深窓の姫宮■■■01■


玉敷の都、京。

その中でも、奥の奥の奥。人の気配が少ない場所が、私の居場所。
私の見る世界は、全て御簾越し。日の光も、月の光も。四季の移ろいも。何もかも。世話をしてくれる女房でさえ、目を合わせてはくれない。
そんな私の一日は、いつもと変わらず始まり、暮れていく。
歌を読みかわし、意見を寄せ合う女房や下仕えの者を、ただぼんやりと見ていた。
それは、いつもと変わらない一日。
誰もいなくなった部屋の静けさに落ち着く。
秋の日差しをぼんやりと感じ、御簾を越えてくる夕風に襟元を寄せた時だった。

静寂の中、音が響く。
自分のたてた衣擦れの音ではない。
微かだったけれど、庭の玉砂利を踏みしめる音。
「誰?」
小さな声で問う。
女房たちではない。彼女たちは、庭に降りないし、用もなく私の所へは来ない。
「誰かいるのでしょう?」
音のしなくなった方へ、もう一度問う。
「こんな状況でも、怯えず凛として振る舞えるのは、血のなせる業なのか、それとも無知なる故か」
低い声。
大きな太鼓のような響きだった。
「こんな状況では、まず人を呼ぶべきですよ」
「どうして?」
「俺が誰か知らないでしょう?」
「でも、あなたは私を知っているのでしょう?」
「なるほど。確かに存じ上げていますよ。勇敢なる姫宮」
御簾越しに人影が現れた瞬間、目映い夕陽に目が眩んだ。
ほんの僅かの時、気付けば、目の前に立っていた。
絵巻物でしか見た事のない衣装は、真っ赤で、笑みを浮かべて、私を見下ろしている。
現とは思えない状況に、私は目を瞬かせるばかりだったけれど、相手は私の反応を面白そうに見るだけだから、私から口を開く。
「あなたは、鬼?」
素直に思ったことを尋ねる。
「いいえ」
「天狗?」
「いいえ」
「天邪鬼?」
「俺は、そんなに悪さをするような物怪に見えますか?」
瞳を大きく見開いて、笑みが更に深められた。
「分からないわ。あなたのようなものに会ったことがないもの。では、あなたは何?」
「俺が、何かをご存じないのですか?驚いたな」
今度は、声を出して笑う。聞いたこともない笑い声は、少し乱暴な気性を感じる。
「俺は、男ですよ」
まじまじと見つめる。
その視線の先には、真っ黒な瞳があった。私と変わらない二つの瞳、それに鼻や口。
これが、男?何が私と違うのかしら?
「男?」
「そう、男です。鬼や天狗より、珍しいものですか?」
「それらと変わらないくらい珍しいものよ」
「そうでしたか」
「でも、男は、髭を蓄えるのではないの?」
絵巻物を思い出し、尋ねると、男はまた笑う。低い、お腹に響く声だと思った。
「もう数年もしたら、そうしようかと。若輩者には、少しばかり似合わないものなんですよ」
「あなたは、若い男なのね」
「そうですよ。しかし、本当に男を知らないんですね。道理で、物怪に間違われるはずだ」
「物怪にも会ったことがないもの。物怪とは、どこが違うの?」
「そうですね。物怪は、人を拐かしますが、男は女を拐かします」
そこまで言うと、男は後ろを見やり、屏風の裏に移動する。
視線をやると、口に人差し指を当てる。
どういう意味なのか尋ねようと口を開き掛けると、女房がやってきた。
「宮さま、明かりをお持ちいたしました」
もうそんな時間なのか。
呼び入れようとした時、男と目が合った。

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