃ、ダメじゃない?どの部屋も、部屋の大きさに対して、物の量が多すぎじゃないかなぁ。
やっぱ、お手伝いをした方が良かったんじゃない?
えーと、綺麗な我が屋敷の女主にしてもらえるんじゃなかったのかな?…むしろ、女主だと見なされるなら、もの申したいんだけど!だって、訪れるだろうお客人に、絶対残念な目で見られる。気の届かない嫁だって思われる。あぁ、大谷の…なら、仕方ないかって顔されたくない。
片付けたい。今すぐにでも!
とにかく、許可をもらおう。奥方様の思い出には、手を付けませんからって。そうすれば、文句は言われないはず。せめて、客間だけでも。ううん、執務の間も、やっておきたい。
でも、一体、隆綱殿は、この状況をどう思ってるの?自分一人でも片付けようと思うものの、やっぱ一人じゃ手に負えなくて、これで我慢してるのかな?男所帯って言ってたし、どうしたって、そうなってしまうものなのかも。うん、よき理解者となれるよう、頑張ろう。
隆綱殿は、どこかな?と、きょろきょろしたところで、右の部屋から、偶然にも隆綱殿が現れた。
「おっと。こんなところで、どうされましたか?あぁ、地図を片手に探検ですか?」
「隆綱殿!」
まさしく、渡りに船だ。この焦った気持ちを伝えよう。
「それで、色々見てて、あの…お話があるのですが」
「話ですか?」
「はい。今、お忙しいでしょうか?」
「いいえ。姫のお話を聞く以上の大事はありませんよ」
そう言って、隆綱殿は、先程出てきた部屋に、私を招き入れたので、お言葉に甘え、その後に続いて入ってすぐ、愕然とした。
何しろ、今まで見えてたものより、さらに強烈な部屋だったから。なんと、床一面に書物やら物やらが広がっているのだった。
何…ここ。
目を見張って、立ち尽くす私に、隆綱殿は気付いて、苦笑する。
「あぁ、姫のような服装では、座りたくないですか?部屋、替えましょうか?」
「いえ、結構です」
替えたって、そう大差ありませんよね?とは、言えない。でも、座るの?どこに?と言うか、あそこしか、なさそう。
あそこ、と言うのは、座っている隆綱殿とちょうど向き合って座れる場所だった。きっと、私の前にやって来た誰かが腰を下ろすために、散乱する書物をどかしたんだろう。その隙間のある回りの書物が、他よりちょっとうず高くなっていた。
裾で本をなぎ倒さないように、ちょっと持ち上げて、なんとか進み、座る。
…落ち着かない。
「さて、いかがされましたか?」
まさに、本陣に構える大将然として言うから、あれ?と思う。だって、これじゃまるで、隆綱殿こそが、大将って事にならない?まさか、あんなにも大人な隆綱殿が、そんなわけないじゃないか。きっと、自分じゃ時間がなくて、仕方なくこの状態でいるだけよ。
しかし、あまりにも、ここは、私にとって、敵地過ぎたかもしれない。
「あの…ここは、どう言ったお部屋なのですか?」
「ちょっとした書き物をしたり、考え事をする部屋でしょうか?」
「主に、隆綱殿が使われるのですか?」
「主に、と言うより、私しか使いませんね」
「じゃあ、書斎ですか?」
そう尋ねて、また、あれ?と思う。だって、ここって、執務の間がある辺りと離れてるし、寝屋にだって近くない。そもそも、主の私的な部屋がある区域じゃなくない?
「書斎…は、正式なものは、また別の場所に一応ありますね」
「では、ここは…?」
「うーん、なんでしょうね?」
何って、数日前に来たばかりの人に尋ねる事かな?知るわけないじゃない。て言うかさ、ここ、隆綱殿しか使わない部屋なの?ほんとに?ここが?こんなにごみ溜め、もとい、雑然としてるのに?隆綱殿のような方が使ってると言うの?
いいや、何か、言葉を濁さずにはおれない裏事情があるのかもと、僅かばかりの、根拠薄弱の希望を抱いてみる。
「この辺りって…確か、勤めにいらす若侍の方が、泊まられる場所ですよね?ここにおられるのは、その方達のお声が届きやすいから、ですか?」
「そうか…言われてみれば、そうですね。それは、悪い事をしたな。隣の部屋を使っているものには、きっと気を遣わせていた事でしょうね。また移らねば」
「また!?」
思わぬ発言に、声が裏返るけれど、隆綱殿は、全く気にした様子もない。
「屋敷のどこか空いてる場所を、転々としてるんです」
「なん…何のためにです?」
「ご覧の通り、暫くすると、なぜか、こんな状況になるんですよね。私は、大して困らないのですが、戦などに行ってしまうと、留守にしているもの達が、この部屋にある文書などを必要にする事もでてきて…なんででしょうね、探し出せないみたいで、定期的に、場所を新しくしろと言われるんです」
なぜか、とか、なんで、とか、この説明をするのに使う必要があるかな?とんと理解できない。
天は二物を与えるかもしんないけど、妬まれないため、憎まれないため、それ以上の欠点も、くっ付けておくのかもしんないと悟った。
なんだろう、自分は、普通で良かったなとほっとする。
「片付けるようにとは、言われないのですか?」
「あー、それ、言われなくなりましたね。どうも片付けベタなようで、皆も諦めたようです」
そうでしょうね、ヘタの域を優に飛び越えてますからね。キビでは、鬼神として有名ですが、他国では、片付けられない人として知られてるのかもしれませんね。あれですか、鬼神じゃなくて、ホントのところは、奇人の間違いなんですかね。
など言う暴言は言えないから、曖昧に頷いた。

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