深窓の姫宮■■■06■


夕暮れ時。

訪れた人の気配に、期待を寄せるけれど、現れたのは、乳母のなつだった。
私の傍に座って、礼を取る。
元々母さまの下仕えとして、大内裏にいた彼女の振る舞いは、いつ見ても優雅で、立派なものだと思う。彼女を見ては、行った事もない大内裏を想像したものだ。

しかし、こんな時間に、一体何の用事だろうか?
私の乳母という立場上、いつも小言を言ってばかりのなつの表情がいつも以上に険しかった。
「姫様」
「何です?」
「ここ半年ほど、お眠りになるのが早く、燈明の火をお召しにならない日がお有りになるとか」
あぁ、とうとうなつに知れたのか。
そう思ったけれど、不思議と冷静でいられた。
悪い事など何もしていないと、漠然と思っていたからだろうか?
「えぇ、そういう夜もあるわ」
「ですが、決まってその夜には、人の気配がよくすると、召し仕えの者は言うのです」
「気のせいではないの?」
「姫様。正直にお答え下さい。誰か、ここにお通しに?」
「なつ」
「姫様が召したことのない梅花が立ちこめているのです。畏れ多くも、新院より姫様を任されている者として、お尋ねしないわけにはまいりません」
新院。
その言葉に、私は驚く。
良人さまに会う事が、なつに咎められる事だったとしても、父の新院にまで話がいくことだとは思っていなかったから。それほどまでに、重大なこととは、とても思えなかったけれど、その御名を出されれば、私は嘘を吐く事ができない。
ため息を一つ零した。
「なつの…考えているような事はないわ」
「では、本当なのですね。誰なのです?ここをどこだと?姫様をどなただと思っているのです?」
「落ち着きなさい。言ったでしょう?なつの杞憂よ。確かに、皆に内緒で、この宮の者ではない方とお話をする夜があるわ。その方は男だけれど、でも、歌をもらうわけではないし、恋をしたりしてないわ」
「夜に男を通して、それが恋ではないと仰るのですか?」
「そうよ」
「姫様は、ご自分のお立場を理解されておりません。姫様は…」
「穢れなきお方。何人にも冒されない、神聖なる内親王。神に等しき姫宮、でしょう?知っているわ」
幼い頃から繰り返される言葉は、思い出す間もなく、私の口から出てくる。
「分かっているなら、なぜ?男にお会いしたりなど!」
高かったなつの声が、さらに高く大きくなり、私は、目を瞬いた。
「なぜ、会ってはならないの?」
「男は姫様を穢す者に他なりません」
男が、私を穢す?
良人さまが、私を穢したことなどあっただろうか?
歌も贈られていないし、恋もしていないのだから、穢されるはずなどないのに。
「新院にどうお伝えすれば良いのでしょう?私はどうしたら」
「私は何も変わっていないのに…どうして、穢されるなどと思うのです?」
良人さまとしている事といえば、ただ少し話をして、笑う。
昼間している事と何が違うというのだろう。
「まさか…本当に何もされていないのですか?」
なつの声や表情が柔らかいものになる。
「えぇ。ただお話をする。それなら今までにもある事ではないの?」
「話を…なんと、希なることでしょう。なつの首も繋がりました」
「安心して。私は、なつを困らせたりなどしません。内親王であることを忘れる時はないわ」
「それでこそ、姫様です。取るに足りないなつの事まで気になさる慈悲の方。男などに惑わされ、変わられてしまったかと心配しました」
「いらない心配だわ。でも、良人さまはとても博識だから、色々な事を教えてくださるのよ」
そう言う点では、私はいくらか変わったのかも知れないと自慢げに語ると、なつの表情が一気に硬くなる。
「名をお知りに?」
「そうね。名も知らない人と話はしないでしょう?」
「お忘れ下さい。もう二度と会う事もないのです」
「会うことがないって?」
「まだお会いするつもりなのですか?相手は、男なのですよ。今までは何もなかったかもしれませんが、今後どうなるかなど分からないのですよ?なつが知ったからには、姫さまをお守りします。決して近づけたりなどいたしません」
「どうして?良人さまはそんな野蛮な方ではないわ」
「姫さまは、男を知らないからそのような綺麗事を仰るのです」
「なつこそ、良人さまを知らないと言うのに決めつけるのね」
「良人さまとやらが、どのような方か存じませんが、男に変わりありません。男は男、姫様には危険な者に違いないのです。さぁ、新しい部屋をご用意してます。お移りください」

嫌だと突っぱねた事など一度もなかった私は、頷いた。
ここまで感情を顕わにして私に言い募るなつの姿は初めて見たし、なつを困らせてまでしたいことでもなかった。何より、そうすることにより、父の新院のお耳に入る事が恐ろしかった。
恋をしたわけではないけれど、良人さまと会うことはしてはいけないことだったのだと、自分に言い聞かせる。

なぜか心がじんと痛んだけれど、仕方のないことなのだと納得する。

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