戦国の花嫁■■■無声の慟哭30■


いつものように、どこぞの部屋を漁っていると、ごそっと連作の本が見つかった。
もちろん、題紙は、漢字だらけで、なんの本かは分からない。なんとか、衆?…孝、えーと?よくよく見てみるけれど、何文字で構成されてるのかすら判読できない。これ、私の知ってる字じゃないんじゃない?
題紙が読めなければ、本文の書名を見ればいい、と、開いてみると、写本らしく、角張った字が連ねてあった。
んー…やっぱ、衆と孝は分かるけど、読めない。悪足掻きに、何か手がかりがないか、字を目で大雑把に追っていくと、その中で、事と言う文字が目につく。縦に長く書かれてる字体には見覚えがあった。この書き方、よく見るけど、…これは、隆綱殿のお祖父様の字かしら?
ふと、そんな事を考えて、奥書きを探してみるけれど、案の定こちらも漢字…なのかすら分からないかなり崩された文字で書かれてて、眉を寄せた。ぇえっと?んー、承…暦、癸未、盛夏、かな?承暦って言うと、やっぱりお祖父様の頃の写本だ!じゃあ、これも唐渡りの本を写したものなのかな?
続きを読んでは見るものの、誰が何のために写したのかまでは判読できない。
…世の中には、知らなくてもいい事がたくさんあるものよ。
ぱたん、と本を閉じて、立ち上がった。

もちろん、向かうのは、書庫。
珍しい。書庫の戸が閉じてる。
そんな事を思ってから、引き戸を開けようと、両手で持っていた本を片手に移し、空いた手を引き手に掛けようとした瞬間、触れてもいないのに、戸が開いたので、目を見開いて、顔を上げた。
戸を開けたであろう、私と同じ年頃の若武者が、こちらを見ていた。すらっとした長身に小太刀を差していたけれど、かなり簡素な服装だったので、武士団ではなく、事務方のひとかもしれない。
でも、驚いたのは、私の方だけだったようで、彼は、私であると認めるとすぐ、一つ会釈をしてみせた。
もちろん、私は、どう対応していいのか、慌てふためくばかりで、言葉が出ない。
「…どうぞ」
私の挙動不審を全く気にする事なく、彼は、すっと道を開けてくれる。
「あ…と、すいません」
「いえ」
「ありがとう、えと…」
名前を言おうとして、口ごもる。

紹介されたかしら?見覚えがあるような、ないような。白河は、人が少ないと言っても、城砦として機能する場所だから、それ相応の人数はいる。しかも、圧倒的に男の人が多い。
一応、一人一人挨拶をしたのだけれど、隆綱殿の紹介は、鬼神らしく、あまりにもざっくりと、かつ矢継ぎ早だったから、よほど印象が強くないと覚えてられなかった。だから、正直言うと、顔と名前の一致するひとは、まだ半数もいないかもしれない。
と、あくまで、私の記憶力の問題ではなく、隆綱殿の紹介の仕方のせい、と言い訳してみるけれど、覚えてないでは、なかなか済まされないもので。
目の前の彼は、これと言った感情を見せず、私を見下ろしていたけれど、私が口ごもった理由に気付いたのか、あぁ、と呟く。落ち着いた雰囲気に合う低い声は、歳が私とそう変わらなさそうに見えるのに、ひどく大人っぽさがあった。
「治五作、とお呼びください。姫にお声を掛けていただくのは、初めてになります」
「あの、治五作殿…すいません」
「いえ。俺たちは姫お一人をお迎えしただけですけれど、姫は白河の皆が初対面になるのです。覚えておられなくて、ある意味当然ですよ」
あ、やっぱ、そうですよね?覚えてないの、当たり前ですよねー、と思うけれど、素直に同意するわけにもいかない。
「それでも、挨拶をして下さったのに、覚えてないのは、やはり失礼に当たると思います。すみません」
「確かに、それも真理でしょうね。…それ、しまいにいらしたのですか?」
「え?…はい。続き物のようなんですけど…書名が読めなくて、どこにしまおうかと思ってたところだったんです」
「拝見しても?」
こくりと頷いて、一番上にあった一冊を差し出した。治五作殿は、それを受け取ると、題紙を一瞥してから、ぺらりと表紙をめくる。題紙が判読できなければ、中に書かれているはずの書名を探す、と言うのは、さほど間違った方法ではなかったらしい。
勝手に自分で、ほっとしていると、治五作殿は、目録の置かれている棚に手を伸ばす。ぱらぱらと紙を繰る手は慣れてるのか迷いがなく、私はただ突っ立って、それを見守る。
「…ありました。朱地の白文様、松に鶴。紺糸…かは判別できませんが、他に似た書名のものはないようなので、これでしょう」
白河の目録には、書名や冊数の他、装丁についても書かれている。その特徴を、順々に口にしながら、一つ一つを指で指し示してくれる。
「ありがとうございます。どちらが置き場になりますか?」
「私がやっておきます」
有無を言わさない雰囲気で、手を伸ばされるから、あ…じゃあ、お願いします、と差し出した。
では、とそれだけ言いおいて治五作殿は、書庫の奥へと消えていった。
…あれ?嫌われてる?
何となくそう感じて、どうしてだろう?と首を傾げる。会話の流れ的に、自分を覚えてなかったから、とは思えない。
あまり考えないようにしてきたけれど、私をよく思わないひともいるのかもしれない。ぽっとやって来た主家からの嫁だし、屋敷を荒らしまくってるし。
奥方様の喪に服したいひともきっといる。平素通り振る舞う私に、非常識な奴だと感じてるのかもしれない。
でも、私は、たとえ、場違いでも、日常の生活をして、普通にしてなきゃいけない。だって、奥方様を悼んだりする立場ではないのだから。むしろ、お悔やみを、とか言ってしまえば、私はここにはいられなくなる。喪中の家に、嫁として来た、それこそが不自然で、非常識で、普通じゃ考えられない事。婚儀を政治のだしとしか見なさない武家だからこそのもの。まぁ、キビは特にしょっちゅう、戦をしてるのだから、不幸がある度に、うち、今、喪中なんですよ、なんて断りを入れてたら、いつ喪が明けることやらって話ではあるのだけれど。それにしたって、急遽、私をここに寄越したのは、あからさま過ぎると言うか…、白河の人は奥方様と好意的に接してたのだから、あちらは、奥方様を道具としてしか見てなかったのかって、憤るひともいるかもしれない。
治五作殿は、その一人なのかも。
坊主憎けりゃ、袈裟まで憎し。きっと、主家の養女は、袈裟に見えるんだろう。
自分の勝手な想像だけど…なんか、へこむ。

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