戦国の花嫁■■■無声の慟哭12■


「それでは、隆綱殿が移ってしまった後、この部屋は、どうなるのですか?」
「証文などの扱いに慣れてるものが、一切合切分別をして、書庫にしまいます」
「書庫?…蔵ですか?」
「いえ、東の建物一帯の事です」
「東の建物一帯…が、書庫なんですか?」
そう言えば、あの辺りは細かく説明されなかった気がする。漠然と、若竹の部屋がある、くらいの説明で、若竹ったら、御曹司らしく、随分広く場所を与えられてるのねって思ったっけ。
「幼い頃は、私、あの辺りで生活をしてたんですよ。元服をする前、すでに、あまりにも書物やものを溜め込むものだから、見かねた誰か、あれ?誰だったかな、恩地の叔父貴ではなかったような…まぁ、誰かが片付けをしてくれたんですよ。書物、証文、その他の文書、絵巻、武器、道具って、それぞれの部屋を作ってくれて」
きっと、これが、言葉が出ないって状況なんだろうな。収集家?好事家?吹き溜まり?冬眠前の熊?口を開けば、失礼な事を言う確信があった。
「兄弟も他所に家を持って、私しかあそこに住む者がいなくなってしまって、そんな感じで良かったんですが、若竹が生まれて慌てました。何しろ、若竹が居られるような部屋が一つもなくなってましたからね。私たちの寝屋の隣でも良いじゃないかって提案したんですけど、東こそ嫡男の育つ場所だって力説されて、なんとか、二間空けたんです。あの時、武器や道具をあらかた処分されてしまったんですよね。まぁ、皆、一門や郎従のもの達の手元にあるので、見たければ見れるんですが」
「そうなんですか」
そうか、この屋敷だけじゃなく、白河全土に、隆綱殿の書庫があるわけか。
「あぁ、そう言えば、姫、お話があると仰ってましたが、なんでしたか?」
「はい、昨日もお願いしたのですが…屋敷を調える事を、今後は、私にも、お手伝いさせてはいただけないでしょうか?」
「それは、構いませんけれど…しかし、姫自らされるような事では」
ゆっくりと左右に視線をやって、困った表情になる。
隆綱殿の本性を知った今では、片付ける意味が理解できないからなのか、やっぱり、触られたくない場所があるからなのか、判じかねる。
「私を、女主と認めてくださるのでしたら、是非自らしたいのです」
「そこまで仰られるのなら、こちらとしても、大変助かります。分からない事は、恩地兵衛に…いや、私に聞いてください」
諸悪の根源、もとい、散らかしてるあなたに聞いたら、片付くものも片付かなくなる気が、満載なんですけど…。
「恩地殿に聞いては、具合が悪いのですか?」
「そうではありませんよ。ただ、あのものは、少々気難しくて、娘さんには取っつきにくいかなと。それに、書庫の全ての配置は、私も覚えてますし、恩地の叔父貴も、私に聞かねばならないものもありますし」
あーぁ、書庫にしまうの前提なのね。散らかしてる自覚はあるって事?でも、もっと、こう、美化的な方面に打って出るとは考えてないのね。
本当に、人なのかな。
「ですから、どちらに聞くかは、姫にお任せします」
「はい、分かりました。あと、隆綱殿、触ってはいけない場所はありませんか?政や戦の事、それに他に大切なものをしまってある、とか」
「そうですね…少なくとも、この部屋にあるものは、基本的に、まだ処理の済んでないものや、使う頻度の高いものが置いてありますから、まぁ、近々、恩地の叔父貴達に仕分けされると思いますし、手を付けない方が無難かもしれませんね」
「そうですか。他にはありませんか?」
「うーん…では、もう一つ。寝屋の二つ奥にある部屋の黒漆の行李だけは、そっとしておいてもらえますか?」
「寝屋の二つ奥の部屋にある、黒漆の行李ですね。決して触れないようにします」
ぴんとくるけど、何もないように答える。分かりきってる、それが、奥方様との大切な思い出なのだと。他人に触れられたくないのは、当然よね。
「開けていただいても、構わないんですよ。ただ、どのみち近い内に、松田殿の許へ送るものなんです。それに、多少片付いてなくても、その方が喜ばれると思いますしね」
「え?松田殿の許に送る…のですか?」
「えぇ、亡くなった彼女の遺品が入ってるんですよ」
もちろん、それは分かってます。松田は、奥方様のご実家ですもの。でもさ、分かってるから、意味が分かんないんですけど。どうでもよさそうな、もとい、大事に集めた武器やらを手放して、残念がってるのに?なんで、奥方様の品を余所に?
「あの…大谷や私にお気遣いなされませんよう」
「ありがとうございます。ですが、生前、これだけは、実家に届けてくれと頼まれたものですから」
「そうでしたか。じゃぁ、他には?」
「うん?他…そうですね、特には」
「かく…隠し部屋とかあるんですか?」
「ぇえ?隠し部屋ですか?面白い事を言いますね。もし、あったとしたら、この屋敷くらいの大きさが必要だと思いますよ。そこに、次から次へと入れてしまうでしょうからね。でも、それでは、隠れてませんね」
あはは、と、にこやかに返される。まぁ、現実あったとしても、私みたいな者には、そう簡単には教えないだろうし、確かに、片付けられない人には不向き過ぎるだろうなと納得する。だって、誰が片付けると言うの?
「ですが、隆綱殿の、本当に私的なものは、どうされているのですか?」
言ってて、もうはっきりと、奥方様との思い出の品は触らないでおきたいので、どこにあるのか、教えてくれませんか?って、聞いた方が早いような気がしてくる。だって、何気なく置いてある水差し(思い返せば、初めて通された客間にさえ、そんなものはなかったな)が、そうかもしれないとか思いながら片付けるのは、自分が余所者とは分かってるものの、やっぱりやるせない。
と言うより、この質問自体、分かりやす過ぎじゃない?
「あぁ。基本的に、残しても困るようなものは持たない性分なんです」
隆綱殿は、私が何を言いたいのか、漸く納得したと言った表情をする。…いや、違うけど。そう言う事を聞きたいんじゃないんです。
そもそもさ、どの口が言うの?まだ書庫の全容を見てないけど、聞いてる限りじゃ、この屋敷の四分の一は占有ですよね?
「初めて父に用意してもらった木刀とか、母に仕立ててもらった稽古着とか…どれも、もう使えるものじゃないものの、初心忘るべからずって感じで、しまってあったんですけれどね。でも、初陣から帰ってきて、捨ててしまったんですよ。それからは、何も持たないでいます」
失礼な事ばっか考えて、申し訳なくなる。
この部屋のもの全ても、私的に見えて、私的じゃない?書庫にあるって言うものだって、白河各地にあるものだって、隆綱殿の本当のものじゃないの?沢山のものに囲まれてるのに、何一つ、惜しむものじゃない?
それって、戦場に駆ける武士ならではの考え方なんだろうなって思った。ううん、きっと、それこそが、隆綱殿が、軍神って呼ばれる所以なんだろうな。

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