戦国の花嫁■■■無声の慟哭42■


私のため…?
「姫には、心安くいて欲しいんです」
「そんな、ダメ。私のために、隆綱殿が危険な目に遇うのは…そんな事、ダメです。いけません」
「心配は要りません。それに、私も武士の端くれ、売られた喧嘩は買わないとね」
にこりと笑みを深める。
売らせるように仕向けたのは、自分だと言うのに、少しの呵責もないようだった。本当に、隆綱殿なのか、疑いたくなるくらいの変貌ぶり。
「隆綱殿!私が言いたいのは、そう言う事ではなく」
言い返そうとした私の言葉を遮るように、大きな手のひらが、いつものようにして、私の頬を包み込む。変わらずに、優しい笑顔をしていたけれど、瞳の奥には鋭さがあり、有無を言わせない雰囲気を纏っている。その目を見つけて、漸く、武士としての隆綱殿を垣間見てるのだと気付く。
「武士と言うのは、無駄に血の気の多い生き物なのだと、姫もよくよく御存知でしょう?」
武士の性。
私は武家の娘だ。生まれた時より、武士と言う者に囲まれてきたから、隆綱殿の言う事は理解できる。でも、これは本来、隆綱殿には関わりのない火種なのに。
「喧嘩と言えば、横車を曳いてでも始めたがるのが武士なのだとは分かっていますが…でも、無為な争いはして欲しくないのです」
「無為などと、どうして言うのですか?姫のための戦い。喜んで、私は、拳を振りましょう」
「どうして?…どうして、ここまでしてくれるのですか?」
私のため。
その言葉に、胸が締め付けられる。隆綱殿に守られたいと、ずたぼろの弱い私が訴える。
でも、隆綱殿にとって、私は、大谷に押し付けられた側女でしかないのに、どうして、こんな面倒事にまで、首を突っ込むのか、理解に苦しむ。知らぬふりだって、できるのに。
白河隆綱は、窮地に遭って、どんなに追い詰められたとしても、言動巧みにして、全てを掻い潜り、最後には必ず大谷へ忠を示す、まさに義を金石に比す将である。
そんな噂話を聞いた事がある。
父上…萩原の私の本当の父は、沢山の裏切りにあって、あのような最期を遂げられた。隆綱殿の、その信義ある噂を聞いて、新しく来た大谷には、頼もしい人がいるんだと思ったのを思い出す。なぜ、そう言う人が、萩原にはいなかったのか、と。どうして、龍丸を守ってくれる人が、ただの一人もいなかったのか、と。もちろん、私にだって、そんな心強い人はいないのだ。隆綱殿と私は、何の主従関係も、義理も何もないと言って等しい。隆綱殿は、大谷の臣。私と彼との繋がりは、それしかない。つまり、やっぱり、主家のためなら、どんな忠も尽くすの?
きっと、ただの、姫のため、じゃなくて、主家大谷のって言うのが、その頭に付くのね。

けれど、隆綱殿は、どうしたのか、きょとんと真顔になって、目を瞬かせた。
「どうして、か。その理由を余すところなく、語って聞かせたいのですが、今は時間がありません。なぁに、すぐ済みますよ。だから、良い子にして、そこで待っていてください」
三度、親指の腹で、私の頬を撫でた隆綱殿は、本当の武士になってしまったようで、見違えるくらい力強くて、私は何も言えなくなってしまう。

沈黙を了解の合図と取ったのか、すっと頬の手を離すと、ゆっくりとした歩みで、庭に降りていく。親兼は、待ちきれないとばかりに、抜刀するけれど、隆綱殿はさっきといい、少しも動じる気配がない。
「何してる、さっさと抜けよ!」
「城内にて、許可なく、武器を手にするわけにはいかんよ。ぬしは、ぬしの意のまま、好きにすればいい」
ちっと、親兼は舌打ちすると、手にした刀を放った。
良かった。これで、よほどの事でない限り、ひどい流血沙汰にはならないはず。
「かっこつけてんじゃねぇよ、おっさん!」
ほっとしたのも束の間、親兼は、地鳴りのような低い声で叫ぶと、隆綱殿へと一直線に駆け出した。
隆綱殿は、おっさんか…と呟くと、下ろしたままの手を三度ほど握りしめて開くのを繰り返すと、僅かに重心を下げた。私には、その背中しか見えてないのに、その瞬間、一気に雰囲気が変わったのを感じる。
そのまま、親兼は隆綱殿にぶつかっていくと、次の瞬間には、地面に叩きつけられていた。
何が起こったのか、全く分からなかった。分かったのは、どぅっと音がして、親兼が転がった事。
そして、その背中に、隆綱殿は乗り掛かると、起き上がる暇も与えず、あっと言う間に、親兼の体の自由を奪ってしまった。後ろ手に戒めた腕を、ぎりぎりと締め付けていく。
「どうだ。恐ろしいだろう。力でねじ伏せられるのは」
「くそっ!離せ!!」
「姫が味わった恐怖を、身をもって知るがいい」
隆綱殿が、さらにぐっと力をかけると、親兼は、ぐぅと呻く。
さっきは、武士の本質の何たるかを分かっているつもりで、あんな口をきいたのだけれど、その実、本気の荒事など見た事もなかった私には、あまりにも過激であり、その恐ろしさに、視界が暗くなり、手足が震え、その場に蹲りたいくらいだった。見ていたくない。けれど、それでは意味がなくなってしまう。
恐怖に囚われたままの私を解き放つため、隆綱殿は、しなくてもいい事をしてくれている。その一部始終を全て見届ける事こそ、私の役目。
逃げたりなんてしてはいけない。
親兼が、更に苦しげに声を漏らす。
「体の自由を奪われ、ひたすら暴力に耐えねばならない時の、どれほど苦しく、辛く、恐ろしい事か。想像力のないぬしにも、分かってきたか?」
「まっ、まいった。まいったから、離してくれ!」
「姫のそのような言葉に、ぬしは耳を貸したか?」
「悪かった。俺が悪かった。分かったから、離してくれ。頼む」
弱々しい声。懐かしい、親兼の声。
その声に、私の中の親兼への憎悪が一瞬吹き飛ぶ。
「もう止めて。もうこれ以上は!隆綱殿、止めてください」
そう叫ぶように言って、庭に降り立つと、隆綱殿に駆け寄って、その腕に縋った。私がそう言うのを予想していたのかもしれない、隆綱殿は、驚いた風でもなく、腕の力はそのままだったけれど、いつものあの優しい微笑みを浮かべた。
「もう良いのですか?」
「はい、十分です。だから、親兼を離してください」
溢れそうになる涙をぐっと堪えて、隆綱殿の瞳を見ると、視線が重なる、その間、隆綱殿はじっと私の瞳の奥の奥の奥を見入る。私の混乱した感情の中の真実を見つけ出そうとでもしてるの?
暫くの沈黙の後、分かりました、そう言うと、すっと腕の力を緩めて、隆綱殿は立ち上がった。
その拍子に、隆綱殿に掴まってた私は、体勢を崩してよろけると、すかさず隆綱殿の腕が支え、抱き起こしてくれる。でも、もう私の足は、一人では立っていられないほど、震えるばかり。多分、私本人より先に気付いてたんだろう、隆綱殿は背から腰に腕を回すと、私がへたり込まないようにしてくれる。
視線を上げると、微笑みが返ってくる。
本当にさっきまで大の男を組み伏せていたのかしら、と疑いたくなるくらいの穏やかさに、私の動揺も僅かだけど治まる。少し高めの温もりが、衣越しにじんわりと伝わって、心に安心感が広がる。

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