戦国の花嫁■■■無声の慟哭16■


一夜に一度どころか、三日に一度にしてもらえないだろうか、と提案され、私の落ち度だと思い、食い下がったら、隆綱殿自身の問題だとやんわり言われ、え、なんでだろう?と首を傾げつつも、それだったら、特に断る理由もなかったので、頷いた。やっぱり、若くないって言うのが、理由なのかな?でも、そんな事を気軽に聞けるほど、私は世間擦れしてないようだった。

「では、その夜は、若竹に付いていてあげてもいいでしょうか?」
「若竹に、ですか?」
「きっと寂しくて、悲しくて、泣きたいんだけど、回りを気にして、我慢してると思うんです」
「それが、武士と言うものだと思いますが。それくらい耐えられなくては、白河の家を守れませんよ」
隆綱殿は、若竹の事になると、獅子の親のように、手厳しい。男親って、こんなものなのかな?
だったら、私が!って使命感に燃える。
「私は、そうは思いません。人の温かさを知らなければ、一門を、領民を、心の底から思えないのではないでしょうか?」
「お心遣い、大変感謝いたしますが、若竹も武士の子。姫にそう易々とは安んじますまい」
そこまで言うと、話は済んだとばかりに、隆綱殿は体を横たえてしまった。
え、嘘。なんで?まだ話は終わってないのに!
そりゃ、隆綱殿は、そうやって大きくなったかもしんないけど、若竹にとって、それが最善の方法じゃないかもしんないじゃない。皆、隆綱殿みたいに、軍神みたいに超越した、鋼みたいな心の持ち主とは限んないんだから!息子かもしんないけど、隆綱殿に似ず、きっと奥方様に似て、あんなに多感な子なんだから、絶対、涙を堪えても、堪えきれないでいるに決まってるもの。
とは、なかなか、口を大にしては言えない。相手は、夫、しかも、かなり歳上。敬わなくては、と言う気持ちが、どうしたって大きい。
少しずつ、分かってもらおう。隆綱殿だって、きっと人の子だもの。人の情理をきっと多少なりとも持ち合わせていると思う。きっと分かってもらえるはずだ。…きっと、とか、希望的な単語ばかりがくっついてくるのは、きっと仕方がない事なのだろう。

ごめんね、若竹。きっといつか、傍に行くから。
そう念じて、床に就いた。

‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡

眠れない。
寝つきは良い方だと思っていたのに、全然、眠気がやって来ない。眠りやすい姿勢を探して、寝返りを打つ。
やっぱり、眠れない。
今だって、若竹は涙を懸命に堪えてるかもしれない。そう思うと、とてもじゃないけれど、眠れそうになかった。

隆綱殿の様子を窺う。
さっきから、ごそごそする私を気にする風でもないから、きっと寝てる。ここ何日かで分かってきた事だけれど、隆綱殿は寝付きが良い人らしい。いつも先を越されている気がする。
ホントに、寝てる?
「隆綱殿」
ぼそっと、呼んでみる。
…、返事なし。
「隆綱殿」
声帯をきっちり震わせて、呼んでみる。
…、返事なし。
そっと起き上がって、隆綱殿の顔を覗き込んでみるけれど、目はしっかり閉じられたまま、息の調子も全く乱れなかった。
良し、寝てる。

何が、良し、なのよ、と思いつつ、簡単に上着を羽織って、外へ出る。
もちろん、向かったのは、若竹の許。
夜の白河の家は、すごく静かだった。
皆、寝てるのかな?きょろきょろと見回すけれど、人の気配は感じられない。まぁ、人より物が多い屋敷だからね。
結局、若竹の部屋の前まで、誰に咎められる事なくたどり着けてしまった。昼と同様、若竹に付き添う守役はいないらしかった。
何の迷いもなく、戸を引いて、中に入った。
途端、くすん、と鼻を啜る音がする。来て良かったと心底思う。
「眠れないの?」
私の声に、がばっと、若竹が跳ね起きる。
「だれ?!」
「驚かせて、ごめん。私だよ」
「お…姫様?お姫様なの?え?どうして?」
「うーん…若竹が、眠れないんじゃないかって気がして」
見え透いた言葉に、え、どうして分かったの?って、心底驚いた感じで、若竹は固まった。
一生懸命に、自分の悲しみを消そうとしてる姿に、胸がずきりと痛む。このような稚児の心を気遣わないで、どうしていられるっていうの?有無を言わさず、甘い匂いのする、その体を抱き締める。
「大丈夫だよ。回りには、誰もいなかったから。私たち、二人だけ。だから、何も我慢しなくていいよ」
「お姫様、ありがとう」
「ううん、どういたしまして」

震える背中を優しく摩っていると、若竹は、泣き疲れて眠ってしまった。
そっと床に寝かせるけれど、小さな手が私の衣を掴んだまま離さないから、私も一緒に寝転がる。
しっかり眠りに入れば、そのうち、離すだろう。
少しの間だけ、そう思って、その穏やかな寝息を聞く。

‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡

すっと、襖の引かれる音に、目を開けた。どうやら、閉じられる時の音だったらしく、かたんと戸の当たる音がして、誰かが入ってくる。
うーん…誰だろ?まだ朝も早いのに、人の寝所に無言で入り込むなんて。非難の一つでも言わないと、と思うけれど、覚醒しきらない頭は、依然、ぼんやりと視線を動かすだけで、声なんて出るはずもない。霞む視界の中、人影がこちらに近付いてくる。
「お目覚めですか、姫」
その声に、隆綱殿だと知る。なるほど、自分の寝所に入るのに、一々断りはいれないものね、と納得する。あれ?でも、何で隆綱殿は着替えてるのだろうか?昨夜、どこかに出掛けてたっけ?あれ、そうだったかな。覚えがないけど、私が寝てる内に、急用で出かけられたのかな?眠たい目を擦る。
「そのような格好で、風邪など召されていませんか?」
「そのようなって…何ですか?」
風邪なんて、こんな季節にひくわけないじゃない。布団を放ってたら、また別だけど。
しかし、のそっと起き上がって、思い至る。ここは、私の寝所じゃない。
「あ゛っっ!」
驚きのまま、大きな声が出そうになるから、口を押さえた。
「起きたら姫がおられないので、よもやと思いましたが…」
隆綱殿に、指を一本差し出して、黙ってもらう。そんな普通に話したら、若竹が起きちゃう。若竹に視線をやって、まだ眠りの中にいる事を確認してから、そっと立ち上がる。
外へ、と仕種で示して、二人して、廊下に立つ。
もう一度、若竹に視線を向けて、まだゆっくり寝てていいからね、そう心の中で呟いて、襖を閉めた。
それをずっと何も言わずに見ていた隆綱殿は、自らの寝所の方へ歩いて行くから、それに続いた。


早朝の光の中、隆綱殿の広い背中をぼんやとりと見つめている内に、頭がしっかりしてくる。
どうやら、起こされるまでずっと、若竹の部屋にいたらしい。あのまま、一晩ぐっすり?
えーと、バレない内に戻って来れば、万事問題ないって算段じゃなかったっけ?完璧にバレてる…よね?どう楽観的に見積もっても、バレまくりだよね?
そのまま、二人無言で寝所に着くと、着替えをするか?と尋ねられたので、逆らわず、はい、と返事をする。
かなり長いお説教になるらしかった。
でも、もう何を言われなくても、分かってる。分かってますとも。越権甚だしい。金輪際、このような事はするなと、口酸っぱく言うつもりなんでしょ?あーぁ、後先考えず、思ったらやらずにはいられない自分の性格が怨めしい。朝までとか、そこまで大それた事をするつもりなんて、私にはなくて…ただちょっと若竹を慰めたら、穏やかな夢路に向かったのを見届けたら、帰って来ようと、そう思ってたわけで。決して、なんと言われようが構うものか、隆綱殿の考えなんて真っ向からぶった切ってしまえとか、大それた事、思ってたわけではなくて。眠れない夜に、想像力が暴走してしまっただけで。ほんとに、ちょっと、ちょっとだけ、そんな気持ちだったのですが…。ご理解いただけるでしょうか?
考えれば考えるほど、申し開きのしようがなく、背中がみるみる小さくなっていく。
その背中に、隆綱殿は、一つため息を吐いた。
お説教が始まるのね。平謝りするしかないのね。
「姫。確認なのですが、昨夜、私は、若竹なら大丈夫と、そう申し上げましたよね?」
「はい、確かに聞きました」
「では、なぜ、あのような事をされるのですか?」
その声は、全く怒りが感じられなかったから、丸めた背中を伸ばして、隆綱殿を見て、驚く。
何しろ、自分の言い付けを守らなかったから、と言うより、なんでそんな事をするのか理解不能だって感じの様子だった。なるほど、キビの鬼才は、常人とは異なる感覚を持ってるんだと確信する。息子と言えど、稚児がどれだけ多感なのか知る由もないって事みたいだった。一体、どんな子供時代を過ごしたのかな?昼は書物で、夜は鍛練とか言ってたような。とりあえず、常人には計り知れないものだったんだろう。
いつかきっと情理が通じると思ったのは、浅慮だったかも。
「涙は、流しきってしまった方が、早く乾くと言うものですから」
「だからと言って、姫が付き添われる必要はないでしょう」
「泣いてはいけない。若竹は、そう思っているんです。武士の子だから、白河の嫡男だから、隆綱殿の息子だからって、懸命に堪えてるんです。それは決して間違ってるとは思いません。幼いのに、武家に生まれた者として、立派です。でも、あんな稚児は、そのような我慢をする必要もないと言うのも、本当じゃないですか」
隆綱殿は、言葉をなくして、私を見るばかり。
あれ?説教するんじゃなかったの?まぁ、ないならないで、その方がいいか。
「差し出がましいかもしれませんが、若竹に、私がしてあげられる事はそれくらいしかありません。そして、それは、私にしかできない事と思うのです」
「稚児と言うのは、そう言うものなのでしょうか?」
「え?稚児が、そう言うもの…ですか?」
「稚児は、泣くのを耐える必要のないものなのですか?」
「え…と、私は、少なくともそう思っています。無闇に泣くのは、大人と同じ、誉められたものではないかもしれませんが」
「まだ泣き足りないのは、無闇ではないと?」
まだ、と宣った隆綱殿に瞠目する。さすがキビの鬼才、と思うべきなのか、訂正するべきなのか。
「たった一人の母と死に別れて、深く悲しまない稚児はいません」
「なるほど。根本的に、姫とは考え方が違うと言うのが、よく分かりました。…私は、物心付く前に母を亡くしているものですから、母親と言うのが、どのような存在なのか、本当のところ、よく分かっていないのです」
「そうでしたか」
「姫の方が、若竹の気持ちをよく理解しておられるようですね。若竹に乳母の一人でも付けていれば、姫を煩わせる事もないのでしょうが。生憎、人手が足りていないもので…申し訳ありませんが、若竹の側にいてくださいますか?」
「え…良いのですか?」
「えぇ。若竹には、早く立ち直ってもらわないといけません」
なんで、まだ引きずってるんだと言わんばかりの隆綱殿の表情に、もう驚くしかない。やはり、本当の軍神なのだろうか?
「うん?お気に召しませんか?」
そう言って、表情を和らげる隆綱殿は、どこまでも優しく、武士らしさの欠片もないと言って等しいくらいだ。一体、どっちが本当の彼なのだろうか?

次≫≫■■■

inserted by FC2 system