深窓の姫宮■■■31■


重なった視線が、迷いさまよう。
嫌な予感がしたけれど、だからと言って、どうすることもできないだろうと思う。
「楽しそうな表情ではありませんね」
「そうね…楽しくないのかもしれない」
「俺のせい?だとしたら、辛いな」
そっと頬に触れると、言い淀むように、眉を更にしかめる。
日毎に萎れる大輪の花ように、姫宮の笑みは儚く弱くなっていく。
本当に、やりきれない。
こんな表情にするために、拐ったわけではない。笑って欲しくて、何でも楽しそうに聞いたり話したりして欲しかった。そんな些細なことだと言うのに、何故こんなにも難しいのか。
「良人さまのせいなんかじゃないわ。ただ…聞いてしまったの」
「何を?」
「祖父の本院が、良人さまを陣にと仰せになったとか」
やはり、その話か。
思わず、ため息が出る。
だが、全て洗いざらい話してしまうことなど、今の俺には不可能だった。
「誰から聞いたのですか?」
「なつが教えてくれたわ」
「姫宮の耳にいれてよいかどうかの判断をしない乳母のようですね」
「聞かれたくなかったの?」
「あなたを困らせたくはないですからね」
「良人さまは、陣に就きたいの?」
「俺のような、しがない身分にとって、陣は栄達の極みでしょう?」
「何故、今になってそんな事を?」
「そんな事とは?」
「公卿でもない方が、それを望まれる事です。まして、また、祖父の本院からとあっては、人がどのように思うのか、心配なのです」
早口に、思ったことを一気に口にするその表情は、更に曇る。
俺の心配などしなくていい、ただ笑ってさえいてくれれば、それだけで俺は幸せなんだ。
願えば願うほど、悪化するなら、悪化するようにと願えば、好転するんだろうか?などと愚かな考えが浮かぶ。けれど、一瞬でも、虚言であろうとも、姫宮への悪言を口にしたりなどできるはずがない。考えるだけで、総毛立つ。
「大丈夫ですよ、姫宮が心配されることでもありません」
「私などに心配されたくない?」
「まさか」
何を言い出すのか!
目の前が真っ赤になった気がした。何がどうなって、一体全体どうして、そんな事を考えたりする?
「私とのことでも、良人さまを悪く言う者がいると聞きました」
「どう言い繕ったところで、深窓の姫宮を拐かした不埒者ですからね」
「そのような…拐かしたのではなく、私の意思でここにいるのに」
「姫宮の意思はどうであれ、人は、いろいろと邪推するものなのですよ」
「では、スメラギの御位のため、私を拐かしたなどと噂されても、気にならないとおっしゃるの?」
「スメラギの御位を望まぬ御子がいると思っているとしたら、それは、とんだ世間知らずです」
何を言ってるんだって表情に、俺は、心臓が貫かれたかと思った。でも、ここで、御位を狙うなんてこと、根も葉もないから、全く気にならない、などと、正直に話せるはずがない。この宮は、俺の宮ではない。誰が、何を聞いてるか、わかったものじゃないんだ、と自分に言い聞かせる。
「俺は、あなたをよく存じているが、あなたは、俺を知らなさすぎる」
「では、教えて」
真っ黒な瞳は、彼女の兄によく似ている。何でも知りたがり、何についてもよく考え、見極めようとする瞳。
今だって、怯えながらも、その瞳はまっすぐ俺を見つめ、その中の真実を探し出そうとしているんだと思う。
誰に会うこともない、誰にも求められない存在だった彼女。
出会うまでは、ものを知らない、無知な姫なのだろうと思っていた。ただ大神に身を捧げるためだけに育ったような清らかな穏やかな存在だと思っていた。
「知って、どうするんですか?」
「どうするかは、聞いてから考えるわ」
「知ったところで、姫宮には、どうしようもないことですよ」
「そうかもしれない。でも、良人さまの心を知りたいの」
なんでこんなにも信じてくれるんだろう?
涙が出そうになる。

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