験者一行をもてなす ■■■21■

クモさんのいる部屋を覗くと、マヤさん一人で、失礼だけれども、しまったなと思う。
だって、クモさんの一行の中で、マヤさんは群を抜いて、印象が怖い。傍にいたら、噛みつかれて、切り刻まれそうなくらい視線が鋭いから。
けれど、視線が合ってしまったのだから、仕方ない。表情に出さないように、深呼吸をして心を落ち着かせる。
しかし、マヤさんはと言えば、私が白湯を運んできたと気付くと、にこやかな笑顔を浮かべ礼を言い、さっと私から白湯を載せた盆を取り上げる。目を見開いたまま、私は固まる。
「クモ殿は、サワ殿の様子を見に行かれると仰っていました。当分戻られませんから、よかったら、一緒に一息しませんか?」
まるで初めて出会った日のマヤさんは、違う人だったんじゃないかと思うくらい、別人。
クモ殿に関係なければ、人当たりの良い男だと言った彦四朗さんの言葉を思い出す。
可愛らしいお嬢さんと白湯をいただけば、また安らぎます、とか目を見開くどころか、咳き込みそうな事を言いながら、盆から湯飲みを取り、私の前に、そして、自分の前に置く。
「では、お言葉に甘えます」
座り、白湯を啜ってはみたものの、どちらが本当のマヤさんなのか分かりかね、話題の一つも出てこない。ちらりとマヤさんを伺うと、視線が合い、にこりと微笑みをくれる。
「この郷の方たちは、皆、よく人を信じるのですね」
「そうですか?・・・どこの郷もこんな感じじゃないんですか?」
十八ケ荘から出た事もない私には、判断が付きかねるけど、とりあえず、ここらの郷の対応としてさほど外れた事もしていないはずと、小首を傾げる。
「少なくとも、私の育った郷では、こんな風に女性一人に白湯を運ばせるなど、よほどの事情でもない限りしませんよ」
そう言って、意味深な微笑みを向けられても、慌てて逃げるほど、私は子供じゃないから、同じように笑顔を返す。
「ここらじゃ、験者の世話をするのは女性と決まってるんです。他に差し出すものもないですし」
「それは、私を信用しての発言?」
「どちらでも構いませんけど、今回は、迂闊でした。気をつけます」
「そうですか。では、またの機会にしましょう。でも、不安はありませんか?こんな風に、見ず知らずの男を何人も泊めたりして。まして母屋に通すなど、寝ている間に何をされるのか、わかったものじゃないでしょう?」
そう言われてようやく、マヤさんの言わんとする事を理解する。
「マヤさん、ご存知かもしれませんが、十八ケ荘一体は、皆、道が限られてるんです。もし、郷で盗みをして、道を使って次の郷へ行っても、そこの郷の者に不信感を抱かせないまま、立ち去る事は難しいと思います。そして、道を使わず山の木々を掻き分けて進んでいったとして、次の郷に着けることができるのは、この土地のものか、慣れ修行を積んだ先達くらいのもの。運良くたどり着けたとしても、そうまでして身を隠していなければならなかったのだろうと、郷人が勘繰らないなんて事はありません。それに、罪悪人を許すほど、この山の神は、大らかではありませんから」
「じゃぁ、君は私たちを疑っていると?」
マヤさんの声色が幾分低くなる。
もし、マヤさん一人この郷に訪れたのだとしたなら、郷の何人かは…多分私を含め、マヤさんに幾ばくかの疑いの目を向けただろう。何しろ、マヤさんの眼力は人を本当に死なせてしまいそうだから。
でも、彦四朗さんは、女の人に見境はなさそうだけど、私にはすごく気の良いお兄さんだ。リュウ君の怒った顔だって、十郎と変わらない。何より、クモさんが、道に反れる事をするだろうか?想像できそうにもない。
しかし、低くなった声色とともに現れた鋭い視線の意図が分かりかねる。冗談にしては、その眼力は強すぎる。私の心が恐怖で凍ってしまいそうなほど縮み上がる圧力を与えて隠してしまいたいやましいことが、マヤさんにはあるのだろうか、と反対に疑いたくなってくるものだ。
もちろん、私にそんな事するつもりはないのだけれど。でも、そう考えてみれば、マヤさん達はなんでまた道なき道を歩いて、戸野の郷までたどり着く羽目になったのかは、ちょっと気になるな。今のマヤさんには、とても聞けそうにない雰囲気だから、今度彦四郎さんにでも聞こう。
「もし、悪行人であるのなら、立ち往生している私に口添えしてくれることも、叔母を助けるための修法もしないはず。食料だけ調達して、追っ手の掛かる前に立ち去りたいと考えるでしょうし。それに、もし、マヤさんたちが本当に悪い人だったとしても、叔母を助けてくれた人に変りはないのです。そんな人を疑ったりするほど、この郷の者は不信心ではありません」
「なるほど。そう思っていただけるとは・・・さすが、聖地のお膝元。広いお心が行き届いていることですね」
マヤさんの表情が変わり、ほっと息を吐く。
「と言うより、ここらの山は野宿に適するほど、穏やかなところでもありません。山蛭、蛇、狼、熊、ダニ、毒虫・・・。私が一番嫌いなのは、蚊ですけどね」
「私も、苦手です。ここらの蚊は、すごく大きいですからね、痛みもさることながら、痒さも相当なもので、辟易しました」
「えぇ。私たち郷の者は、その大変さを知ってるから。だから、宿を勧めるのです。マヤさんは、京から来たんですよね?・・・あの、京では、寝ている間に身包みはがれたりするって本当ですか?」
「まぁ、場所によっては、ですけど」
「やっぱり本当なんですか。なんだか、怖いところですね」
「何を恐いと思うか、ですね。住めば都と言いますし、どちらにせよ、家さえあれば恐いものなしですから」
「それもそうですね」
お互い微笑んで、少し冷めた白湯を啜る。
さっきの視線は、かなり怖かったけど、こっちのマヤさんが普通なのかもと、思い始める。

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