戦国の花嫁 ■■■08■


目が覚めて、見慣れた天上であると認めて、己が家に戻ったことを思い出す。
そして、反射的に辺りを見回す。

なぜ、いない?
まだ夜も深い。
眠りについてから、さほど時間も経っていないはず。


…、あれは夢か?

唸るようにして、寝返りを打つ。
床には、自分の温もりしかない。
帰路についてから、悶々と当て所もなく考えていた、その妄想が見せた夢だったのだろうか?

いや、温もりはないが、この匂いは彼女のものだ。

つまり、抱いたのは、事実。でも、隣にはいない。
この事は、何を示すのか。そう考えて、気が重くなる。

やはり、よく分からん激情で押し倒した辺りまでは現実で、あの後の会話は全てわしに都合の良い妄想であり、あの美しい瞳の色はわしの願望が見せた幻で、現実は、彼女の意思は変わらぬまま、無理を強いてしまったということなのだろうか?
だとしたら、戦の後で、気が逸っていたとはいえ、とんでもない失態をやらかしたな、わし。

半身を起こし、頭を掻く。

どうしたものか?
自分の気持ちに気付かされた今、その思いを秘めたまま、彼女を武士の妻として扱える自信が少しも湧いてこなかった。

その時、衣擦れの音がして、視線をそちらに向ける。
月明かりの中、御簾の向こうに映し出される影。
女子だな。
放心したように、ただぼんやりと見つめる。

ゆったりとした動作で、御簾が上げられ、入ってくる姿に今度は固まった。あちらも、わしに気付いたようで、御簾を降ろしかけた手を止めて、こちらを見る。
「…、申し訳ありませぬ。起こしてしまいましたか?」
静かにでも少し慌てるように床まで来ると、小声でそう話しかけてくる。
その声は、掠れてはいたものの、夢と同じ声色で、あぁ、やはり夢ではなかったのだな、と安堵する。
何より、青白い光にほの見える彼女の瞳は、あの妄想の中の彼女と同じ瞳をしていたから。
「…殿?」
心配そうに、こちらを伺う。
そうだ。こう言うことを望んでいたのだ。 今、漸く、はっきりとそう思った。
「どこに?」
「はい。旅埃もよく払われぬまま、お食事も召し上がられておりませんでしたでしょう?」
伏せ眼がち俯いて、膳を置く。握り飯と香の物が載せられている。
非の打ち所がない武士の妻の振る舞いが、初めてわしの心を躍らせる。
何の不満もない。
愛しい妻だ。
「そなたは?」
「え?」
「腹は空いたか?」
「いえ、私は…」
合わせた視線を再び外すようにして、俯く。
「では、膳は後ほど頂く」
どうしてだ?と言わんばかりに、瞳を見開いた彼女の腕を引き寄せて、唇を奪う。
「腹は空いているが、こちらほどではない」
にやりと笑ってしまったのが、可笑しかったのか、彼女は困ったようにして申し訳なさそうに笑った。
「笑い事じゃない、重大な問題ぞ?」
「すみません。あまりにも…」
くすくすと笑うのを止めないので、少しおもしろくない。
「無理をさすのも悪いと思っていたが、まだまだ元気なようだな。足りなかったか?」
「え?」
わしの声音が変わったことに気付いたのだろう、ぴたりと笑うのを止めて、こちらを凝視してくる。
「お前に渇えて、どうにかなりそうじゃ。癒してくれるだろう?」
大人しくなった彼女を、膝の上に載せる。こう言うところは、初めの時から変わらない。
理性と情欲の境がまだよく分からないのだろう。 頬が真っ赤に染まるのが、暗がりでも分かるかと言うほど。
なんともゆかしい娘じゃ。
冗談だとこの場を終わらせようとすると、何を思ったのか、彼女の腕がわしの首に回る。
いや、何を思ったのか、など、無粋すぎたな。
だが、それくらい驚いた。
あのような抱き方などしたことはなく、きっと疲れているだろうに。わしを思う彼女の気持ちに胸が踊る。その気持ちに免じて、続きはまた明日にってのが、できた夫のすべき事だろう。

…、しかし、据え膳食わぬは男の恥とも言うな。



その翌朝、 土産に買った京の簪を髪にさしてやりながら、口にしたのは、恋情か、侘びか。
それを知るのは、わしと彼女だけ。

■ Fin ■■■

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