戦国の花嫁■■■最果ての花嫁04■


「エンジュは真名?」
「ううん…何て言うのかな、えーと、通り名?」
「真名は?」
「あるけど、教えない」
「どうして?」
「エゾの女は、簡単に名を明かさないの」
「じゃぁ、どうしたら、教えてくれるんだ?」
「祝言を上げたその夜に教えるものよ」
「つまり、家族と夫しか知らないのか」
「そういうことになるわね」
なるほどね、と男は神妙に頷いた。

その翌日のこと。
「姫君、おはよう」
顔を会わせて、一番に男が発した言葉に、娘は目を瞬かせた。
「どうした?まだ夢の中かな」
「今の私に言ったの?」
「あぁ、もちろん」
「なんで、姫君?」
「俺にとって、好いた女子は、姫君だからさ」
娘は、目を見開いたまま、男を凝視する。
「なんで固まるかな」
「いや、だって…なんでそうなるの?」
「好きに理由はないよ」
「本気?」
「あぁ。ダメか?」
「ダメじゃないけど…」
「じゃぁ、決まりだ」
嬉しそうに笑みを浮かべる男の様子に、娘は何か言おうとした言葉を飲み込んだ。
「儀郷」
「え?」
「俺の事は、儀郷って呼んでよ。いつまでも、軍師じゃ堅苦しいからさ」
「ムツでは、名前で呼び合うのは、普通のことなの?」
「いや。姫君は特別だから、教えた」
「特別?」
「ムツの男が、名を口にするのは、戦場と求婚の時だけ」
娘は、信じられない!とばかりに、口を開けた。
「今日はよく固まるね」
「固まるようなこと、軍師が言うからでしょ」
「名で呼んでくれないのは、拒否ってこと?」
「呼べば、求婚が成立するの?」
「そこまで厳密なものではないけど、呼んでくれたら、嬉しいな」
名前で呼ぶべきだろうか?と娘は思案する。
呼んだら、嬉しい。ただそれだけの理由なら、色々恩のあるこの男に、少しでも借りを返すことができるかもしれない。
娘は、そんな理由にもならない理由をつけて、本心を見ないふりして、口を開いた。
「儀郷くん」
「なんだい、俺の姫君」
本当に嬉しそうに笑みを深めた男を見て、娘は、これ以上ないくらい動揺する。
この胸の鼓動は、一体何なのか。
分かりきったことをさも難しいことのように扱う娘であった。

そして、娘は姫君と呼ばれ、男は儀郷くんと呼ばれる間柄になった。だからと言って、何か明確に変わったと言うわけでもないと思っているのは、娘の方で、男は、満面の笑みで、始終ご機嫌であった。
そんなある日の事、娘は、思いもよらない出来事に遭遇する。

ねぇ、ちょっと、と声を掛けられた。
振り向くと、村娘が三人立っている。辺りを見回したが、娘以外にいなかったので、どうやら、自分にかけられたものらしかった。
「私ですか?」
「あんた以外に誰がいるのよ」
「お高くとまって、何様のつもり?」
「軍師に気に入られてるからって、いい気になってさ」
「これだから、エミシは」
「ほんと、礼儀を知らない蛮民だこと」
最後の一言に、娘はカチンときたが、捕虜である以上ムツの者には逆らえないから、ぐっと押し黙った。
「何か、用ですか?」
「単刀直入に聞くわ。あんた、軍師の何なのよ?」
小屋の中に軍師はいるか?くらいの質問だと思っていたので、娘は戸惑う。
軍師の何って、何?とも思ったが、相手の女性達の目を見て、これは、嫉妬によるものだと察する。
「私と、軍師は、あなた達が想像するようなそんな関係じゃないわ」
「だったら、何だと言うの?」
「それは、あなた達のご想像にお任せするよ」
そう言ったのは、男だった。
いつの間にか現れた男の登場に、女達が怯む。
「話はそれだけ?」
有無を言わせぬ雰囲気でそう言うと、娘の二の腕を掴み、足早に去っていった。

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