戦国の花嫁■■■天下人の種13■


「殿は、毎朝、起きられると、射場に向かわれるのですか?」
「そうだけど」
「いつも、弓の鍛練をしているのですか?」
「鍛練と言うより、精神統一が、主かな」
「精神統一、ですか?」
「弓は、力だけで操るものじゃないと僕は思うんだ。だから、正確な矢を射るためには、鍛練だけじゃなくて、静かな心とか冷静な判断力とか、そう言ったものも培う必要があるんだ」
「静かな心と冷静な判断力…」
「まあ、若輩者の意見でしかないけれどね」
そう言って、殿は肩を竦めてみせる。
つまり、瞑想のようなものかしら?それを、実際に弓を引きながら行うって事?今一つ、ピンと来なかった。
女子が問うような事ではなかったなと思う。
「ところで、なんで急にそんな事を聞くの?」
「はい、殿は弓がお得意だと言う噂だったものですから」
「ああ、お得意…ね」
殿の武勲と言えば、第一は、誰もが口を揃えて、同じ場面を上げるだろう。
殿も思い浮かんだのか、笑みを見せた。でも、なぜか、それは苦笑で、あれ?他にも何か語られるべき武勲譚があったかしら、と思い返してみるけれど、これぞ一番!って言うものが他に思い当たらない。
つまり、私の知らない出来事が、殿をそんな表情にさせたって事らしい。話の流れ的には、私の考えてる戦場を殿も思い出してるとは感じられるけど。
「お会いしたら、お聞きしようと思っていたのですが、あの、六町先にいた敵将の鎧の隙間を射貫いて、討ち取ったと言うのは、本当ですか?」
「ああ、そうだね、どうだろう、射貫いた…と豪語はできないな」
「では、ただの噂?」
「根も葉もないわけではないから、ただの噂でもないんだろうね」
「つまり…?」
「矢で射たのも本当で、討ち取ったのも本当。でも、この話は、だいぶねじ曲げられてるんだ」
「違う部分があると言う事ですか?」
「まあね。確かに、鎧の隙間に矢は刺さったよ。でも、それは、矢じりがすっぽりと左の鎖骨ら辺に突き立った程度だった」
「それは、射貫いたのに、相違ないではないですか?」
「射貫くってさ、射て、貫くって当てるじゃない?…矢じりだけ突き立ったくらいじゃ、堂々とそうとは言えないね」
それって、何が違うんだろうか?人を傷付けた事に違いはないじゃないか。
そもそも、矢が、人を射貫くとか、人に突き立つとか、見た事がないから、上手く想像できなかった。
「まあ、それに動揺した敵将が、体勢を崩して、落馬したのを、揚々と見遣って、騎馬で近付いて、矢で急所を射貫いてから、刀で以て、その首級を手に入れたから…正確には、弓ではなく、刀で、討ち取った事になる」
「それが、六町先にいた敵将の鎧の隙間を射貫いて、討ち取ったと言う話の真実と言う事?」
「そう言う事になるね」
「殿は、本当に、弓が上手なのですね」
「上手?」
「だって、六町も先のものに矢を当てるなんて、そうできる事ではないのではありませんか?」
「まあ…誰にでもできる事じゃなかったとは思うけれどね」
また、先程と同じように、殿は苦笑した。
ねじ曲げられたと言っていたし、殿としては、あまりよい武勲譚ではないのかしら?話題にすら上げたくなかった?
「何か、気に障ったでしょうか?」
「別にそんなわけじゃないけど…。知らないで僕に尋ねたようだし」
「知らないでって、何をですか?」
「その噂のせいで、俺を遠矢しかできない、臆病な奴って言う奴等も出てきたんだ」
「まさか。敵将を討ったのに、武勲を挙げたのに、そのような事を言う方達がいると言うのですか?」
「でも、事実、そうでしょ?剛力や槍を頼みにするものなら、一人敵陣分け入って、武勲を挙げる。そっちが、武者らしい姿じゃない」
できれば自分もそうして功名を挙げたい、殿はそんな表情をした。
殿がそう言って初めて私は、どのような名声を得ているのかよりも、どのようにして武勲を得たかを気にして、夫選びをしていたのだなと気付かされた。そんなつもりはなかったのだけれど、それより、私のところに入ってくる情報と言うのは、私が思っていたよりも僅かなものなのかも知れなかった。…行き先を見誤ったかしら?
いいえ、私は、口の巧みな殿方の種が欲しいわけじゃない。どんな戦場でも生き残れる、力強く、逞しく、強運な種が欲しいのだ。
噂は、真実で、確かに殿は立派な若武者として実践を積んでいるのだ。そっちの方が、余程重要だ。
遠矢しかできない、臆病者。
殿の言う通り、世間はそう言うのかもしれなかった。
でも、遠矢にしろ、何にしろ、殿は実際に武勲を立ててる。そんなの、首級一つ取れない貧弱な者達の発言に決まってる。
不安になりながらも、祝言を挙げてからこの方、色んな事があったけど、でも、不思議と自分の決心が揺らぐ事はなかった。顔を見た時は、あんなにも動揺したのに、どういう事だろう?

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