戦国の花嫁■■■無声の慟哭28■


「泣いているのですか?」
はっとして、その声に視線を向けると、隆綱殿が薄目を開けてこちらを見ていた。まだ覚醒しきってない、そんな感じは、普段のあの優しさを半減させる。
「何が、姫を悲しませるのでしょう?」
「いいえ…あの、夢を…悲しい夢を見たようで、目が覚めたら、泣いていたのです。内容はよく覚えてないので…少し混乱してて。だから、大丈っっ!」
ずっと握りしめたままだった隆綱殿の手が、私をぐいっと引っ張った。言い訳を考えるのに、いっぱいだった私は、その力のまま、隆綱殿の体の上に倒れ込む。
大分慣れてきた隆綱殿の匂いが、鼻腔いっぱいに広がる。毎度の事ながら、どきどきする。
「教えてください」
「え?」
「涙のわけを話してくれませんか?」
隆綱殿は、ずっと笑みをひとつも見せる事なく、私を見ている。怒っているのかと怖くなるその表情を、私は初めて見る。若竹に母と呼ばるつもりはないと告げた時でさえ、こんな表情はしなかった。
「あの…」
そう言ったきり、私は言葉を詰まらせる。
私の心にあるもの、何を、何から、どう話せば、伝わるのかな?
ゆったりと息をするそれに合わせて、隆綱殿の胸が上がったり下がったりする。ちょうどその上に体を預けている私も同じように、その動きに身を委ねる。それと、ちょっと高めの隆綱殿の体温が、私の心を落ち着かせていく。
言ってしまおうか。言わずにおこうか。どうしよう。
ちらりと隆綱殿を窺う。
とろんとした瞳に、重そうな瞼。笑みは相変わらず口許に湛えられてはおらず、ふと、ある一つの推測が浮かぶ。
あれ?これって、もしかして、寝惚けてるんじゃないの?
そう思いながら見てみると、くつろげる寝所で、安心しきって、夢と現とを行ったり来たりしてるように見えてくる。
だったら、このまま、眠ってしまうかな?もし、これ以上尋ねられなかったら、言うのはやめにしよう。でも、もし、もしも、続きを促されたら、正直に答えてみよう。
だって、隆綱殿は微睡んでいるのだから、言ったって言わなくったって、はっきりと覚えてたりはしないはずだもの。

隆綱殿の瞳を、じっと見つめる。そうすると、ゆっくりと瞼が降りていく。
あぁ、閉じちゃう!
そう心の中で言って、私、話したかったんだと気付く。今なら、まだ起きてくれるかもしれない。でも、声にならなかった。
だって、隆綱殿に、私の気持ちは届かないのだもの。

「ほら、また泣いている」
目を開けた隆綱殿が、こちらを見ている。でも、やはり、もう眠たそうにしか見えない。
「私が見てる前では泣かないのに、ああして目を閉じると、途端に涙を流す。…夫にくらい、心を見せてもいいと思いますよ」
夫!
隆綱殿からそんな言葉が出るなんて、思ってもみなかったから、一瞬にして、頬どころか、耳や首まで熱を持ったのを感じる。
繋がっていない方の手が、すっと伸ばされて、私の頬を撫でる。私の熱い頬に触れても、なお、熱い手のひら。
「姫の悲しみが、この夜の闇に溶けてなくなってしまえばいいのにと思います」
隆綱殿は、いつも、私の頬を撫でる時、そっと優しく手のひらで包み込むようにする。それは、もう、私の心の安らぎになっている。
なんでこんなに温かいの?優しくしてくれるの?大谷に忠義を通すためだけに、奥方様への気持ちを圧し殺して、私みたいな女子を大事に扱うと言うの?
生家を失って以来、他人に、こんな優しくされた事なんてないから、戸惑う。
好かれてるんだって、勘違いしちゃうよ。
この胸の高鳴りは、ただの勘違いのせい。優しさの先にあるのは、私への思いなんかじゃない。
でも、もういいや、勘違いだとしても。だって、隆綱殿は、大谷に仕えている限り、私が大谷の娘って言うだけで、こうして、睡魔と戦ってまで、私に優しくしてくれるんだもん。そして、私は、もうその優しさに取り込まれて、脱け出せそうにないのだもの。
一つ深呼吸をする。
誰にも告げたことのない、私の心を、今初めて口にするのは、すごく緊張する。
「…一人であるのが怖いのです」
ぼそっと、消え消えに言う。
そう、一人が…と、隆綱殿は、握り合う手をぼんやりと見ながら、呟く。
またゆったりと瞳が閉じられて、静かに開いた。
眠たそうな瞳が、こちらを見る。
「なら、もう恐れる事はありません。私がいますし、若竹も姫を慕っています」
隆綱殿がいるから。若竹もいるから。
二人とも、大切な存在。でも、二人とも、私が一番にはならないし、いつなくなるか分からない危うい支えに思える私は、頷けない。
またゆっくりと隆綱殿は瞬きをする。
「それでもまだ一人だと感じるのなら、母になると良い」
母に?それって…。
どきどき、どきどきと、鼓動は高鳴るばかり。もう壊れちゃうんじゃないかってくらい、激しく動く。
「私も、若竹が生まれて、考え方が変わりました。戦場から戦場へ、ひっきりなしに駆け回る事ばかり考えるような、根無し草みたいな生き方をやめようと思ったんです」
根無し草みたいな生き方。その言葉に、胸が締め付けられる。
ああ、そうなんだ。私は、家が欲しかったんだ。ずっと、ずっと、なくならない家が。揺るぐ事のないしっかりとした家が。
萩原の家は、あっと言う間になくなった。大谷の家では、私は居候でしかなかった。じゃぁ、白河の家は?白河の家はどうなのかな?
永遠に続く武士の家なんてないのかもしれない。でも、一つだけ分かるのは、私は、ここに居たいし、居場所が欲しいって事。それだけは、はっきりと分かる。
「私も…嫌です。もう根無し草みたいに、違う家へと移りたくないです」
「もう心配はいりません。ここが、ずっと、姫の家です」
「…ずっと」
「はい、ずっと、どんな事があろうと、姫のいる場所は、この白河の家です」
「ありがとうございます。そう言ってもらえて、私、すごく嬉しいです」
泣きそうになるのを抑えて言ったものの、返事が返ってこない。
「隆綱殿?」
小さく呼んでみるけど、さっきから開いたり閉じたりしていた重そうな瞼は、全く開こうとしない。
寝てしまった?
やっぱ、あれは、起きてたんじゃなくて、完全に寝ぼけてたって事なのか。
何とも空ろな気がしないでもなかったけど、言質は言質よね。私は、ここにいたい。そして…いつか、母親になりたい。


隆綱殿が好き。
いつもより気持ち少し隆綱殿の側に寝てみる。私より温かい体。胸に置かれてる手に、そっと自分のを重ねてみる。
片想いだけど、嬉しくなる。
そして、私も目を閉じた。

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