戦国の花嫁■■■無声の慟哭31■


白河のひと達に、嫌われてるのかもしれない。
そんな思いに、自然と眉間に寄ったシワを手で伸ばそうとしたその時。
「どうされましたか?」
「わっ!!」
いつの間に現れたのか、隆綱殿が私を覗き込んでいたので、びっくりして後ずさり、背後の書棚にぶつかる。がたん、と大きな音はしたけれど、頑丈に設えてある棚は、びくともしない。
と言うか、痛っ。
押さえようとした後頭部を、先に隆綱殿の手が包み込む。
「大丈夫ですか?けがは…?」
「っっ…大丈夫です。びっくりしただけで」
「すいません。驚かせるつもりはなかったんですが…何か考え事でも?」
目視で、けがのないのを確認したのか、ぽんぽんと撫でて、隆綱殿はそう尋ねてくる。
あなたの部下に冷たくされて、自分の考えにへこんでたんです。
とでも言えばいいのか?…んなわけない。
「あ、えと…考え事と言うか、なんと言うか」
「ここにいると言う事は、何か片付けに来たのでしょう。無事、しまえましたか?」
しまえた、と言って、ちなみに何の本でした?なんて返されたら、万事休す。私は、書名すら分からないのだから。
…会った事だけ伝えれば、隆綱殿の気を悪くする事もないよね。
「それが…私じゃ分からなくて、ちょうど治五作殿がいたので、目録から探して、しまいに行ってくれました」
「治五作に!?」
突然、隆綱殿の声の調子が上がる。
あれ、言い方を間違えたろうか?
「あ…頼んでは、いけませんでしたか?」
「いえ、そう言うわけではありませんよ。ただ…」
そう言って、隆綱殿は、微妙に間を取るから、どうしたって、どきりとする。あれ、この展開、兵衛殿の時と似てない?だったら、私の第一印象も、隆綱殿の危惧も、どっちも杞憂…?
なんて、そんな好都合な事、二度も三度もないよ、普通。
「いや、姫が…困らねば、それで構わないんです」
「へ?私が、困るん…ですか?どちらかと言うと、治五作殿の仕事を増やしてしまったわけですし、私は、これと言って」
思いも寄らない言葉に驚きつつも、そう返すと、隆綱殿は、そうですか、と言いながらも、納得した表情にはならず、じっと私を見つめてくる。
なに?私、疑われてるの?どうして?特に困らなかったから、困ってないって言ってるのに。なんで、そこにひっかかるのかな?でもさ、なんで、治五作殿に接して、困ると考えるの?
「治五作殿に、ものを頼むと、後々、大変なんですか?その、今回、片付けをお手伝いしてもらった事を、いつまでも覚えてて、何かある度に、手伝ったんだから、あれしてこれして、とか言ってくる性格…なんでしょうか?」
ぱっと思い付いた、あり得そうな問題を口にしてみるけれど、隆綱殿は、は?って顔をする。
違うのか…。じゃあ、つまり、まさか、本当に、私、嫌われてるの?
「あー…、どちらかと言うと、淡白な奴ですから、平気だと思いますよ」
「…隆綱殿」
「うん?」
「治五作殿は、奥方様を敬愛されてたんでしょうか?」
「治五作が?…あいつは、そう言う情みたいなものに流されにくい奴ですし、世間話とかあまりしないので、本心は知りませんが。まぁ、私の妻であるからには、それなりの仕え方をするべきだ、とは思ってたんじゃないですかね」
聞いといてなんだけど、鬼神に聞いても、それが真実だとは思えない。後で、兵衛殿に聞いてみよう。余計こんがらがるかもしれないけど、まだましだ。
「治五作が、何か失礼をしましたか?」
「いえ、私の方が、治五作殿の気分を悪くしてるんじゃないかって思うのです」
「まさか。言ったでしょう?若竹の母親と特に親しくしていたわけでもないし、さっぱりとした格だと。…まぁ、姫がそのように受け取られたのだから、あいつの態度が悪かったんでしょうね。申し訳ありません、後で言い聞かせておきます」
「えっ?!ちょ、隆綱殿!そうじゃないんです。そんな事しないでください。治五作殿に何の落ち度もないのですから」
「姫がそう言われるのなら、やめておきますが…本当にそれで、いいのですか?」
飴色の瞳が、すっと細められ、まっすぐに私を見る。夜にたまに見る、見定めるような、探るような強い視線。
まだ他に言いたい事があるんじゃないか?本筋は、もっと別にあるんじゃないか?
そんな事を無言で語りかけられてるような気がして、戸惑う。
他に言いたい事…って言ってもさ。もうこれ以上は、鬼神に聞く事じゃないんです。
優しく気を遣って、言わせようとしてくれてるんだろうけど、それが逆にぐっと重くのしかかる。
何て言えば、伝わるだろう?そんな風に身構えた時、隆綱殿が口を開く。
「実のところ、声をかけようか、迷ったんです。視界の端に、私が入ってる風なのに、姫は全く気付く素振りがなくて、その間、姫は、立ち尽くして、何か深く思い悩んでるようでしたので」
「あ…私、そんなでしたか?」
「ええ。それからして、じっと一点を見つめたまま動かないものだから堪らず声をかけると、案の定ひどく驚かれれたでしょう…、それを見て、周囲に気を配れないほどの何かあったのだと思ったのです」
確かに、治五作殿の応対についてあれこれ考える事に没頭していた気がするけれど…今になってしまえば、何か、と言うほどの何かでもなくなっているので、首を縦にも横にも振れない。
「だから、本当のところ、出来る事なら、治五作とは接したくなかったのではないかと」
「へ?ですが、あの、私、治五作殿とちゃんとお話ししたの、さっきが初めてで。接したくないとか、そんな風に思うほど、治五作殿の事知りませんよ…?」
「いえ、それは、そうなのですが…」
「私、了見は狭いかしれませんが、さすがに、武家の娘として、直接お会いしたり、お話もしないまま、人柄を判断しないようにはしてるつもりです」
一体、何を思って、そんな悪く勘繰るのか?むっとするよりも、怪訝な表情を浮かべずにはいられない。しかも、自分の部下の事だし。
「すいません。失言でした、申し訳ありません」
「構いませんけど…でも、どうして、そんな風に思ったんですか?」
「あー、それは…」
一瞬、隆綱殿の目が泳ぎ、視線を左右に動かしてから、ぐるりと回すと、にこりと笑った。
「きっと、嫉妬から来るものだったんでしょうね」
「は?っぇえ?!」
「治五作は、ちょうど、姫と同じ年頃ですからね。話が合ったり、馬があったりして、惹かれてしまうんじゃないかと…、つまり、やきもちですね」
嫉妬とか、やきもちとか、思われてなきゃ使われない言葉を言われて、私は顔を真っ赤にした。嘘!私の事、少しでも思ってくれてたりするの?いやいや、ちょっと待って。惹かれてしまうとかって事は、私が移り気だと思われてるから?ううん、主家からの花嫁に不義などされては困るから、やんわりと牽制してるのかもしれない。そんな事、絶対しないのに!
「隆綱殿!」
「うん?」
「私、決して隆綱殿を裏切るような事はしてません」
「えぇ。分かってます。言ったでしょう?ただの私のつまらないやきもちだと」
笑みが、ふっと優しくなって、隆綱殿は、慣れた仕草で、私の頬を手の甲でそっと撫でた。
つまらなくなんてないです。そんな風に言ってもらえるだけで、すっごい嬉しいです。
などとは、当然言えるはずもなく、優しく投げ掛けられる視線を、どう受け止めたらいいのか考えあぐねる。

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