戦国の花嫁■■■無声の慟哭14■


それから、若竹にも時間があるって事を知り、この屋敷に残る奥方様情報を仕入れたいと言う下心で、若竹に案内を頼んだ。
でも、すぐに、そんな事を頼んだのは、母親を失ってばかりの若竹には酷だったのかもしれないと後悔した。
若竹の記憶のある限りでは、奥方様は、あの黒漆の行李の置いてある部屋からほとんど出る事がなかったと言うのだった。
あの部屋だけは、何も触らない事にしよう。
いくつか、そんな事を聞いていると、簀縁に腰を掛ける隆綱殿がいた。
「父上!」
若竹の呼び掛けに、はっとしたように、こちらを向くと、にこりと笑みを作る。
「あぁ。二人で、どうされたんですか?」
「お姫様をね、案内してたんだ」
若竹が、何気なくそう言った途端、隆綱殿の表情が強張る。厳しい父親の顔になって、若竹を見た。
やっぱ、許可が必要だったんだなと、本日二度目の後悔する。若竹は、もちろん、何が父親の気に触ったのか分からず、走り寄ろうとしていた足を止める。
「若竹、父の言った事が理解できなかったのか?」
「隆綱殿、若竹はちゃんと分かっています。私が言ったのです。母と呼ぶ必要はないと」
隆綱殿が驚いて私を見ると、若竹に視線を向けた。
「若竹、お前は下がりなさい」
「父上、お母様は悪くない。僕が、父上の言う事を守らなかったんだよ。叱るなら、僕にして下さい」
「分かっている。咎めるつもりはないから、下がりなさい」
「…はい、失礼します」
下がっていく若竹の背中に、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。またきっと、背中いっぱいにしゃくり上げて、大粒の涙を流すんだわ。
「私の方からも、どうかお願い致します。若竹の事も、叱らないであげてください。全て、私が言い出した事なのですから」
「では、若竹に母と呼ばせないのは、若竹を認めるつもりはない、そう言う事でしょうか?」
親子して、同じ事を聞いてくる。
まあ、後妻が自分の子可愛さに、嫡男の座をって言うのは、珍しい話でもないから、それほど的外れな質問でもないのかもしれない。
私は、私の子を嫡男に据えたいのだろうか?
でも、若竹みたいな、行く末、頼もしそうな長男がいるのに、それを望むのは、何とも世間知らずで、身勝手だと思った。それに、あんなに可愛い子をどうして憎んだり、嫌ったりできるの?
つまり、私には、若竹を認めないつもりなど毛頭なかった。
「私をどう呼んだところで、若竹にとっては、母はただ一人なんだと思います。そして、その存在を喪った悲しみで、今はいっぱい。そんな若竹に、母と呼べなど、それこそ非道ではないですか?」
「つまり、他意はないと?」
「あのように涙する稚児を見て、心を痛めない者はいるでしょうか?私を母と呼ばせる事は簡単かもしれませんが、私にとって、若竹は、もうそのように軽い存在ではありません」
「そのような温かなお心で、若竹に接してくださっているとは。姫のお心遣い、感謝します」
「いえ。けれど、そう申し上げましたが、私は、若竹の母になりたいとは思っているのです。でも、今は、それは心の内にしまっておいて、ただ若竹の心に任せたいのです。時が来たら、きっと私を母と認めてくれます。そうなってからでも、遅くはないと、そう思うのです」
「そうですか…ありがとうございます」
「分かっていただけて、嬉しいです。すぐに若竹に報せなくては」
「それは、私が」
「いえ、私が報せたいのです。駄目でしょうか?」
もう既に立ち上がってしまっている私の姿を見てどう思ったのか、隆綱殿は、では、お任せしますと言って、笑った。絶対に、子供っぽいって思われたな。隆綱殿の歳を思えば、実際、子供にしか見えないんだろうけど。

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「若竹」
その言葉に、潤んだ瞳がこちらを向く。若竹の部屋を覗いてもいなかったから、もしやと思って来てみたけれど、また、同じ場所で踞っている。
確かに人気は少ないから、自分だけの場所とでも思ってるのかもしれない。やっぱ、武士の子って事?
「…お母様」
「いいのよ、お姫様で。隆綱殿には、そうして良いとお許しをいただいたから」
「そうなの?でも、あの…父上に、叱られなかった、ですか?」
「父上は、そんなに怖い方?」
「ううん。でも、本当に悪い事は、悪いって、凄く怒ります」
「私をお姫様と呼ぶのは、本当に悪い事だと思ったの?」
「父上の言いつけだったのに、僕、守らなかったから、きっと本当に悪い事なんだと思ったの。ごめんなさい」
「謝らないで。悪い事なんかじゃない。言ったでしょう?父上は、怒ってないし、許してくれたの」
「本当?」
それでもまだ若竹は不安そうに、そう尋ねる。
あんなににこやかに笑う方なのに、息子に対しては、厳しく躾ているのかな?さっきの表情は、結構怖かったし。
だったら、尚更、私が命一杯優しくしてあげよう。
龍丸にしてやれなかった分も、何倍にして。…馬鹿だな、また同じ過ちを繰り返そうとしてる。
でも、この孤独を忘れる他の方法を、私は知らない。

回りを確認してから、そっと両腕を広げた。
若竹は、きょとんとして、私を見る。
「おいで」
そうして胸の中の温もりを、私はぎゅっと抱き締めた。

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