深窓の姫宮■■■10■


あれから幾日が過ぎただろう。
何も手に付かず、ただ御簾の向こうを見つめる日々。
色褪せた世界は、私に何の感情も呼び起こさない。

「いつまでくよくよしているのです」
見上げると、母さまがいた。
「院よりのご指示です。佳日を選び、斎宮にお仕えするよう」
「母さま…それは」
「もう決まったことです。斎宮は、そなたより五つほど上の姫じゃ。よく話を聞いて、学びなさい」
「なぜ、今なのです?」
「内親王が、大神にお仕えするのに理由が必要ですか?」
伊勢に行くのは、父の新院のご意向。
それは、決して変える事はできない。背く事のできない事。
理由など、必要ない。ただ従うもの。
「…わかりました。ですが、一つだけお答え下さい」
「聞こう」
「良人さまは、どうなるのですか?」
「宮仕えでは、気軽に伊勢の国へなど出来ないでしょう?」
その言葉に、危害が及ばないことを知る。
私の浮かべた表情に、母さまは眉をしかめた。
「もう忘れてしまいなさい。そなたには関わりのない方なのですから」
「もし、良人さまでなかったら、どうされるおつもりでしたか?」
「あのような酔狂をする人など、一人で十分ですよ」
「母さま」
「賢いそなたなら分かるであろう?…忘れるのが、そなたのためじゃ」
忘れる?良人さまを?
どうやって?
会うことも、まして、思い出すことさえ許されないのか。それほどまでに、罪深いことなのか?
母さまに諭されても、まだ、私は、そうとは思えなかった。

**********************************

月が、日を追いかけるように、西の空に沈んでいく。
西の空の向こうは、日と月しかいないのだろうか?
そうだとするのなら、なんと羨ましいことだろう。
誰に咎まれる事なく、過ごせる場所。
「西の空の向こうには何があるのかしら?」
ぽつりと呟くと、側仕えの娘が困まったように、首を傾げる。
「西の国には、震旦の船が着くと聞いたことがありますけど…空はもっともっと向こうなのでしょうか?」
「そうね…震旦はさらに西に、そのもっと西には天竺がある。私じゃ、空の向こうになど行けないのね」
「姫様は、行きたいのですか?」

その言葉に、私は返事ができない。

西の空の向こうに行けるとするのならば、良人さまと一緒が良いと思った。
良人さまのいない世界など、私にはどこも同じ。
色褪せた世界は、孤独だった。


もう会わないと言ったのは私。
もう来ないと約束させたのも私。

でも、心のどこかで、あの日のように、またいつか良人様が来てくださるのではないかと思っていたのだと思う。

伊勢は、遠い。
ここのように、人が少ない場所でもない。

もう会えない。

ううん、会わせないために、父の新院は、私を伊勢にやるのだ。
つまり、内親王として、すべきではないことなのだ。
そんなことは、言われなくても、わかっている。

でも、気付けば、筆をとっていた。
なんと記したのか、よく覚えていない。
宛名を素早く書き込んで、三通の文を侍女に託す。その侍女は、春宮太夫の恋人だったはず。
くれぐれも、なつには知られないように。
そう告げると、困ったような瞳を返された。
「万一、見つかっても、伊勢へ向かうことの挨拶だと言いなさい。祖父の本院や兄の帝への御文は、そのように記してあるので、見られても構いません。春宮様宛のものも、内容は変わらないけれど、決して、開けてはいけません」
私の意気込みに気圧されたのか、彷徨わせた瞳をしっかりとこちらに向けて、彼女は頷いた。
「本院と帝、そして、春宮へお届けすれば良いのですね?」
「ええ、その三方で、間違いありません」
何の迷いもなく、しっかりとした声で、私は言った。

≫次へ■■■

inserted by FC2 system