戦国の花嫁■■■無声の慟哭40■


まさに、迅速と言った感じで、あっという間に、隆綱殿は留守居の差配を終えてしまうから、私は言葉通り、この身一つ以外用意できなかった。
そして、若竹に事情を説明する暇もなく、白河を出立し、大谷のお城には、昼を大分過ぎた頃に到着した。
息を吐く間もなく、一族郎従が集う大広間に通される。部屋の左右にずらりと並ぶ男たちの目には、敵意がありありと表れていて、驚く。何人かの見知った方は、私の姿を見つけて、戸惑ったような表情を浮かべていた。いつも、隆綱殿は、こんな瞳を向けられていたの?評定の場になんて、立ち入った事はないから、知らなかった。宴の場では、ここまであからさまな雰囲気はなかったのに。
隆綱殿は、入り口で一つ礼を取ると、何も言う事なく、背筋を伸ばし、部屋の奥へと歩いて行ったから、私もそれに続く。
まさに、裁きを受ける、そんな感じ。
でも、一体どうして、このような場が設けられるのか、全く分からなかった。白河に翻意?まさか。だって、私が白河に移ってから、隆綱殿は一度として屋敷から出た事はなく、政務の他はほとんどの時間を私に割いてくれていたのだ。謀を企てようとか、そんな様子は見られなかった。そもそも、隆綱殿が大谷を抜ける利が見つからない。
…考えたところでわかるはずもないか。
それならと、言う事になるかもしれない口上の段取りを入念に確認する事にする。

どうか、準備の仕損で終わりますようにと。

暫くすると、父上がやって来られた。
「面を上げよ」
そう決まり文句を言うと、待っていたとばかりに、声が上がる。
「殿もお聞き及びとはございますが、此度、評定を願ったのは、他でもない、逆臣隆綱の事にございます」
「さよう。西の外山と共謀の疑いがございます」
「今年に入って三度、外山からの襲撃を、大谷よりの援軍を待たずして撃退したなど、不信に思われませんか」
「真は襲撃などなく、ただ大谷の兵を無駄に疲弊させ、そして兵糧を浪費させようとする魂胆かと」
うーん、なるほどのぉ、と父上は頷いてから、隆綱殿を見る。
「隆綱、申し開きはあるかの?」
「では、お言葉に甘えさせいただきまして、申し上げたき儀がございます。皆様の嫌疑につきましては、当方全くの心当たりがございません。ご承知の通り、三度の内、二度におきましては、それなりの首級を実検頂いたかと」
「そうじゃの…あれらは、なかなかのものであったな」
「お認め頂き、ありがたく存じます。…しかしながら、このように問題多き私などの許に、大切な姫がいらっしゃっては、殿のご心中いかばかりの事と思います。殿よりの折角のご恩情ではございましたが、姫をお返し致したく、本日、姫をお連れした所存にございます」
隆綱殿の言葉に、私は目を見張った。
なんで?どういう事?私を返す?
あんなに簡単に、私が大谷に行く事を許してくれたのは、私が何かしでかすか戦々恐々だからじゃない、大谷に返すつもりだったから?あそこで私が行くと言わなくても、連れてくつもりだったんだ。
そんな、私は、隆綱殿にとって、要らない存在なの?
でも、もう大谷には居たくない。あの頃に戻りたくない。
ううん、隆綱殿の側にいたい。隆綱殿の隣にしかいたくない。
そう思った感情、そのままに、口を開いた。
「嫌です。そんなの嫌。私が帰るのは、私がいるのは、白河の家です。皆様、お聞きください。隆綱殿には、大谷に背く意思などありません」
ここで、私が口を開くなどとは、誰一人として思っていなかったのだろう。
一体、急に何を言い出したんだ?とばかりに、視線が寄せられる。
「姫、落ち着かれなさいませ」
「そうですぞ。姫は、隆綱の本性をご存じないのです」
「隆綱は、裏では、外山に通じなからも、言葉巧みに、殿にすり寄るような男。きっと、姫も、隆綱の偽りの言葉に、惑わされておいでなのです」
「さぁ、大谷へお戻りください」
大谷の禄を食むようになってまだ日の浅い白河と旧来の家臣たちとの間に、軋轢があるのだと言うのは聞いていたけれど、まさかここまでとは思っていなかった。小野のような、本当に大谷の始まりから仕えてくれている家を筆頭に、少し過激な見方をする人が、何人かいる程度だと思ってた。
誰一人として、隆綱殿を庇う人がいないなんて。
それは、かつての萩原の父上のお立場を思い出させて、よけいやるせなくなる。
ううん、ここに一人いるじゃない。隆綱殿を誰が悪く言おうとも、私はあの人を信じて、支える。
そのために、私はここに来たんだ。
手を強く握りしめて、心を落ち着かせる。
大丈夫、落ち着いてやれば、上手くいく。
そう、自分に言い聞かせる。そして、徐ろに腹に手を当て、一同を見回す。
「…子がいるのです」
「「「は?」」」
大谷の家臣が皆、一様に呆気に取られたような表情をして、ぽかんと私を見る。もちろん、隆綱殿も。
よし、上手く引き込めた。後は、順序よく、話すだけ。
「私の腹には、隆綱殿の子がおります。私に、大谷に戻れとは、この子を父親なしの子にすると仰るつもりなのですか?」
「いや、しかし、隆綱は謀反人なのです」
「そのような父を持つよりは、大谷でお育ちの方が良いと言うものです」
「私たちが、立派にお育ていたしましょう」
次々に投げ掛けられる言葉。
私のような、年端もいかぬ小娘など、あっという間に、ねじ伏せられると思っているのが見てとれた。でも、残念ね。私には強い意志がある。隆綱殿のためなら、ううん、隆綱殿のお側にいるためなら、たとえどんな者にでも、跪く事などしてみせるものか。
その意識が、虚勢ではなく、私の心に宿り、ぴしっと背が伸びる。
「では、私はこの子を十郎と呼び、今日のこの日の事を語って聞かせましょう。誰が、父を大谷のお城から追いやったのか、しっかりとその心に教えるのです。そして、成人した暁には、きっとその仇を討つようにと」
「姫!何を仰せですか」
「生まれる子は、きっと、あなた様方が恐れる白河の血を引く男子。五郎はおらずとも、一人にて、必ずや宿運を果たす事でしょう。私は、マンコウ様のように、新しい家に安堵して、かつての縁を切り捨てようなどとは決して思いません。保身や我が子の命大事に、後悔して、自らが植え付けた仇討ちの野心を捨てさせようとはいたしません」
私の執念を、何年もの歳月をかけ、父親の仇を討った曽我兄弟の話になぞらえてみる。
武家の女子として、嫁した家に染まっていくのが、当たり前の事だと思ってた。実際、萩原を裏切って後、大谷の家に仕えたひとに会ったけれど、そこまで深い憎悪は抱かなかった。所詮、私は女子の身の上で、仇を討つのは、男子のする事と割り切れてしまったから。
でも、今は違う。たとえ、この後、白河ではない場所で過ごす事になったとしても、私は、白河を忘れられない。隆綱殿なしでなんて、生きてかれない。自分の持てる全てを使って、その場所を奪ったひと達を恨み、憎み、過ごす自分しか、想像できない。
だから、今、どんなに分不相応だとしても、口を開かずにはいられなかった。
突然の私の激昂に、周囲はさらに混沌とし始める。
「一体…姫、どうされたと言うのですか?」
「姫も、隆綱の悪行をご存知のはず」
「もしや、隆綱に、そのように仰せになるようにと、言われたのではないのですか?」
「なんぞ、脅されておるのではないのですか?」
「ここは、大谷です。安心なされよ。無理に、隆綱を援護する必要などないのです」
「そうですぞ、今は惑わされているだけです。私たちの申す事こそ、正義であったのだとお気付きになる日が、きっと参ります」
「ですから、私たちに全てお任せください」
そんな風に言ってはいるけれど、呆気にとられていた表情が、もはや動揺一色になっているのは、見てとれる。くっと、目に力を入れた。
「私が惑わされてるとお思いになるなら、どうぞ、隆綱殿をご存分に処しください。なれど、狩りが催された際には、十分に気を付けられる事ですね。父のない子を憐れみ、手を貸す方がいないとも限りません」 勝ち誇るように、自信満々に演説振る。
一様に殊更困った表情をして、お互い視線を交わし合うのを見て、目論見が上手く行ったのだと確信する。
大丈夫、これで、隆綱殿を追いやる大義がなくなったと、ほっとする。
「しかしながら、松田殿の息女を失い奉った事も、看過できませぬ。その事こそ、殿からのご厚意を無にしたと言うもの」
動揺する雰囲気の中、そう、強く言い放ったのは、小野殿だった。親兼の父君に当たり、小野家の当主。そして、小野の家は、大谷にとって、股肱の臣。苦楽を共にしてきた小野は、今に至るまで、大谷の家に多大なる影響力を及ぼしてきた。その長い歴史の中で、小野が白と言えば、例え大谷が黒と言おうとも、白になる事さえあったと聞く。
淀みない小野殿の声色は、小娘の虚言を一掃するに足るものであったようだ。
そうだ、許される事はない、と次々に、私の仕掛けが瓦解して、小野殿の側に回っていく。
あと少しだったのに。上手く通らなかった。次はどうする?どうしよう。諦めたくないのに、上手い方法が見つからない。
「いい加減にしないか!」
それまで、何も口にしていなかった松田殿が、張り裂けんばかりの大音声で、再び勢いを取り戻し、口々に話し始めた一同を黙らせた。
誰もが、松田殿の発言に驚き、視線を向ける。
「生まれつき体の弱いあの子を、隆綱に押し付けたは、一体誰だったと言うつもりか。子を産む必要はないと、あの子によくよく言い含めたのは誰だ。だと言うのに、あの子は、男子を産み落とした。それが示すものが何なのか、御辺らには分からないのか。もう、隆綱を妬むのはよそう。隆綱は、白河の者達は、欠け代えのない、この大谷の一門になったのだ」
「義父上」
「隆綱、済まなかった。わし達は、そなたの才能が怖かったんだ。殿の寵を一身に受けるそなたが憎かった。だから、子を産めるほど丈夫ではないからと、嫁ぐ気のなかったあの子を無理矢理…」
「分かっています、すべて、承知の上の事。しかし、たとえ、始まりは、そうだったとしても、トミ姫と過ごした年月は、私にとって素晴らしいものでした。謝っていただくような事ではありません。そして、トミ姫も、同じ気持ちだったと思っています」
「…そうか」
堅物で知られる松田殿の目尻が、僅かに光る。その姿を見て、その場がしんと静まり返った。
「鬼の目ならず、松田の目に涙と言ったところだな。松田は、公平な男だ。その男をして、ここまで言わしめたのだから、ワシたちとても、理なく反発するわけには参らんな」
少し背を丸めた松田殿の肩を、ぽんぽんと叩きながら、一人が冗談めかして発言すると、そうだな、争うのは止めよう、などと同調の意志をみせる人がぽつりぽつりと増えていった。
小野殿は、まだ隆綱殿を冷たい瞳で見ていたけれど、形勢は決した。
「そなたたちも、これで分かったと言う事じゃな。隆綱は、この大谷の新しき柱。だからと言って、古きに挿げ替えると言うものではない。末永く、いついつまでも、皆で、この大谷を支えて欲しい」
どちらに付くこともなく、事の成り行きをただ外から見ているだけだった父上は、満足そうに、相好を崩した。
そんな風に言うのなら、初めから隆綱殿を庇ってけれてもいいのに…と思ってしまったのは、きっと、私はもう大谷のものではなくなってしまったからなんだろう。大谷にとって、隆綱殿や白河は、数ある駒の一つでしかなく、ないならないで他を補充すればいいのだから、強い執着を見せる必要はないのだ。そんな事をすれば、それこそ、家臣たちから妬まれ、上手くいかなくなる。だから、叔父上の態度を怒るのは、お門違いなんだろう。
だからと言って、領主として、賢くはあれど、且つ鮮やかである、とは思えないのは仕方がない。
「そして、隆綱よ。姫を、わしからのささやかな気持ちと思うなら、そなた、そう易々と返しては角が立つと言うものじゃろう?」
叔父上、ありがとう!さっきのぼやき、撤回します。
隆綱殿が、叔父上の方に向き直り、姿勢を正す。
「この隆綱、身命を賭して、微力ながらも、大谷のお家にお仕えする所存にて。そして、必ずや、お預かり致しました姫を大切にします」
「おお、そうか、そうか。姫、良かったのぉ。また、子が生まれたら、大谷に参るが良い」
「はい、元気な子を生みまする」
そこでようやく、私は、ほっと胸を撫で下ろした。

次≫≫■■■

inserted by FC2 system