深窓の姫宮■■■08■


良人さまが、私に会いに来た本当の理由?
そもそも、私は、そんな事を考えた事があっただろうか?
分からないのか?と聞かれて、初めてその理由を考えてみるけれど、分かりそうにもなかった。

男を知らなかった私が、ただ珍しかっただけじゃないのか?

「俺は、姫宮をお慕いしてるって事ですよ」
「何…を」
思いも寄らない言葉に、それ以上言葉を継げなかった。
だって、それは、私に向けられるべきものではないはずだったから。
良人さまが、私を慕っている?
そんなの嘘だ。
「じゃなきゃ、警戒をくぐり抜けて、何度も訪れたりしません」
「恋をしないって」
「恋とは、請い請われるもの。相手が気付かなければ、恋ではないでしょう?思いを伝えることも、歌を送ることもできませんでしたが…それでも、暗闇の中お話出来る、それで十分だった」
「か…帰って」
「できかねます。もう二度と会えないのなら、せめて今夜だけでも、最後の思い出にお話をさせてはくださいませんか?」

低く、掠れた声は、いままで聞いてきた良人さまの声とは全く違うものだった。
知らない人のように思えて、少し怖くなる。
真っ暗の闇の中で、あんなにも親しく感じられたと言うのに、こうして、瞳や表情が見え、相手の感情や仕草もよく分かる方が恐ろしいなんて、やはり私は無知で、世間知らずだったのだと思い知らされる。
良人さまは、もう私の知っている良人さまではない。
恋をする男である良人さまには、当然会うべきじゃない。

「このまま帰っていただくのが、良人さまのためになると思います」
「そして、二度と訪れるなと?」
「えぇ。そのようなお心で、私に会うなど、正気の沙汰と思えません。誰かに咎められたら、とは考えないのですか?」
「会わずにいるくらいなら、いっそ罰を受けても構わない…それほどに、俺の姫宮に対する思いは強いようですよ」
くすり、と良人さまは嘲笑った。
「まるで、他人事のようね」
「確かに。こんな状況、自分自身でも信じられないですからね」
「分かっているのなら、なぜ?」
「人に恋をしない姫宮には、到底分からない感情ですよ」
私は、恋をしない。
当然のことを言われているのに、ひどく自尊心を傷つけられたような、悲しい気持ちになった。
「そうね」
「すみません。今のは、ただの八つ当たりです。俺はこんなにも辛いのに、姫宮は、二度と会えなくても平気なようだから」
「寂しいわ」
「え?」
「良人さまの笑い声が聞けなくなるのは、悲しい」
正直に自分の気持ちを口にしてみる。
良人さまに会えなくなるのは、寂しかった。
でも、もう会ってはいけないのだ。生まれた時からの定めを思っても、詮無いことだ。
「そのお言葉を頂けただけ、幸いと思いましょう」
そう言って良人さまは、笑った。お腹に響くあの笑い声で。
その声に、最後にもう一度、暗闇の中で、あの笑い声を聞きたくなった。
そうすれば、外も物語も、同じものだと言えたあの頃に戻れる気がした。

「二度とはありません。それで、構わないですか?」
私の質問に、良人さまは、ただ頷いた。


なつを呼ぶ。
良人さまもこれが最後だと納得してくれているから、今夜だけ良人さまと言葉を交わしたい、と正直に言う。もちろん、なつは顔を真っ赤にして怒り、反対するから、承知しないのなら、何度だって良人さまをここにお通しする、そう言うと、今夜だけとなつは渋い顔をして下がっていった。
私にとっても、良人さまとの別れは、突然すぎたから。

そして、良人さまがお話したのは、ある男の恋の話。

東雲の空の中、良人さまは私の許を去って行った。
私は、ただ何も口にすることなく、その背中を見つめた。


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