深窓の姫宮■■■07■


移った部屋は、前と変わらない、奥の奥の奥。
人の気配が少ない場所が、私の居場所なのだと思い知らされた。
でも、私には、絶望も悲嘆もない。そうする事こそ、私が生まれてきた意味なのだから。
今までと、変わることなく、歌を読みかわし、意見を寄せ合う女房や下仕えの者を、ただぼんやりと見ていた。
それは、いつもと変わらない一日。
誰もいなくなった部屋の静けさに落ち着く。
秋の日差しをぼんやりと感じ、御簾を越えてくる夕風に、ふと良人さまの事を思い出す。
初めて会った日は、こんな秋の夕暮れだった。
隙間から入り込んだ風に寒さを覚え、こんな風にして襟元を寄せたのだ。

静寂の中、音が響く。
自分のたてた衣擦れの音ではない。
微かだったけれど、庭の玉砂利を踏みしめる音。
あまりの偶然に、ただ目を見張った。
何かを確かめるように、ゆっくりと音が近づいてくる。
呼吸を止めて、深くはき出した。
「誰?」
小さな小さな期待を込めて、あの時と同じように、小さな声で問う。
「誰かいるのでしょう?」
音のしなくなった方へ、もう一度問う。
「こんな状況でも、怯えず凛として振る舞えるのは、血のなせる業なのか、それとも無知なる故か」
低い声。
大きな太鼓のような響き。
思い出と同じ声色で語られる、同じ言葉。
「お変わりないようですね。勇敢なる姫宮」
御簾越しに人影が現れた瞬間、目映い夕陽に目が眩み、目を閉じる。
あの日の深紅の衣を思い描いて、瞳を開けたけれど、そこにあったのは、女郎花の衣だった。
私は変わらないけれど、変わっていく世で過ごす良人さまは変わっていったのだと思い知らされ、胸に広がった小さな期待が、思い出と共にあっという間に色褪せる。

やはり、良人さまは、会ってはならない人だったのだ。

「部屋を移られたのですね」
「お帰り下さい。もうここには来ていけません」
「どうしてです?」
「分かっているでしょう?」
「歌を贈り、恋をしたわけでもない俺をどうして拒絶するんですか?」
「あなたが男だからよ」
「乳母にでも言われましたか?」
「そうよ。わたしはあなたと話すらしてはいけないの。だから、もう来てはいけません」
「姫宮は?」
「え?」
「姫宮はどう考えているのですか?乳母の言うような男だと?」
良人さまは、私を穢す。なつは、そう言ったが、良人さまに対する考え方は変わらなかった。
けれど、どうして、なつがあのような態度を取ったのか、分かった気がした。きっと、それは、なつの優しさだ。
変わらない存在の私は、良人さまに会うべきじゃない。
「わからないわ。でも、想像していた男とあなたは違う所もあるのは確かよ」
「でしたら、良いのでは?」
「なつが駄目と言うのだから、それはしてはいけないことなのよ」
だから、もうお帰り下さい、と続けようとしたけれど、良人さまの瞳に現れた色の強さで、言葉にすることができなかった。
夜空を宿した瞳。
瞳を交わすのは、今日で二回目。どこまでも深いその色は、こんなにも暗く、そして、吸い込まれそうなものだっただろうか?
「こんな風に拒絶されるくらいなら、いっそ心に従っておけば良かった」
「え?」
「男を知らぬ深窓の姫宮に、ただ会って話をしに訪れる…そんな事をする男の真意など分かるはずないですよね。それでも、いつかはなどと…夢を見すぎました」
「何を言っているの?」
「まだ分からないのですか?」
強い瞳の色が、一層強まる。
私は、この瞳の色を知っている気がした。

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