戦国の花嫁■■■無声の慟哭35■


ふわっと水面に浮き上がるような感覚を覚えて、目を開けた。

とんでもない疲労感が、全身を覆っている。
うーん、何でだっけか?あー、そっか。そう言えば、そうだっけ。
頭の下に敷かれてた痺れた腕を動かして、首を左右に振って、無意識ながらも、居るはずの隆綱殿を探すように、辺りを見回した。
「目を覚まされましたか?」
その声は、確かに隆綱殿のものだったけれど、すぐ隣りからではなく、少し離れた場所からで、あれ?と思うものの、そちらに視線を向けた。
寝所に置かれている簡易の文机に向かっていたらしい体を今はこちらに向けている。そして、その回りには、沢山の紙類が散乱していたので、いくら寝ぼけていても、仕事をしていた事が窺い知れる。
しかし、これは、隆綱殿だから、この惨状なのか、これほどの量の資料を必要とする作業であるのか、見ただけでは判断できなかったけれど、何かの仕事をしている事は間違いなかったので、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「私が煩わせたから、ですか?」
出てきた声があまりにも掠れてて、目覚める前の有り様をはっきりと思い出したけれど、それに赤面している余裕はなかった。
「うん?」
「こんな時間なのに、お仕事…されてたんですよね?」
「あー、まあ、仕事ですけど…、姫がどうこうと言うより、ほら、予定外の乱入があったでしょう?だから、済ますはずだったものが終わらなくて」
「それでも、今しなきゃならないのは、私の相手をしてたから、ですよね?」
ことりと、隆綱殿は、手にしていた筆を置くと、立ち上がり、私のところまで来て、胡座をかいた。
「物事には、優先順位があるものでしょう?今日やり残した仕事と、姫と、どちらを優先させるか判断しての事ですよ」
それは、私が、大谷の養女だから。
と言おうとしたのに、隆綱殿の人差し指が、私の唇を制してしまって、代わりに隆綱殿が、私は胡麻擂りじゃない、そうでしょう?と、幼子に教え諭すようなゆっくりとした口調で言われてしまう。
「どうして、そう、口を開けば、大谷の養女だと言いたがるのでしょうね?」
「あっ…、すいません」
私自身が一番、大谷の養女である事に意識してると指摘されたのを思い出す。
「姫が、殿や大谷に、多大な恩を感じているせいだけなら、それはそれで、段々と肩の力は抜けてくんでしょうけど…」
ふむ、と顎に手を添えて、考え込む隆綱殿だったけれど、私は、隆綱殿が何を言い出したのか、何に疑問を持ったのか、全く分からず、きょとんと見返すばかり。
多大な恩?そりゃ、もちろん、ありますけど…、それで何で、大谷の養女に繋がるのだろうか。繋がるもんかしら?どうなのかな?
大谷のって冠を付けたがると言われてしまえば、それは、やっぱ、虎の威を借る狐としか、思えないんだけど。もちろん、私にはそんなつもりはなくて。言われて始めて、そう言う見方もできるなって、気付かされたくらいで…。私にあったのは、私の失敗で、大谷や叔父上に、不利益な事が起こってはいけないって、そればかり考えてた。
つまり、大谷への恩を仇で返すような事はしたくなかった…、その思いが、大谷の養女として、と言う発言に繋がってたって事?
そう言う事だろうかと、尋ねようとした時、隆綱殿の方も、何か思い至ったかのようにして、私を見る。
「もし、先ほどの、どこにいたら、いいのか?と言った、その不安が言わしめるのだったら、少し考え方を変えなくちゃなりませんね」
確信の持てない投げ掛けの上に、またしても、思いも寄らない呟きが重ねられるから、出かかった言葉が喉の奥へ引っ込んでしまう。
え、何?なんて?
確かに、窮して見境もなく、ぽろりとそう溢したけども。隆綱殿、さらっと流したじゃない。そんで、わけ分からない内に、今この状況なんですけど。じゃあ、つまり、隆綱殿的には、私の、どこにいたらいいの、発言に、あれからずっと対処してくれてたって事…になる、よね?
…としか思えない言いようだけれど、なんだろう、鬼神過ぎて、全然一連の事とは思われない。
戸惑いを全面に押し出して、隆綱殿を見上げる事暫し、考えるように視線を左右にやっていた飴色の瞳が、ぴたっと私に止まる。
「忘れてましたけど、今夜は、前の夜から六日目でしたね」
「え?…あ、そう…ですね」
「続き、しましょうか?」

その言葉に、ただ私は、二つ瞬きをした。

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