深窓の姫宮■■■04■


月のない夜。
静寂の中に、衣擦れの音。
一人きりでいることに慣れている私には、特別な音。
燈明を消して、その訪れを待つ。
「お元気でしたか?」
予想に違わぬ低い声音に、笑みが零れる。こんな風に自然と笑みを浮かべるようになったのは、良人さまと出会ってからの事かも知れない。
「はい。良人さまもいかがお過ごしでしたか?」
「しがない出仕の日々ですよ。帝の開かれた歌会に、春宮さまのお供をしておりました」
「そうですか。良人さまは、歌がお上手なのですね」
「まさか。嵩増やしですよ。ほとんどの歌に、代筆を頼むくらいでしたから」
「まぁ、代筆を頼むほど、姫君方の人気を集めていらすのね」
ご想像にお任せしますよ、と言って、良人様は笑った。
初めて会った時ほど、荒々しいと感じなくなった良人さまの笑い声は、きっと宮中の女子にも好ましく聞こえているのかもしれない。
「では、姫宮には俺から歌を贈りましょうか?」
歌を贈る。
良人さまは男で、男には歌を贈られていいはずはないのに、何故か、その言葉に否定も肯定も出来なかった。
少しの沈黙を破って、良人さまは笑った。
「すみません、歌は駄目でしたね」
「…えぇ」
「披露するほどの詠み手でもありませんし、気になさらないでください」
「では、漢詩は詠まれますか?」
自分の動揺を悟られたくなくて、話題を変える。
「男のたしなみですからね。もしかして、俺が得意だと、ご存じだったのですか?」
知るはずもないのに、冗談めかしてそう言う良人さまは、きっと京の女の噂の的なのだろう。
そんな良人さまを前にして、女たちは、こんな風に言葉を告げるのだろうか。
ふと、そんな考えが、口に出る。
「えぇ、良人さまの漢詩の才は、私の耳にも届くほどです。その造形の深さについて、一度お話を伺いたいと思っておりました」

漢詩は、歌ほど学んでいるわけではないけれど、好きだった。
漢詩が生まれた国は、ずっと遠く、海を越えた先の国、震旦。 遠い昔から文字でその歴史を綴り、多くの書物を産み出してきた国。
漢詩も好きだけれど、漢籍の物語はもっと興味がある。
もちろん、倭の言葉で綴られる物語も面白いけれど、それ以上に、震旦の話は私の想像を豊かにするから。
歌の題に震旦の物語をと提案しても、女の読み物ではないと、渋い顔をされるから、口にはしないけれど。
もし、良人さまにこの願いを告げたら、幾らか漢籍をお貸しくださるかしら?
そんなことを考えて、ふと良人さまを見る。新月の闇は、すべての表情を隠しているのだから、わかるはずもないけれど。
でも、私の視線を感じたのか、良人さまは、一つ息を吐いた。

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