深窓の姫宮■■■05■


「俺をご存じだったのですか?」
「良人さまを?」
「いや、俺の噂を耳にしたと…」
お互いに疑問を口にして止まる。
そこで、思い出す。先ほど自分が口にした言葉を。
「すみません、冗談を真に受けてしまったみたいですね」
「こちらこそ、よく考えず言葉にしてしまいました」
「あなたが、俺を知っているはずなどないと分かっていたんですけどね」
「有名なのですか?」
「いえ、俺には思いもよらない鮮やかな切り返しだったので、少しばかり動揺してしまっただけです」
「動揺?」
「えぇ。姫宮は、俺を知っているはずはないのですから」
自分の記憶ならともかく、私の事だ、どうしてそんなことを言い切れるのか、不思議に思う。良人さまは、それについて言葉を継げる気はないようで、なにか考えるように押し黙ってしまった。
「私は、そんなに世間知らずに見えますか?」
「噂によれば、そう言う事ですけど。お会いして、随分印象は変わりました」
実際、私は外に出た事がないのだから、そう噂されても仕方がないとは言え、他人の口からそうだと聞かされるのは、何とも心外な気がした。
「外の事が気になりませんか?」
「父の新院を悲しませてまで、知りたいとは思わないわ」
「新院は、外を知る事を厭われるのですか?」
「外は、悲しみに覆われているから、知らない方が幸せだと仰います」
「悲しみに覆われている、か」
「それに、どちらにせよ、外へ出る事は叶わないのだから、物語で十分だと私は思っているわ」
「現と物語が、同じなのですね」
「私にとっては、どちらも読んだり、聞いたりするだけのものだもの」
「確かに、そうかもしれませんね」
「良人さまも、そう思われるの?」
出仕している人が何を言い出すのか?それとも、ただの調子を合わせてくれただけなのか。
「男を知らない姫宮に、人知れず会うなんて、いかにも物語じみているとは思いませんか?」
「私が、物語のようだって事?」
「まさか。確かに、姫宮は、希有な存在ではありますけどね。でも、そんなあなたに会いに行く俺の方が、よほど変わり者ですよ。深窓の姫宮の存在を信じる人はいても、誰が、深窓の姫宮に会ったと信じるでしょうか?」
「まぁ、良人さまは、少し好奇心の旺盛な方かもしれませんね」
「それに…己の身の上など、いつ、どうこうなるなど、自分で決められないものでしょう?まるで、物語のように、望月が恋しくなる日が来たりするものです」
望月。
確かに、月は、恋だけを象徴するものではないのね。
それを詠み込み、栄華を誇った一族がいた。
「良人さまは、北家に縁があるの?」
「え?」
「望月が恋しいと仰ったから」
「あぁ、違いますよ。ただのたとえ話で、俺は、北家どころか、藤原にも属さない身軽な身分です」
そうなのか。
その事実になんとなく、ほっとした。
祖父の本院、つまり、私のお爺さまとは、折り合いが悪い一族だったから。
でも、たとえ、良人さまが、北家だったとして、何が変わると言うのだろう?
お互い、二人だけしか知らない関係に必要なものとも思えなかった。

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