修法の真実 ■■■31■

おばちゃんは、徐々に食事の量も増え、起き上がれる時間も延びてきた。
もう本当に大丈夫なんだって言う安心感が、私だけじゃなく、郷中に広がっている。今年の取れ高について悩む口もどこか明るそう。刈り入れの済んだばかりの稲穂を早速脱穀して、お祭りの時しか作らない真っ白なお米を次から次へと、おばちゃんに届ける。まして、病の気を調伏したクモさんに至っては、租の取り立てに来た領主のお遣いの方達のように、いつも身の周りが物や人で溢れかえっている。
もちろん私もその一人で、最初の頃は、やれお腹は空いてないか、困ったことはないかと聞いてたけれど、手渡したばかりの草鞋の麻紐を困ったように見、履いてきた草履がどこにあるのか知らないか?と問われ、ようやく事の異常さに気付いた。
おばちゃんの部屋からはみ出す米俵。それに覆い被さるように積まれる反物、薪、毛皮…。
「さっきまでそこの縁にあったと思ったんだけど…」
そう言って、走らせる視線の先は、私の思っていた所と同じで、本当についさっき、草鞋を縛る麻紐が切れ切れになってるから、新しい物をもってくると言う会話をしたばかりだったはずなのだ。
「私も、そうだと思ってました。誰か履いていってしまったのかも」
「かもしれないね。せっかく用意してもらったけど、これはまた今度もらうことにして良いかな」
「すみません」
「うん?」
「何事にも限度ってありますよね」
「まあ…うん。すべて好意だと分かっているから、謝ることでもないよ」
人好きのする笑いを浮かべるクモさん。出会ってから、数日、よく笑顔を見せる人だとわかってきたけれど、この笑顔は、気を使ってくれる時の笑顔だったのだと今さらながら気付き、片腹痛くなった。
「これはね、さっきもらった草鞋なんだけど、編み目が細かくて驚いた。これならどこまでも歩いて行けそうだよ」
その手にあるのは、鼻緒が丹の色をした、十八カ荘では一般的な草鞋。山道を歩く験者には、殊の外重宝されるもので、験者へのお布施には欠かせないものの一つ。どうやら、クモさんのお連れの人たちがサンザン巡りをして無事京にたどり着けるくらいもらったようで、麻紐で何連か繋いである。何束も。
クモさんは、物を貰うことに慣れているのかしら?物の処理を悩むのではなく、履いていた草鞋の所在のみを気にしている風のクモさんに目を瞬かせた。
「ところで、ヒナ。清水に水を汲みに行きたいんだけど。案内を頼めるかな」
草鞋を履きたかったのは、外に出たかったからだったのかと合点がいって、はい喜んでと返事を返そうとした口が固まる。私の聞き間違い?
「もしかして、他郷の者は近寄ってはならかったりするの…、ヒナ?」
二度目。聞き違いじゃなかった。体中が火で炙られたかと思うほど、熱くなるのを感じる。
「ごめん。気にしないで、何回もヒナに頼むのは悪いなと思ったんだ。女子の手では、何個も甕を運ぶのは、辛いだろうし」
「そんな事ありません。大丈夫です。お幾つご入用ですか?」
「いや、良いんだ」
「いえ、私に出来る事って言えばこれくらいですし。竹原の里に戻るほどの距離ではないですから」
「ありがとう。でも、実を言えば、水を汲みに行きたいと言うわけでもなかったから」
「?」
「穢れを払いに水のあるところに行きたいなって。大したことじゃない、忘れて」
「禊に調度良い場所を知ってるんです。ご案内しますね」
「本当に、ありがとう」
「いえ」
ただの変哲もない会話なのに、体から飛び出すんじゃないかってくらい跳ね上がる心臓に自分でも驚く。私は一体どうしてしまったのかしら。

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