深窓の姫宮■■■23■


「良人が参りました。おひさしぶりです、お祖父様」
御前で、平伏する。
御簾の向こうにある気配は感じられるものの、表情までは窺えない。
父上が亡くなられてから、一度として訪れたことのないかった孫が、今になって、急に訪れるのだ、その理由を知っていなければ、何事かと当惑するだろうし、知っていれば、それ相応の態度をとるだろう。何はともあれ、俺から話すことはできないから、待つしかない。
そんな風に思いを巡らすのに十分なほどの間をとって、お祖父様は口を開いた。
「ほんに、ひさしぶりじゃの。儂のことなど、忘れてしまったのだと思っておったわ」
「まさか、お祖父様をお慕いする気持ちは、今も昔も変わりません」
「本当かのぅ」
「私のようなの者が、お祖父様にお会いすれば迷惑になると思い、参上できないでおりました」
「そんな肉親の情に厚く、思慮深いそなたが、なぜ今になって、ここを訪れたのか?不思議よの」
知っているのか、知らないのか。まるで、こちらを試すかのような、言い方だ。
政から退いたとは言え、まだまだ、その才覚は衰えていないらしい。
何を言っても、都合良く運ばれそうだ。返しが思い浮かばないまま、苦笑いを浮かべた。
「まぁよい。それより、儂と、世を動かす気はないか?」
上げられない御簾の向こうから、抑揚のない声が投げ掛けられる。熱意も、興奮も、何もない、穏やかな声だ。至極、当たり前の事を口にしているような言い方に、まぁ、元々は、その力を握っていたのだから、それくらいの横柄さはあるものか、とは思うけれど、退いて何年になる?
「叔父上の新院が、よく治められていると。私の力ではとても」
罠かもしれないと、平易な言葉を返す。
「良具が手塩にかけ、わしとても目をかけたそなたが、新院に劣るとな?」
「父上やお祖父様を貶めるつもりはございません。ただ、父上はよく仰いました。スメラギの御位は、父より譲り受けるものと感じるかもしれぬが、その実、天より授かるものなのだ、と。人の思惑で決められるものではないのだから、と」
「良具らしい言葉よの」
お祖父様は、笑った。

体の弱かった父上は、日継ぎの位にはいても、自分がスメラギとなる日は来ないと思っていたのかもしれない。
だから、天の定めるものなどと言う言葉を、よく口にして、俺に暗に言い含めていたのだろうか?と、父上が亡くなってから、そんな風に考えるようになった。
俺は、皇太孫として、いつかは、スメラギになるのだと、修練を怠らなかったから、正直、大内裏から下がった当時は、茫然とした。何のために俺はあるのか?と。
けれど、それと同時に、入れ替わるようにして、皇太孫となった従兄弟を見ている内に、これで良かったと思えるようになった。春宮は、まるで、籠の中の鳥のようだと気づいたから。
二度と戻ることはないだろうし、戻りたいとも思えなかった。
「私も、父上と同じ気持ちでおります」
「同じ?」
「はい。スメラギの世を安定させるため、微力ながら支えていく所存です」
「支えずとも、自らがスメラギになりたいとは思わないのか?」
はっきりと告げられた帝位へと言う言葉に俺は困惑する。本当に、じいさまは、俺を使って、復権を目指しているのか?
「そのような反応も、良具によく似ておる」
そう言って、深くため息を吐いた。
「なりたいなどとは、露にも思わぬ。そうであろう?」
「恐れながら、私には、もう縁のない御位にて」
「まぁ、良い。…ところで、そなたが訪れた理由を聞いておらなんだな」
あぁ、完全に術中に嵌まったな。
じいさんは、諦めて、今上を頼るか?と言う考えは、一瞬にして、打ち消す。
こちらの腹の内を知られてしまっている以上は、それを話さず、解放されるとは思いにくい。
「はい。おじいさまに、お許しを願いたい儀がございまして、本日、目通りを願いました」
「許し、とな?」
「妻にしたい、姫がいるのです」
「儂に許しを乞わずとも、その親類に言えば良かろうに」
知っていて、なお、そんな言葉を出すのか?身内に、しかも、孫に対して、手厳しいな、じいさんよ。
「その親類と言うのが、お祖父様なのです」
「儂が親類?はて、嫁に出すような姫を持ち合わせていたかのぅ?」
「はい、新院は五の姫。一品内親王にございます」
朗々と、正直に、言葉にした。
今さら、うだうだしても仕方がないし、何より、そっちの方が、じいさん好みだ。
じいさんは、面白そうな笑い声をあげた。
「…そなたの口から聞くまでは、何かの冗談と思っていたが…真実だったとはな」
「お許しくださいますでしょうか?」
「新院の娘であろ。儂が、口を挟める存在でもない」
「お祖父様」
「だが、そなたが、儂の望みを叶えるとなれば、また話は別なんだがのぅ」
器にあらずと辞すこと何度だろう、まぁ、それは形だけのものだったから、最後には、俺は、じいさまの提案に頷くことになった。
ただ、姫宮の父上、つまり、新院におとりなししてくれる程度を望んでいた俺には、なんとも、ありがた迷惑な状況が、舞い込んできた。

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