深窓の姫宮■■■09■


恋い焦がれると袖の乾く間もないと言うのだから、やはりこれは恋ではなかったのだ。
ぼんやりと辺りを見回し、そう思う。

私の見る世界は、全て御簾越し。
日の光も、月の光も。四季の移ろいも。何もかも。
たとえ御簾越しでも、鮮やかに見えていた世界が色を失い、陽の光さえ輝いて見えなくなってしまったのは、どうしてなのだろう。

男は、女を拐かす。
良人さまは、そう言っていた。
私自身は、結局拐かされはしなかったけれど、私の心を良人さまは拐かしていってしまったのだ。

そんな時に、母さまがおいでになった。
母さまは、正月と四季の節句の折にしか、お見えにならない。
もちろん、今はそんな頃ではないから、なつから話がいったのだと思った。けれど、もう良人さまには会わないのだから、二度としないようにと口酸っぱく言われるくらいだろう。

「なんと愚かなことをされるのです。もう子供ではないのですよ」
「何も悪いことなどしてません。私はただ、良人さまにお会いしていただけです」
「その良人さまと言うのは、一体、どこの誰なのですか?」
「もうお会いしない方です。どなたでもいいではありませんか」
「良いはずありませんよ。あなたを内親王と知って訪れているのです。他の姫君にも何かあっては大変です」
母さまも、なつも、どうしてそんな風に良人さまを責めるのだろう?
一体、良人さまの何を知っていると言うんだろう。
こんなに強く反発心を抱いたのは、初めての事かも知れない。
「そのような。母さま、あの方はそんなことなさる方ではありません」
「では、お話しなさい。何も余罪なく罰しようなどとは思っていませんよ」
「それでもお教えできません」
「なんと。頑なな子に育った事」
「罰は全て私が受けます。だから、良人さまの事はお許しください」
「埒のあかぬ。このままでは、新院にお話せねばならなくなるのですよ?新院は、きっとお探しになるでしょう。そうなってしまっては、どのような処罰が下されるか」
「母さま。お願いです」
「冷静におなりなさい。今は小さな噂でも、いつかは知れわたるもの。そうなってからでは、庇いようがないのですよ」
「母さま。良人さまは、私の大事なお方です。どうかお忘れにならないでください」
母さまは、大きなため息を吐くと、先を促した。
「詳しくは、存じ上げません。春宮に御出仕なさっておいでと伺いました。父上さまを早くに亡くされたそうで、藤原の曹司ではないし、気楽な身分だとも」
「春宮…。何をされていると?」
「春宮のお相手だと仰いました」
私の言葉に母さまは、瞳を大きく見開いた。何か思い当たったように見えるその表情に、私は、母さまと問いかける。
「分かりました。あなたは、何も心配せずにいつも通りに過ごしなさい。悪いようにはしません」
「母さま、どうか、良人さまのこと、よろしくお願いします」

初めから出会わなければ、良人さまに迷惑をかけることもなかったのに、出会いを否定することは到底できない。
どうしてなかったことにできるのか?
あの声を忘れることなんて、できるはずかない。
でも、私の発言で、もし良人さまが罰せられ、遠国にでも送られることになったらと思うと、恐ろしくて、申し訳なくて、ただただ泣くことしかできなかった。

良人さまは、いつか言っていた。
月は、恋に付きものだと。

ふと見上げれば、御簾越しに月の光を感じ、また涙が流れた。

その夜、私は、初めて泣き明かした。

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