戦国の花嫁■■■無声の慟哭45■


そのまま、私は駕籠に乗り、隆綱殿と共に、大谷のお城を辞した。
その狭い空間に落ち着き、ほぅと息を吐く。
絶体絶命の中、辛くも虎穴を脱した人とだって、今の私は、そう大差はないと思えた。

本当に色んな事がありすぎた。

でも、涙は出ない。
本当に、心が凍ってしまったのかな?
それでも構わない。だって、あれだけ親兼を傷付けたのだから、心を温かくするのは、相応しくない。
お互い様だったのだから、謝る必要はない。
そう、親兼は言った。
でも、親兼自身が許してくれたって、私が私を許せない。心の底では、そう思ってるから、涙が流れては来ないのかしれなかった。

そんな時、駕籠の動きが止まり、地面に下ろされる。
何だろう?何かあったのかな?
閉めてある小窓を開けようと手を伸ばす。
「姫、着きました。どうぞ、外へ」
着いた…って、どこに?
隆綱殿の声に、やはり首を傾げるものの、はい、と返事をして、上げられた簾の下から外に出る。
見た事のない屋敷。
すでに、正門を潜ったようで、目の前には、こじんまりとした屋敷が建っていた。正面の入り口に、男の人が一人立っていて、やって来た私たちに気付いたのか、足早にこちらに向かってくる。
「今日は、ここで休むから、部屋を調えてくれるか?」
「はっ、只今」
何の前置きもなく、手短に用件を伝えた隆綱殿に、礼をすると、踵を返し去って行く。
さあ、どうぞこちらに。そう言って、隆綱殿は、勝手知ったる我が家と言う感じで、私を中へと誘った。
ひたすら、物思いに没頭してたので、はっきりとは分からないけれど、駕籠に乗ってから、そう経ってないはずだから、まだ大谷の城下からは出ていないかな?
「ここは?」
「大谷の城下にある、白河の屋敷です」
「白河の、屋敷…」
「ええ。さすがに、今からでは、道中不安ですし、姫もお疲れでしょう?帰るのは、明日と言う事にしませんか?」
「はい、隆綱殿にお任せします」
「ありがとうございます。とは言え、本当に最低限の者しか置いていないので、少しばかり埃臭いかもしれませんが」
その隆綱殿の言葉に、ちらりとあたりを見回す。
蜘蛛の巣もないし、埃臭い感じはないけれど…なるほど、確かに、白河と言うより、隆綱殿の屋敷だと思った。あの根城ほどではないけれど、この拠点もそれなりに、隆綱殿仕様であるらしかった。
でも、それに安心感を覚えるようになっていたと気付かされ、驚く。感化されてしまったとするのなら、それは武家の女子として、恐ろしい事だ。
「落ち着かれないと言うのなら、他に良い場所を探しますが」
「いえ、お心遣いありがとうございます。私なら、大丈夫です」
ずっとここで暮らせと言われるのなら、明日にだって、改善を求めるだろうけれど、一日や二日なら、そう気に病むと言うほどの状態じゃないし。何より、そんな我が儘を言える立場でもない気がした。

だって、私たちの話は、終わっていない。
隆綱殿は、本当のところ、私が白河にいるのを最善だとは思っていないのだ。しかし、大谷の手前、私を返すわけにもいかない。でも、ここも、白河なわけだから、もしかしたら、ここで暮らせって言われる可能性もある。
でも、私は、そんなのは嫌だった。もう離れたくない。大谷にいたくない。隆綱殿の側にいたい。
どうしたら、私の気持ちを分かってもらえるんだろう?でも、なんか、今日は、色んな事がありすぎて、もう深く考えられそうになかった。
こうなったら、ひたすら、しがみついて、泣いてすがるしかないかな。でも、キビの鬼才に泣き落としって、効くんだろうか?実の子の涙さえ、不可思議だと感じるんだから、赤の他人の涙なんて、さっと払い落としてしまう雨粒並みのもんかもしんない。
「姫…赤子を宿していると言うのは、方便ですか?」
動かない頭で考えていると、尋ねられる。
あ、そうか。それも、まだ、話してなかったっけ。
「はい。隆綱殿が、もし窮地に立たされる事があれば、ああ言うしか手がないと考えたのです」
「そうでしたか。よもやとは思いましたけれど、ないとも断定できず。驚かされましたが…子はいないのですね」
少しほっとしたように見える隆綱殿に焦る。子を宿さない私は、隆綱殿には引き受ける理由がない?
「ですが、もう、父上や皆様に言ってしまったのです。ですから、嘘は、真にせねばなりません」
「確かに。早急に仕込まねばなりませんね」
「…え?」
「妊婦の事などよく知りませんが、つわりなど自覚症状が出てくるのだって、そう遅くはありませんよね?だとするなら、多少ごまかして…初産ですし、産み月が遅れたと言い訳しても、どうでしょう…誤差は二ヶ月が限度、と言ったところでしょうか?なかなかに、責任重大ですね」
あぁ、そっか。隆綱殿だって、私の言った嘘がばれたら、どんな罰を受けるか分かったものじゃないものね。私…結構利己的な嘘を吐いてたんだな。これだから、女子は短慮だって呆れられたな。
「すみません」
「うん?」
「隆綱殿の立場も考えずに、私、身勝手な嘘を吐きました」
「身勝手などと。その姫のご助力で、白河の活路が見出だせたのです。だから、そのように仰るな」
「でも、隆綱殿の口上を遮って、あの場をめちゃくちゃにしたのは、他でもない私です。隆綱殿は、ご自分の策が上手くいかない時に、と初めに言っていたのに」
「私は、私の最善を、姫は、姫の最善を求め、舌を尽くしました。二人に、齟齬があるのなら、口を開いて、当然です」
「それは、私の最善を優先しての話です。隆綱殿にとって、それが、最善ではないのですから、本当は、勝手な事をしたと思っているのですよね」
「うーん…そう言われると、言葉を継げなくなるのですよ。私にとっての最善って、本当のところ一体、何なんでしょうね?」
ここで、困ったように笑みを向けられて、こっちも困る。そんなの、私に聞かれても、本当のところなんて知るはずはない。
「それは…私を大谷に返す事じゃないのですか?」
「それが、果たして、私にとっての最善なのか。確かに、姫には、立場が不安定な白河よりも、大谷におられる方がよい。そう考えたし、そうするべきだと思って、大谷に向かったつもりだったんです。でも、私には、もうよく分からなくなってきました」
よく分からなくなってきたって、どういう事?前は、分かってたのに、今は、分からなくなった?つまり、私を大谷に返さなくても、それでも構わないかなって、考えるようになったって事?それって、私の事…?いやいや、それはないよ。勘違いに浸りすぎたせいか、些細な事でも心を踊らせるようになってるな。
「どうして、分からなくなったのですか?」
「どうして?どうしてか。身勝手としか言いようが…。うーん、でも、そう言えば、姫の為なら、喜んで、この拳を振る理由を、余すところなく、語って聞かせると言いましたっけ?」
確かに、どうでもいい存在の私なんかの為に動こうとする隆綱殿の真意が分からなくて、どうしてと問うて、そんな言葉を返された気もする。あの質問も、解決してはいないけれど、でも、今は、隆綱殿の最善って、何?って、話じゃないの?私をそばにおいてもいいかなって言う話じゃないの?そこんとこ、詳しく聞きたいんだけど。
「脈絡がないって、顔ですね。でもね、詰まるところは、そこに行き着くんですよ」
「隆綱殿の真意?」
「そう。私の最善であり、本当に望む事。姫のため、などと年上振って、格好をつけてみたんですけれど…もう、姫には惨敗です」
「ざ…惨敗?」
「降参します。武士としては、屈辱的な台詞ではありますが…まぁ、私にとって、姫は攻略すべき敵でもありませんしね」
いや、攻略してるつもりが、いつの間にか、こちらが自陣深く攻め込まれ、落城してしまってたわけなんですけれどね、と、隆綱殿は優しく微笑むけれど、私は首を傾げるしかない。
いつ、戦の話になったの?私、攻略する敵なの?と言うか、落城って、何?隆綱殿が、落城って、白河の事?いや、でも、私、白河を攻めてないし。じゃぁ、どこが落ちたの?うん?あぁ、そっか、落城って言うのは、私に降参したからって言う比喩で…。なるほど、私が隆綱殿を落城させたのか。
って、何を?隆綱殿は、私の何に降参したの?
えーと、執念深さ、かな?それとも、強引さ?我の強さ?なんだか、腑に落ちないけれど、私の、隆綱殿の側に居たいって言う気持ちは、理解してもらえたって事…?
「つまり、私、白河に居ても、構わないって事ですか?」
「勿論。姫が、それを望まれるのでしたら。そのために、私はどんな事でもしましょう」
「じゃあ、傍に居させてください。そして、できる事なら、隆綱殿の…妻になりたいのです。奥方様に勝れないのは、十分分かっています。それでも、私は、あなた様の妻になりたいのです」
「それは、私からもお願いしたいところですよ。姫、私の妻になっていただけますか?」
隆綱殿の返答に、私の思考が停止したのは、言うまでもない事かもしれない。

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