戦国の花嫁■■■無声の慟哭47■


見上げた視線の先にあったのは、笑顔いっぱいの隆綱殿の瞳。

あれ?…この笑顔を、私、知ってる?いつもの、見知った、隆綱殿の笑み?
でも、初めて白河に来た時は、こんなじゃなかった。ちゃんと優しいのに、どこか作った感じがしてた。それだけでも、十分私はときめいたわけだけれど、でも、ここまで心が沸き立つような表情はしてなかったはず。それなのに、この表情を私は見知っていた。いつからだろう、隆綱殿の笑みが変わっていたの?
全然気付かなかった。
慈しみ溢れる、私を優しく見守ってくれる、そんな笑顔。
いつからかなんて分からないけれど、ずっと私は隆綱殿の思いに包み込まれていたんだ。隆綱殿の思いを知らず知らずに感じてたんだ。
隆綱殿の思いを疑る気には、もうなれそうにない。
そっと私の手が伸びて、隆綱殿のしっかりとした輪郭を持つ頬に触れる。撫でると、少し髭の感触。大人の男の人の肌。
恋しい。
そんな言葉が、しっくりくると思った。
そして、どちらからともなく、唇が重なった。
深くなる口づけと共に、覆い被さるようにして、隆綱殿の体重がかかる。はっと我に返って、慌てて隆綱殿の肩を押し返す。
勢いで、口づけをしてしまったけれど、全部何もかも知られてしまったと分かった今では、もう自分を偽れそうにない。隆綱殿に甘えるわけにはいかない。私の責任は、私が負わなくちゃならない。
「待って、ダメ」
「待って…なんて焦らす言葉をご存じとは思いませんでした」
妖し気に、にこりと笑みを向けられて、どきりとし、更に、また、焦らすって何?と思わないでもなかったけれど、伝えなきゃならない事は、きちんと伝えねばならない。
「今夜は…いいえ、体の事が、はっきりするまでは、止めて欲しいのです。それに、ずっと、私、隆綱殿に言わなくちゃって…」
そっと、隆綱殿の指が、私の唇に触れる。
「なるほど、焦らす気はなかったと言うわけですね。思わず、どきっとしてしまいました」
「あの、隆綱殿。聞いてください。私は…」
「その先は言わなくていいです。姫に、これ以上辛い話はさせたくありません」
「隆綱殿」
「姫が思うほどには、私は愚鈍な男ではありませんよ」
あっという間に、逞しい腕が、優しく私を包み込むから、否定しようとした言葉は、どこかに飛んでしまった。
いつかは言わなくてはならない時が来ると思ってた。でも、あんな事、隆綱殿だけには言いたくなかった。
そっか。言わなくていいんだ。そう思って、心底、ほっとする自分がいる。言わなくていいって告げられたって事は、つまり、知られてしまっているって事でもあるのだけれど、それでも自分の口で言うのと言わないのとでは全然違う。
ほっと、温かい腕の中で息を吐く。
「けれど…そうですね、姫の考えは分からないでもないんですが、やはり承服しかねるんですよね」
「へ?」
「姫の仰せのまま、待ったとします。それで、はっきりしたとして、どうされるおつもりですか?」
「それは…」
けじめだと思っていたけれど、でも、実際に、隆綱殿の種ではない子を宿していたとして、私はどうするつもりだった?もう白河を離れるなんて考えられない。なら…流す?まさか、そんな事できない。どんな方法があるのか知らないけれど、道を信じるものとして、命を軽々しく扱う気にはなれない。どうであれ、私は、女で、子を宿せるのだ。その責くらいは負わねばならない。
でも、だからって、産むの?白河の嫁として?そんな事、許されるはずない。
一気に血の気が引いてくのが分かる。
「そのような詮無い表情をなされるな。何の準備も、覚悟も、心積もりもなかった姫が、そこまで思い詰める事など、何一つないのです」
「そんなはずありません。だって、私自身の事なんです」
「そう、姫自身の事。つまり、どうであるにせよ、姫の子に変わりはないのです。姫はもう白河の一員。それだけで十分、生まれる子は、白河の子になります」
「白河の子?」
「そうです。大丈夫。たとえ、姫の危惧するところとなったにせよ、姫は、何も負い目を感じる事はないのです」
「でも、本当に…いいんでしょうか?」
「はい」
「もし…そうだとしても、私、産んでも、いいの?」
「もちろんですよ」
「ありがとうございます、本当に…」
「良かった、納得してくれて。今は、何より、姫を抱きたい気持ちでいっぱいなので、嫌だと言われたら、どうしようかと。いきなり、ダメとか、煽ってくるし」
感謝の言葉を遮ったのは、思ってもみない言葉で、ぎょっとして、隆綱殿を見ると、にこりと笑みを返された。いつもの知的な瞳はどこに行ったのか、猛々しいくらいに煌めいている。でも、なんて素敵なんだろう、とか思う自分は、相当きてるなと思う。
「だって、あなたの心を漸く手に入れる事ができたと言うのに、繋がらないだなんて、切なすぎる。…そう思われませんか?」
「私も、そう思います」
素直すぎる気持ちに、私も素直な気持ちを口にする。

良かった、と隆綱殿は、また笑みを深くした。

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