戦国の花嫁■■■無声の慟哭13■
「また泣いているのね」
小さな背中に声を掛ける。驚いたようにして素早く振り向いた若竹は、私を見ると、泣き腫らした目と、その涙で赤く染まる頬を、小さな手で懸命に拭う。
「…お母様」
若竹が言った一言に、今度は私が驚く。
「今、なんて?」
「お母様は、父上の花嫁さんなのですよね?だから、僕のお母様になる、のですよね?」
「そう呼ぶように、隆綱殿に言われたの?でも、そんな必要はないわ」
「それは、僕を息子だと認めないから、ですか?」
幼子らしい、透き通った瞳が、まっすぐ向けられる。
でも、聞かれた事は、とても、稚児が抱く疑問ではなかった。
大谷領内だけじゃない、キビにこの人ありと言われるほどの軍才を誇る隆綱殿を父と持つのだ、やはり、利発的な子なのだろう。
龍丸も、こんな風に、思いをよらない質問をしては、乳母たちを困らせていたわ。その思い出に、胸がぎゅっと締め付けられる。
「そう言う意味じゃなくて…ごめん。だから、そんな顔しないで、また、今にも溢れそう」
「ごめんなさい」
「謝らなくていいよ。今の若竹が、涙を堪えられないのは、仕方がない事なのだから」
柔らかな頬に、そっと触れ、涙を拭ってやる。
こんな可愛い子を残して、泉下に向かわなければならない身の上は、なんと苦しいものだろうか。
「でも、僕…武士の子なのだから、いつまでも、こんなに泣いてちゃ、駄目なんです」
私も、泣いてた。
龍丸に、会いたくて、会いたくて、堪らなくて…連れてこられた大谷の家で、明け暮れ泣きあかしていた。もう龍丸に会えない、そう思うだけで、寂しくて、口惜しくて、でも、その気持ちを訴える人がいなくて。
そんなある日、親兼に出会った。そして、すぐに、親兼は、私の心の中の、家族が満たしていてくれてた部分を埋めてくれる存在になった。喪失の悲しみは、新しい出会いによって、薄れ、紛れていくものなのだと、そう思ったものだ。
それも、あの忌まわしい日を境に、そんな思いは、ただの勘違いでしかなく、喪失の悲しみは、少したりとも、薄れはしないのだと思い知らされたのだけれど。
そんな思いに苛まれるのは、私一人で十分。私は、この寂しさから逃れられないけれど、せめて若竹には、心からの安らぎを感じさせてあげたいと思った。私は、絶対に、若竹を裏切らない。ずっと、ずっと、見守り続けてみせる。そう心に決める。
「なら、私の前でだけ、泣く。そう決めたら、どうかな?」
「お母様の前でだけ、泣く…ですか?」
若竹は、不思議そうに、目を瞬かせた。
「若竹が、涙を流している事、私は口外しないわ。そうしたら、若竹は、武士の子らしくあれるじゃない?」
「…そうでしょうか?」
「少しくらい涙を流したって、立派な武士になれるわ」
「立派な…武士」
「そう、私たちだけの約束」
「僕、泣いてもいいの?」
溢れ出しそうな涙をいっぱいに湛えて見上げてくる若竹を、そっと抱き締めた。
「いっぱい泣いて、悲しみを出しきってしまえばいいわ」
更にぐっと抱き寄せると、稚児特有の甘い香りがする。それをめいいっぱい吸い込んだ。
思い出すのは、あの最後の日。
私の悲しみは、今も去ろうとはしない。
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今のところ、泣き飽いたのか、まだ潤む瞳を私に向けて、うんとね、と若竹が言うので、私は、どうしたの?と、自分でも驚くくらい優しい声で、そう問うた。
「お母様じゃないのなら、何て呼んだらいいですか?」
「うーん…若竹は、何て呼びたい?」
「僕?」
「好きに呼んで、若竹の呼びたいように」
どうしよう、と若竹は小さいながらに、首を傾げる。私の呼び名を一生懸命考えてくれてる、その姿に胸が温かくなる。なんて可愛いのかな。
「うん…やっぱり、お姫様だ」
これこそが一番!って感じの表情をする。
お姫様?
父親の隆綱殿は、姫と呼ぶし…。親子だから、感性が似てるのかな?それとも、こんな小さな子でも、私は、大谷の者でしかないの?だとしても、私は、若竹を見守ると決めたのだから、こんな風にして、一々動揺なんてするな。
「えと、お姫様…そんなのでいいの?」
「だって、綺麗な着物着て、すごくまっすぐで艶のある黒色の髪をしてるんだもの。お姫様って、そう言う人の事を言うんでしょう?初めて見た時、僕、すごくびっくりしたんだ。真っ赤で、綺麗だなって」
「ああ、着物?」
「着物だけじゃないよ。お姫様のほっぺも、口も、赤くて、綺麗と思ったんだよ」
思わぬ事を言われ、目を瞬かせる。隆綱殿も、舌が軽やかであるようだけれど、その上を行くんじゃない?この子、将来どんな男子に成長するのかな。その成長した姿を、成長していく日々を共に過ごしたい。
そう願うのは、愚かかもしれない。でも、今さらない事になんてできない。
「ありがとう。じゃあ、そう呼んでね」
「うん」
満足そうに笑みを見せる若竹の頬を撫でる。
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