深窓の姫宮■■■02■


男の視線を感じたまま、外を見遣る。
夕闇の中、御簾越しの灯明の光。
いつの間にか、こんなにも陽が沈んでいたのか。
「姫様?」
返事のない私に、不審そうな声が掛かる。
私は、もう一度男と視線を合わせる。
「下がって。今夜は、もう寝ます」
「畏まりました」
理由を尋ねられることもなく、女房は下がっていくと、男は、また元の場所へ腰を下ろす。
「助けを呼ぶかと思いました」
「あなたは、女を拐かすから?」
「ええ」
「だとしたら、あの者にも危険が及ぶわ。あの者も、女だもの」
「なるほど」
「それに、私の知る男と言うのは、そのようなことしたりしないわ」
「では、男は何をする者なのですか?」
「歌を贈り、恋をします」
教えられた事をそのまま口にする。
男は、目を見張り、また笑った。
男と言うのは、よく笑うものなのだ、と思った。
「少し怖がらせようと思ったのに。あなたは、やはり内親王さまだ。感服しました。無礼をお許し下さい」
「構わないわ。不愉快とも思ってません。でも、あなたは、私を怖がらせるためにここに来たの?」
「いいえ。ただ姫宮を拝見したくて、御許へ参上しました」
「私に会いたくて?」
今度は、私が目を見張る。
けれど、笑う気にはならなかったから、やはり男というのは、よく笑うものなのかも知れない。
「えぇ」
「そんな理由で私に会いに来たのは、あなたが初めてよ」
「そうでしょうね」
「なぜ、私に会いたかったの?」
「さて…強いて言うなら、男を知らないと言う噂で持ちきりの姫宮の、その真相が知りたくて」
私の知らない者達が、私を知っている。
私のような存在でも、誰かの口に上るのか。想像してみても、ぴんと来なかった。
「だとしたら、もうあなたのような者は来ないのね」
「え?」
「私は、もう男を知ってしまったもの。その噂は、消えるでしょう?」
「このままでは、噂は消えないでしょうね」
「どうして?あなたは、口外しないつもりなの?」
「今のところするつもりはありませんが、たとえ、口外したとしても、噂は真実だと言うことになるだけだと思いますよ」
「そうなれば、噂というものは、消えて行くものではないの?」
「姫宮への関心は消えませんよ」
「どうして?」
「男を知らないままだからです」
「どうして?あなたは、男なのでしょう?」
「えぇ」
「では、なぜ?」
「知りたいですか?」
真っ黒な、漆塗りのような瞳をしていると思った。その瞳に吸い込まれていくようにして、私も、男を見つめ返す。
「知ってしまえば、男は来なくなるの?」
「さて…それは分かりませんね。少なくとも、俺は、来ますよ」
「あなたは、また来るの?」
「いけませんか?」
「でも、私への関心はなくなってしまうのではないの?」
「どうしてです?」
「私が男を知らないから、ここに来たのでしょう?」
「初めはね。理由なんて、変わっていくものですよ」
「では、何のために?」
「そうですね。…歌を贈り、恋をするためでしょうか」
男の言葉に、どきりとする。
歌を贈り、恋をするために、ここへ訪れる。
「それは、いけません」
「どうしてですか?男は、そうするものなのでしょう?」
「私は、男とそれをすることを許されていません」
スメラギに与えられたこの体は、大神に捧ぐためにあるから、人の穢れを受けてはいけない。
そのために京の奥深くに住まい、人との関わりを断ち、その日を待っている。
男は、歌を贈り、恋をする生き物だから、穢れの最たるものだと教えられてきた。
「では、拐かしに来てはいけませんか?」
「拐かしに?」
「それも禁じられていますか?」
「拐かすとは、何をするのです?」
「そうですね…一例としては、男がどんなものなのかお教えする事でしょうか?」
「歌を贈り、恋をするだけではないの?」
「それもまた一面でしょうけどね。知りたくはないですか?」
その言葉は、とても魅力的に感じた。
普段とは違う状況に、興奮していたのだろうか?
男と会う事は、穢れだ。
分かっているのに、歌を贈り、恋をしないのであるのなら、男と会っても良いのではないかと思ってしまった。
だから、私は、男の瞳を見つめ返したまま、頷いた。
「分かりました。余すところなく、お教えいたしましょう」

そう言った男に、男とはよく笑うものなのかと尋ねたら、肯定の代わりに、笑い声が返ってきた。

私と彼の出会いは、そのように始まった。

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