戦国の花嫁■■■天下人の種03■


「不束者ではございますが、末永く、よろしくお願い致します」
殿が入ってくるのと同時に、深々と頭を下げたが、何も言葉は返ってこなかった。
何か不手際でもあっただろうかと、ここに着いてから、そして祝言での言動を思い出してみるが、心当たりはなかった。
先程は、予想だにしなかった事態に動揺してしまったが、この男子の馬手は武士としての強さを持っているのだから、それで十分じゃないか。容姿なんてただの副次的な、そう、言ってみれば、おまけみたいなもので、取るに足りない事に過ぎないのだ。
何はともあれ、念願叶って、この男子と祝言を挙げたのだ。上手くやっていかなくてはならない。

衣擦れの音がして、止む。
どうやら、殿は、床に入ったらしい。視線を向ければ、案の定、横になっていた。
今夜は、初夜だと分かっていないのか?…そんなボンクラに嫁いだつもりはない。
では、祝言の諸事に疲れて、今夜はもう眠ってしまいたい、とか?…それなら、一言くらいあっても、良さそうなものだ。
なら、なんだろう?まさかとは思うが、照れているのか?だとしたのなら、馬鹿馬鹿しいと思った。
自分で言うのもなんだが、私は、女子の中でも、美しいと呼ばれる方の部類に属する。そんな女子を前にして、無言で休む男子がいるものか。
来ないなら、仕方がない。こちらから行くまでだ。
待ちに待ったその瞬間を、頭の中で思い描き、そっと近付き、その中心を掴んだ。

むぐ。
触り心地は、そんな感じだった。
本に因れば、これが、カチンコチンになるのだと言うのだから、男子と言うのは、不思議な生態をしているのだな。指先に、もう少し力を入れてみる。人の体の一部とは思えない、触った事のない感じ。良くできた張形だと言われたそれを思い返すけれど、また別物であった。 なるほど、これが、種を放つ太竿か。
そんな事を考えるくらいの微妙な間が空いてから、そして、驚くように飛び上がった男子は、瞬く間に私の手を薙ぎ払って、想像以上の俊敏さを見せた。
「っっ、何を!!」
思ったより、低い声だと思った。綺麗な容貌のせいか、花一揆の衆のような、少し高めの声色で喋るのではないのかと思い込んでいたから、この状況が、少しばかり現実味を帯びてくる。掴んだ感触もしっかりあったし、やはり、夫となった男子は、きちんと男子だったのだと、当たり前の事に、ほっとする自分がいた。でも、その他、男子らしいのが、馬手だけって…心許なすぎじゃないかと思うが、すぐさま、気持ちを入れ替える。
「夫婦の勤めにございます」
何を言わせるのか、私が、何しに、こんな田舎くんだりまでやってきたと思っているのか。この男は、朴念仁なのか。
まっすぐと瞳を見つめる。そういえば、瞳を見交わすのは、これが初めてだ。薄暗い灯明の中、その瞳は、さらに暗さを増しているようにも見えた。お義母殿と同じ、吸い込まれそうな漆黒の闇を湛えていた。こんな瞳の色を、私は見た事がなかった。
ごく普通の、どこにでもいる、いわゆる、黒目、ではない。きっと、比べる事さえ、畏れ多いとは思うけれど、京にいますああいう方々がお持ちになると言う、カンナビの森の色と言うのは、おそらくこんな色を湛えているのではないのかと思うほどに、浮き世の者が持つ色ではない気がした。
見つめ合うこと暫し、二呼吸ほどおいてから、深更の瞳が、大きく見開かれる。
「あんたは…僕が」
そこまで言うと、殿は、眉をしかめて、視線を外した。
「私が、何か?」
「いや…何でもない」
「そのような。生国も育ちも違いますが、もう他人ではないのです。気兼ねなくお話しください」
「いいから。気にしないで」
拒絶する言葉の割りに、間を置きながら、ちらちらガン見されたら、どっちが本心なのか、分からなくなるじゃないか。
なんだろう…女子なんて初めて見ました!うわっ、珍しいな。色々見たい、でも、恥ずかしい。って感じの視線が向けられている気がする。
余呉の五の姫である私がそんな初々しい反応を示すならともかく、父上に目通りも叶わない下っ端若武者が世間に揉まれてないなんて、あるはずないから、そんな風に思うのは思い違いだとは思うけれど。

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