戦国の花嫁■■■無声の慟哭37■


天気の良い昼下がりの事。
若竹の部屋いると、なんと、治五作殿が現れたので、ちょっぴり身構えてしまう。でも、嫌われてるからと言っても、お礼くらいはちゃんと言わないといけない。
「あの、治五作殿。この前は、ありがとうございました」
「いえ、礼など不要ですよ。若、先ほど話されていた書物です」
私へぺこりと軽くお辞儀を済ませると、もう若竹の方へと向いてしまう治五作殿。
「え?もう?!治五作、すっごいね。僕じゃ分からなかったのに、すぐに見つけちゃうんだもの」
「それは、若より長く、あの書庫を使っているだけの事ですよ」
「そんな事ないよ。治五作と僕、十も違わないじゃない」
「じゃあ、私の歳になれば、若もそうなれるのではないかと」
では、戻す時は言ってください、そう言って、一礼して去って行ってしまう。
この天真爛漫な稚児でさえ、面前で戸をぴしゃりと閉められてしまった事実に、瞠目するしかない。
すっごいね!なんて、あのきらきらの瞳で言われたら、もうそれだけで、めろめろで抱き締めずにはいられないはずなのに。あの対処!
決して、嫡子にとるべき礼から外れてるってわけでもないから、非礼だとは感じないのだけれど…うーん。
なんか、隆綱殿が、ただ淡白なひとだって言ったの、わかった気がする。若竹にでさえ、ああなら、ぽっと出の私が一々気にしてちゃいけないんだろう。

今さらながら、それで思い出したけど、あの時の隆綱殿は、何か私に含む所があったような。

私が、治五作殿と接したくないのではないか。
なぜか、そう考えたようだったのだ。

隆綱殿に不義を疑われてしまったのを思い出す。
でも、今の感じじゃ、他の女のひとにもあんな対応なんだろうなと思えたので、一度会って、恋やらなんやらに発展するような男のひとの類いではないんじゃないかしら?それだと言うのに、私と歳が近いってだけで、打ち解けてしまうんじゃないかって、あの隆綱殿が、そんな風に考えただなんて、今思うと、ちょっと不自然な気がする。
さらに言えば、治五作殿に会ったと伝えた時の隆綱殿の驚き様は、嫉妬とか、やきもちとか言う感情が見せる表情じゃなかった。まして、私の不義による不都合を考えた感じでもなかったのだ。
それだと言うのに、話が二転三転して…。
つまり、よく分からないけれど、誤魔化されたのだなと気付く。けれど、後の祭り。もう一度問い質しても、真相にはたどり着けないだろう。

隆綱殿は、考え込む私を見て、一体何を思ったのだろう?

「お姫様、考え事?」
治五作殿が持ってきてくれた書物をある程度検分し終えたのか、私が黙ったままだったのを不審に思ったのか、若竹が、小首を傾げて私を見上げていた。
「まぁ…ね。それ、見たかった本なの?」
「うん。ほら、前に巻の三十二に入ったって言った本があったでしょう?」
「あぁ、父上が、若竹の歳にはもう読んじゃってたってやつ?」
「その本。それにね、よく出てくる本なんだ。でもね、震旦の本だから、難しいかなって、父上に聞いたら、興味があれば読めるもんだって言われたの。だから、少し見てみようと思って」
「…ふーん、そうなんだ。見つかって良かったね」
夢とか挑戦心に満ち溢れた話ぶりの若竹に、私はと言えば、何とか笑って見せるのが精一杯。

隆綱殿、読めるか読めないかの判断基準、おかしくないですか?そして、それを素直に受け止めちゃう息子の若竹くんは、やっぱり、蛙の子は蛙と言う事なのかしら。そんな片鱗は、あまり感じられないけれど…。何も、隆綱殿だって、生まれた時から蛙だったわけではきっとないはずで。そして、若竹だって、いつか蛙になる日がくるのだ。まだちょっと遠い未来に、なんだか、切なくなってくる。

でも、その前に、好きな人に似て欲しくないって思うのは、恋する乙女として、どうなんだろう?いやいや、何も、私は、隆綱殿のあれな部分にときめいた訳じゃないし!
きっと、全てを寛容出来る恋なんて、絵物語でしかないんだろう。そう思う事にする。

「書庫って、棚が高いから、僕じゃ、上の方がちゃんと見れなくて。この辺かなって探してたんだけど、どうしても見つからなくて、そしたら、治五作が探しといてくれるって言ってくれて、それで、持ってきてくれたんだ」
「そうだったんだ」
「僕、三日も探してたのに、治五作ったら、すぐに見つけちゃったんだよ?すっごいよね」
やっぱり若竹は感心するばかりで、先ほどの冷たい切り返しを、全く気にしている様子のないのを見て、微笑ましい気持ちになる。
「ホントね。私がしまおうとした本も、ちらっと本を見て、ささっと目録から調べちゃって、あっと言う間だったよ」
「ね、治五作、すっごいよね。…僕もいつか治五作みたく、父上のお手伝い、できるようになるかな」
ちょっと不安気な瞳は、いつか言った、父上の子なのに、出来が悪いんじゃないかって考えが、まだ拭いきれないからなんだろう。
今度は作り笑いじゃなく、本心から微笑むと、若竹の頭を撫でた。
「今できなくても、若竹は、そうなれるように、今、頑張ってるんでしょう?」
「そうだよね。僕、一生懸命本を読んで、弓の稽古も頑張るよ」
「うん、その調子。がんばれ」
両頬を両の手のひらで挟み込んで、ぐにぐにぐにとしてやると、くすぐったそうに、ちょっと照れつつも、にこりと笑顔を見せてくれる。
あぁ、かわいすぎる…。
そんな風に和まされていると、一変、若竹の顔から、表情がふっと失われる。
「最近、お姫様、来てくれないのね」
若竹が、涙目とはまた違う、憐れを誘う表情で、そう言った。
ぎくりとしてしまったのは、後ろめたい気持ちでいっぱいだからなんだろう。なにしろ、ここのところ、私は隆綱殿の腕の中で、心地よい眠りを堪能していたから。
「え…もしかして、昨日、なかなか眠れなかったの?」
だとしたら、私はなんて身勝手なんだろうか。自分一人、ぬくぬくと幸せを味わって、こんな稚児に寂しい思いをさせてたとか。自分の使命はどうしたって話だ。
「そう言うわけじゃないけど…ちょっとお話ししたかったなって」
「そっか。ごめんね…代わりと言ってはなんだけど、今なら時間あるし、話そうか?」
「うーん…それもしたいけど」
そう言ったきり、俯いて小さな両手の指をいじるだけの若竹。
言いづらいのかな?照れてる?…って、何に?

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