戦国の花嫁■■■無声の慟哭17■


かなり定例になってきた、三日に二夜の若竹との会話。
もちろん寝具は一つしかないから、思う存分、可愛い若竹を傍に感じる事ができる。などと思っているのは、当然若竹も言えないし、隆綱殿には尚更言えないのだけれど。だって、私は、詮無い思いをしている若竹を慰めるために、ここにいるのだから。でも、若竹は、奥方様を懐かしまない限り、明るく素直な稚児だったから、どうしたって和まされずにはいられない。
燈明の明かり一つの中、今日あった事とか、今までの事とか、これからの事とか、本当に取り留めなく話し合う。それが何だかくすぐったい。まるで、萩原の家にいた、あの頃に戻ったみたいで。
乳母がいない時、暗闇を怖がる龍丸は決まって、私の寝間に潜り込んだ。そうして、どちらともなく眠ってしまうまでおしゃべりをした。
そんな風に、龍丸の面影を重ねてしまうのだけれど、でも、なんとなく、親兼の時とは違う気がする。私も、大人になったって事なんだろうか。悲しみを乗り越えようとしているのかしら?


「分からない事はね、父上に色々教えてもらってるの」
「父上に?」
「白河で一番物知りなのは、父上なんだって」
「なるほど」
「一応ね、恩地のおっちゃんが、僕の目附なんだけど、あんまり漢文が読めないの。でも、そうやって言うとね、わしゃ、実務向きだから、こんな使わん外国語読めるか!って怒るんだよ」
兵衛殿が言いそうな事だなと、失礼ながら想像してしまい、笑ってしまう。
「だけどね、土地の証文とかは、すらすらって読んじゃうの。何が違うのか、僕には分かんないんだ」
「じゃあ、若竹は、証文が読めるの?」
「少しね。難しいのは、分かんない」
「だよね」
安心した。だって、こんな稚児が、証文をばっちり理解できて、今すぐにでも、ばりばりに政務がこなせるとか、ありえないし。まだまだ、私の可愛い若竹でいて欲しいものね。
「…情けないって、思った?」
「へ?」
「武士の子なのに、そんなんも分かんないのって、思った?」
眉を悲し気に下げる若竹の様子に驚く。その思ってもみない理由すぎて、慌てる。
「思わないよ。だって、まだそんな、全て分かってなきゃいけない歳じゃないでしょ?」
「でも…」
「でも?」
「父上は、もう分かってたもの。お祖父様のお手伝いをしてたんだって」
「それも、恩地のおっちゃんから聞いたの?」
「うん。僕、父上の息子なのに、出来の悪い子なのかな?」
父親がすごいと、息子はその磐石を引き継げばいいだけの楽な人生かと思ってたけれど、そうでもないらしかった。なるほど、どんな境遇にも、それなりに悩みは尽きないのだ。
「父上が、そう言うの?」
「ううん」
「じゃあ、恩地のおっちゃん?」
「ううん」
「…母上?」
「母上は、そんな事言わないよ」
「なら、なんでそう思うの?」
「なんでって?」
「どうして、自分が、出来の悪い子なんだって考えるの?誰かに言われたからじゃないの?」
「言われないよ。ただ…父上に色んな事教えてもらったり、恩地のおっちゃんたちから父上の話を聞いたりして…僕がただそう思ったの」
「父上と比べてって、事?」
「うん。僕、どんな事でだって、父上よりうまくできた事ないの」
「うーん、まぁ、そう…」
どうやってごまかそう。そんなズルい事を考えて、視線を泳がして、ふと考える。
「ねぇ、この部屋さ、若竹が調えてるの?」
「うん。恩地のおっちゃんに、文武両道かつ身綺麗にする事が武士だって。ちょっとでもね、手習いの道具を放っておくと、怖いくらいに言うんだよ。僕、片付けなかった事なんかないのに」
片付けられないのは、家系ではないらしい。兵衛殿が、目附として、何はなくとも、あれだけは受け継いで欲しくないって気持ちがあるのだと、ひしひしと伝わってくる発言だった。
武士たる者、身綺麗なるべし、とか聞いた事ない。
そう、それだよ。片付け!
父上は、その歳にはもう片付けられなかったんだから、若竹の方が何より立派だよ。
でも、それを、どうやって言おうか。
若竹の、父上への畏敬の念を傷付けずに、どう説けば、素直に自信を持つだろう?前に、兵衛殿が、部屋を散らかした隆綱殿を、鼻垂れって言った後、若竹に、それは誰かと問われて、閉口してたのに、首を傾げたけれど、今、得心した。私と兵衛殿にとったら、手のつけられん厄介、もとい、少し困った上役でしかないんだけれど、若竹にとったら、たった一人きりの父親なのだ。当然、憧れの人でなくちゃならない。完璧な人がいないなら、完璧な親なんているはずもないんだろうけれど、出来るだけ理想像で在り続けて欲しいのが、親なんだろう。
そんな綺麗事はともかく、父親が片付けられない人なら、僕もそれでいいんだと思われるのが、一番恐ろしい。アレは、一人で十分だ。
「若竹は、片付けるの、好き?」
「うーん、分かんない。しないと、叱られるし。できないと、武士になれないもの」
あー…質問、間違えたな。
「じゃあ、父上のお仕事する部屋、見た事ある?」
「あるよ。いつでも、聞きに来なさいって言われてるから」
「どう思った?」
「えーと、お仕事、大変なんだなって。一日で、あんなにものを広げるんだよ。片付けるの、大変じゃないかな?父上、眠れないんじゃないかって、いつも思うの」
人は皆、すぐにものを片付けるものだと思い込んでるのね。きっと、若竹に限った事じゃなく、子供って、素直だし、疑う事を知らないんだなと思う。
その言葉、父上に言ってあげて。改心の見込みはないだろうけど、とにかく、聞かせてやりたい。
「でも、父上は、若竹の質問に答える時、お仕事の片付けをしないでしょう?」
「あ、そうね!でも、僕が、お仕事の邪魔してるんだもん。本当はお仕事しなきゃいけないから、仕方ないよ。もしかして、僕、父上のお仕事が終わるの、待ってた方がいいのかな?」
「ううん!勉強するのが、若竹の仕事なんだから、待ってたりして時間を使ったら、その方が、父上は良くないって思うよ」
ますます、しゅんとしてく若竹に、焦って、言葉を並べる。私だって、兵衛殿の意思に賛同してるのだから、罷り間違っても、悪の道、もとい、片付けができなくったって、武士には成れるって事を気付かせたりなんてしたくはない。
でも、どうしよう。丸め込める気がしない。自信を持たせるどころか、失わせてる気がする。
きっと、私より、この子の方が、純真な上、賢いからだわ。
「そうかなぁ?」
「そうだよ。今までだって、後にしてって言われた事あるの?」
「ないけど。でも、偶に、僕の後に人が来ると、その人の応対をしながら、僕に教えてくれる時があるよ。邪魔してたのかな?」
「そんな事ないって。とくかくさ、若竹は片付けがちゃんとできるじゃない?すぐにしてさ、えらいと思うよ。でも、父上は遅くまで片付けなきゃいけないでしょ?今だって、若竹の部屋は、こんなに綺麗なのに、父上の部屋はきっと全然片付いてないと思うよ?それって、すごい事だよ」
新しい部屋に移って、まだ両の指の数もいってない気がするけれど、すでに、この屋敷のどこよりも、もので溢れ返っているのだから、もう呆れるとかの次元じゃなかった。ただ驚くしかない。一体、どんな間隔で部屋を移ってくのかな。知りたいような、知りたくないような。
「ほんとう?」
「うん。だから、そこをさ、もっと高めていったら、どうかな?」
「高めるの?どうやって?」
「いつだって、散らかさないで、綺麗にする。どんなに忙しくたって、机の上を整頓する。それをやってれば、少なくとも、今片付けてない父上よか片付けできてるって事になるよね?」
「うーんと、いつも片付けをすれば、いいって言う事?」
それが一体何になるの?って感じの表情に、畳みかけるしかないと判断する。
「うん。ほらね、見つかったじゃない。若竹だって、父上に負けてばかりじゃないよ」
「あ!そう言う事か。お姫様、ありがとう。僕、頑張るよ」
私の言いたい事がようやくわかったのか、ちょっとはにかんだ感じでにっこりと笑う。それがあまりにも可愛くて、抱き締めてしまった。

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