そして、自覚する ■■■43■

クモさんが好き。

あの時は、なんだかそう素直に思えたけど、改めて一人になって、よくよく考えてみる。

クモさんと見つめ合ったあの瞬間は、確かに恋に落ちてたかもしれない。
それは認めよう。今までで一番心臓が高鳴ったもの。泥濘に足を取られて、山の斜面を転げ落ちた時だって、比にならないくらいの心臓の跳ね。それくらい、びっくりした。
それに、あの温もりを感じられたのは、すごく嬉しかった。でも、それは、きれいだなって、思ってる人とあんなことがあったら、誰だって、ときめくに決まってるじゃないか。

つまり、これって、ただドキドキしてるだけなんじゃない?
これは、恋なんかじゃないはずだ。だって、こんな気持ちになったことなんてなかった。この気持ちは、恋じゃない。
第一、験者に恋なんてするはずないじゃないか。
なんだ、そういうことだったのか、と妙に納得した。 後頭部にできたタンコブがなくなる頃には、このどきどきもきれいさっぱりなくなってるに違いないと、確信する。
とっぷりと更けた夜の空気に、私は慌てて目を閉じた。
ふと浮かんだ不安を閉じ込めるように。

もしも、ドキドキがなくならなかったら、
その理由は、一体何なのだろう?

‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡

鳥のさえずりで目覚める朝。
何も変わらない。 いつもと同じ。 昨日の事なんて、全て過去。
何一つ、私の心に居座っているものなんて、ない。
久々に押し倒されたりするから、ドキドキしただけだったんだ。


「改めて、昨日は色々と礼を失した。本当に、怪我などないか?」
朝の膳を運び終えて、下がろうと腰をあげたときだった。声を発したクモさんの方に反射的に視線を向けて、固まる。 昨日の不安が過ったのもあったけれど、何より、一同の視線が瞬時に私に向けられたからだ。
「それは、夕べ、お召し物を変えて戻られたことと関係が?」
何も言わない私を牽制するかのようにマヤさんが、口火を切った。
「いや、それは話した通り、禊をした折のことだよ。その後、少しうたた寝をしてしまった身が、寝ぼけてヒナを投げ倒してしまったんだ」
すまなそうに微笑んで、クモさんは話を継げる。
そうか、寝ぼけてて、他意はなかったのか…。 安心したような、でも、一瞬胸が締め付けられるように痛む。
「ヒナ?」
「あ、いえ、思い出して、また驚いちゃっただけです。布団掛けようとして、投げられたのは、はじめてだったから」
「まだ痛む?」
「いえ、びっくりした方が大きくて…。だから、気にしないでください」
「そうか」
安堵したようにクモさんは、表情を緩める。
「しかし、クモ殿が寝ぼけるなんて、そんなことあるんだな」
「ふふ、身も驚いた。夢うつつとは、ああ言うことなんだね」
「よほどお疲れだったのでしょう。サワ殿がご心配なのはわかりますが」
「マヤ、言いたいことはわかるが、それがクモ殿の御性分。お前が、気を揉んでも始まらんさ」
小言を始めたマヤさんに、被せるようにして彦四郎さんが快活に言う。
「お気に止めくださいますよう」
忌々しそうに彦四郎さんを見た後、マヤさんはそう言って、椀をすすった。
なるほど、あの威圧的なマヤさんをかわす方法があったのだと、感心する。ただ、あの視線に耐えきれる自信はないから、私には実行不可、己の失敗をいたく反省させられるしかないのだと痛感する。
クモさんを見ると、変わらす笑みを湛えたまま、食事を進めていた。

やっぱり、大物だわ。

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