戦国の花嫁 ■■■07■



暫くして、息を落ち着かせるようにゆっくりと二呼吸ほどすると、彼女はしっかりとわしに視線を合わせた。
いつものようにまっすぐとではなく、強くもなく、拠り所をなくしたような赤子のような瞳。
「武士とは、戦場で功名を立てるもの。そして、その功名とは、敵将の首。裏返してみれば、殿は敵の敵。敵の敵ならば、殿の首は敵にとっては、功名。命を取られる可能性があります」
持って回った話し方に苛ついて、口をはさむ。
「武士とはそのようなものだろう」
「えぇ。そして、武士の妻とは、そのような宿命を持つ男を待つ女。 人の命は儚い。愛する人を失う事がどれほどの事か、殿はご存じですか?頼りにする方を亡くす事はどんな事かも」
一層強い瞳でこちらを見つめ、唇を噛む。

彼女は、実父には生まれて早々先立たれ、頼りの叔父さえ亡くし、最悪にも実母と養父も失った。今の世では、さほど珍しい生い立ちではないが、人は心をなくした訳ではない。誰しもが、彼女たち姉妹を哀れだと涙した。
しかし、当の彼女に会って、やはり血筋、強き女子だと思ったものだったが、それは見せかけでしかなかったと言う事か?

「私は、この世で一番の不幸を味わったのだなどと言うつもりはありません。ですが、もうこれ以上、悲しみの涙は流したくはないのです」
そこまで話すと、口を閉ざし、ただ涙を見せるばかり。
彼女は、何故泣くのか?
再び、それを考えて、一つの光が見える。
「そなたは、わしが死ねば悲しいのか?」
首を振る。
「なら、なぜ泣く?」
首を振る。

どうして今まで気付かなかったのか。
ずっと彼女がおびえていたことに。

「そなたの言い分を聞いたが…、わしの理が勝るようだな」
涙を湛えた瞳が、不思議そうに揺らめく。
「言え、わしを好いておると、慕っておると」
「言えません。どうして、そんな…、私は」
「わしが死ぬが恐ろしいのだろう?」
首を振る。
本当に強情な姫だ。
「わしはそなたが死ねば悲しい。泣きわめくだろう。それは、そなたが愛おしくてならぬからだ」
「私は、泣いたりなどいたしません。武士は命を功名の種として…」
震える声は、それ以上の言葉を継がなかった。
悲しみでも、何でも良い、彼女が感情を顕わにしている。
それが、嬉しかった。
「そうだ。わしは死ぬ。だから、わしの子を産め。わしへの思いの数だけ、いくらでも」
ますます、訳が分からないとでも言うように、瞬きを繰り返し、大粒の涙をこぼす。
その涙の筋を手の甲で拭ってやる。陽に焼けたこともない、新雪の如き頬は、涙に濡れ、悲しみに揺り動かされ、上気し、赤く染まってしまっている。
泣かせたくない。そう思う。一方、ここまで自分の事を思い、涙を流す姿は、美しいとも思ってしまう。
「なぜ、そなたの母御は、ご夫君に先立たれ、頼りであった兄君に先立たれてなお、強くおられる事ができたと思う?」
戸惑いしか映さない瞳は、幼子のようで、あぁそう言えば5歳ほど下であったなと思い出す。いつでも、凛と澄ましているから、気付かなかったけど。
自然と浮かぶ微笑みに苦笑いをしつつ、髪を撫でてやる。
「わしは、そなたの母御にお会いしたことがないから、想像でしかない事だが…おそらく、そなた達娘がいたからじゃと思う」
「私たち?」
「そうじゃ。そなたやそなたの姉君方が、いたからこそ、生きられる。ご夫君の面影を映す存在がいる。それは、この世を過ごす何よりの安らぎになる。そして、己の腹を痛めて産んだ子を愛しまない女がいるか?」
わしの言わんとすることが分かってきたのだろう。また大きな涙の粒を落として、首を振る。
「命に代わりになど…」
「ないだろうな。だが、そなただっていつか死ぬ。わしより先かも知れぬ。その時、悲しみを分かち合える者がより多くいて欲しい。その為には、より多くの人を愛おしまなくては」
「そんなの…変です。悲しみを分かち合う為にために、多くの者に愛情を抱けなど。悲しみが、増えるだけではないですか」
泣いて心を乱していても、なんと理知的で、しかも悲観的な姫だろうか。
これだけ頭が回るなら、自分の思いがどのようなものなのか、もう認めて堪忍してもよいだろうに…。
「ああっ、もういいだろう?愛しく思うことは、誰にもどうすることもできない。たとえ、悲しみや別れに怯えていたとしても。もう分かっているんだろう?」
わしの言葉に、瞬きを一つ。
眉をしかめて、しゃくりあげる。
子供のような泣き方。
泣く女も嫌いような気がしたが、そうでもないようだ。
いや…
好いてる女子なら、どのような仕草さえ、愛おしくてならないのだろう。
つまり、わしはその類の男だったらしい。

彼女を抱きしめる。
泣く子をあやすように…、ではなく、愛しい女を慈しむように。少しでも、わしの思いの熱さで彼女の頑なな心が溶けるように。

「どうして、私を好いているなどと言うのです?私はただ殿の子を産めればそれでよいと思っていたのに。殿にどんな情も抱かないようにしていたのに。そう言う気持ちで接していれば、殿も側室でも持って、その女に思いを寄せるだろうと…なのに、どうして?」
駄々をこね出した。いやいやと涙を流し、なんとも聞き捨てならぬ事を言ってくれる。
わしを、一体どんな好色男だと思っておるのか。
「そう言うそなただからこそだと気付かないのか?ならば、教えてやろう。男は、追われるより、追う方が性にあっておるのだ」
まっすぐにわしを見つめる。返す言葉が見つからないのだろう。
だが、これはもう、恋する女子の瞳だ。
にやけた顔が出ないように、頬にしっかりと力を入れ、彼女の頬を両手で包む。
もう逃すものかと気持ちを込めて。
「それに、女子というのは思われることを夢見る者だろう?」
二度目の口づけをゆっくりと落としていく。



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