深窓の姫宮■■■44■


引き結んだ口、一点を見つめる深更の瞳を見て、もう知れ渡ってるなんて、どんな情報網があるんだろうと、少し感心した。
「もう聞きましたか?」
「えぇ。でも、どうして?」
「簡単なことです。ただ姫宮が大切だと思ったんです」
「私が?」
「そう。だから、姫宮とずっと一緒にいられるように、奮闘しました。西国の司になれば、態々ちょっかいを出す方もいないでしょう?」
「そんな…ただ私といるために、世の謗りを受けても構わなかったと、そう仰るの?」
「ええ。俺には、姫宮だけですから」
「馬鹿なこと仰らないで。早く、父の本院に、兄の帝へのお執り成しを願わなくては」
「まさか。漸く本当にあなたが手にはいるのに、行くはずないでしょう?」
「良人さま!」
「もっと嬉しいと喜んでくれるかと思っていたんですけど」
こんな風に心配されるとは、予想してなかった。正直に話せば、分かってくれると思ってたのに、まるでこの世の終わりだと言わんばかりの姫宮の慌てように、俺は驚いた。
西国に行くことが、嫌なのか?
ここで初めて、そんな考えに思い至って、動揺する。だとしたら、俺は、とんでもない過ちを犯したことになる。
「それとも、西国になど行きたくはない?身分も何もなくなった俺のそばになどいたくない?」
恐る恐る口にすると、姫宮の大きな瞳が更に大きく見開かれた。何かを言おうと開いた口が、真一文字に結ばれる。
一気に赤く染まった頬に、一筋の涙か伝っていった。

「その涙は、同情?それとも、憐れみ?」
「私の心の内を少しでも理解しようとしない事に対する、悲しみよ」
やはり姫宮は、京を離れたくないのか。いや、落ちぶれた俺などの側にはいたくないのだ。
「そうですね。姫宮を手に入れようとしていたのに、大きな勘違いをしていたようです」
「勘違いですって?」
「えぇ。俺が願っているほど、姫宮は、俺を望んではいないのでしょう?」
「分かってないのは、良人さまよ。私の良人さまへの思いは、良人さまを流罪にして、それで共にいられると、喜べるほどの、そんな浅い気持ちじゃないわ」
思っても見ない言葉に、言葉を無くした。
「良人さまの側にいられるなら、私はどこだって構わない。良人さまが、たとえどんなに低い身分でも気にならない。でも、こんな…謂れのない謗りを受けてなど、私には理解できません」
なんて温かな言葉なんだろう。心配される、その心地よさを思い出す。
「すみません。他に方法が思い付かなくて…じいさまやおじ君を上手くいなせるほど、腕も弁もたちませんでした」
「?…良人さまの処分を決めたのは、兄の帝ではないの?」
「前に話しませんでしたっけ?俺にとって、あいつは、かつての学友であり、宮中での唯一の味方ですよ」
「味方?」
「えぇ。悪友と言った方が正しいかも。よく一緒に乳母やらに、叱られたものです。立場はずいぶん変わりましたけど、お互いの思うことは、十分理解しあってると俺は思っています」
「兄の帝は、良人さまが西国の司になろうとしてることを知っていて、理由を探して、任じられたということ?」
「時のスメラギですしね、理由を探すほど、暇じゃないから、そこは、俺が自ら作ろうとしたんですが、新院側に先手を取られました」
「自分で、自分を、謗られるように仕向けようとしたと言うの?」
「いけませんか?」
「理解ができないわ。男と言うのは、公卿を目指し、蹴落とし合うのではないの?」
心底わからない、という風に、小首を傾げる様は、なんとも可愛らしい。思わず顔が緩みそうになる。
「まぁ…一般的には、そうでしょうね」
「良人さまは、そうじゃないの?」
「栄華を極めるのは、それはそれで悪くないと思ってましたけど、父が亡くなりましたからね。乳父でもいたら、もう少し状況は違っていたかもしれないですけど」
「乳父がいなかったのですか?」
「あえて言うなら、じいさまかな。母方は、伯父が一人いたけど、まだ若かったし」
「そうだったんですか」
「えぇ。じいさまも、さっさと、今の新院に位を継がせて、自分は犬居の屋敷に引っ込んで、念仏三昧になったし」
「だから、あのお屋敷に移って、お義母さまとひっそりと暮らしていたのね」
「まぁ、そんなところです」
「春宮の太夫には?」
「今のスメラギが、御位に就いて、一年くらいしてからかな。思いもよらない勅任でびっくりでしたけど。まぁ、言わんとすることは、わからないでもなかったから、引き受けたんです」
「言わんとすること?」
「まぁ、簡単に言えば、宮中生まれで、宮中育ち同士、分かりあえる事も多いだろうって事ですかね。今のスメラギは、"外"も知ってますから」
「良人さまと春宮と…同じ境遇と言うこと?」
「そう。幼少を宮中で暮らすって、なかなかに窮屈なんだって気付いたのは、"外"を知ってからだったんです。そんな俺が、あの年頃ならこんなことをしたかった、とか、あんなこともできたかもって思ったことを、少しでもいいから、体験させてやりたいって言う、親心だと俺は理解してます。本当は自分が教えてやりたいんでしょうけどね」
「兄の帝は、そのようなお人柄なのですね」
「うん?まぁ、随分良い部分を誇張して話してますけどね」
「では、お取り直しを願っても、決してお許しはいただけないのね」
「えぇ、納得いただけましたか?」
姫宮は、ため息を1つ吐いて、渋々頷いた。

■FIN■■■

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